第二話
転移の間の最終確認が終わって二日後、ケリーが再び家を訪ねて来ていた。
家の脇の原っぱに、ハリーベル家から借りた魔導四輪が停まっている。
「行ってらっしゃ~い」
「い、行って来ます…」
レインノートは、チラリと家を振り返った。
見送る母の隣に、ケリーと名乗った母の知り合いが居る。その後ろには貴族らしく従者が数人控えていた。
あの威圧には正直驚いた。
自己紹介をした途端に魔力威圧をしてきた。突然の事で体も顔も硬直した。
直ぐに抵抗出来たから良かったものの、母や炎竜女王に教わっていなければどうなっていたか。何か怒らせる事でもしただろうか?
貴族的な挨拶は知らないが、母とは気さくに話していたし、父、ドナテロともお互い敬語では有ったが、普通に接していた様に思う。
相手が侯爵夫人と言う事で、ドナテロはガチガチに固まって挨拶も噛んでいたが、それでも場は和んでいた。
そして妹のクラリスは、アレクシアから教えてもらったスカートを摘まむ挨拶をして、打ち解けていた。
だと言うのに、いざ自分の番になったらアレだ。名前を名乗って頭を下げ、上げた瞬間だった。
と言っても十秒ほどで終わったし、直ぐに謝って来たので安堵したが、逆に言うと何故仕掛けて来たのか不明だ。
怒らせた訳では無いらしいが、全く以て分からない。
「うーん…何なんだろう…?」
レインノートは、呟きを置き去りにする様に魔法を発動し、西の空へ飛んだ。
「…おい」
「なぁに?」
「何でもうすぐ九歳になる子供が、上級の威圧に抵抗出来るんだ?
しかも箒や絨毯を使わずに生身で空を飛べるなんて」
「え?ダメだった?」
「お前、どこまで教えてるんだ?」
「いやん、ケリーこわぁい」
「…後で教えろ。
所であの子は何処に行ったんだ?」
「うん?炎竜女王の所だけど?」
「待て、一人でか?」
「え?うん、去年から一人で行ってるけど…。
あ、今回は途中でシアちゃんと合流するって言ってたわね」
「…お前と言うヤツは…」
「あら、頭抱えてどうしたの?」
直後、目の据わったケリーに、メルヴィスは連行される様に家の中に押し込まれた。
ハリーベル領の境に降り立つレインノートの目の前、関所の脇の広場にアレクシアが居た。
普段着のスカートでは無く、ズボンを履いている。旅で動きやすい様にと言う事らしい。
背後に侍女が二人、向かって左に魔法士、右に騎士がそれぞれ一人ずつ、いずれも旅装姿で少年を出迎えた。
「お待たせしましたぁ」
「ほぼ時間通りですから構いませんよ、所でレイン君」
「何ですか?」
「箒か絨毯はお持ちですか?」
「え?」
「…普通は生身であそこまで飛べませんわよ」
そう言われても。
アレクシアのジト目に、レインノートはバツが悪そうに口を尖らせた。
生まれた時から母に背負われて空を飛んでいた身としては、そうした魔道具が無くても関係ない、と言いたい。
無論、魔道具を使えば消費魔力を一定にして飛べる利点も有るが、物によっては速度が制限されたりしてもどかしい。子供用は特に。
一応空間収納の中に箒が有るが、自力で飛べる様になってからは取り出した事は無い。もうかれこれ三年は経つだろうか。
「まぁ、見本がメルヴィス様ですからね…今更ですか」
アレクシアは諦めた様に嘆息した。
空を飛ぶ魔法は存在しているし、通常は学院に通えば一年生で学ぶと兄夫婦や姉に聞いたが、八、九歳で習得している者は殆ど居ない筈だ。
アレクシアも、宙に浮くだけなら出来る様になったし、箒や絨毯が有れば飛べる子供も居るそうだが、レインノートの様に生身でスイスイ飛べる子供は、少なくともアレクシアの知る範囲では、噂を含めても他には聞いた事が無い。
そもそも、魔力制御をある程度出来る様にならないと墜落したりするため、生半可な習得では危険である。
だからこそ、箒や絨毯など専用の魔道具を使って補助するのだ。
レインノートの場合、魔力量と魔力制御、両方ともそれなりの技量を備えているため、難なく飛べると言う訳だ。
飛ぶ際の風圧を風の魔法で軽減すれば速さも出せる。
そう言う訳で、魔道具を使うより、自力で飛ぶ方が実は速かったりする。
「その分、魔力を消費するハズですけれど…」
「あぁ、それなら魔素も使ってますから」
「えっ?」
「ん?」
アレクシアは目を丸くし、それを見たレインノートは首を傾げた。
「魔素を…使ってる!?」
レインノートの言葉に、アレクシアは白目を剥いた。
絨毯に乗るアレクシアは溜息を吐いた。
エイプリル商会謹製の最新モデルで、魔力効率も速さも今までと一段違う上に魔石でも動く代物だ。が、しかし。
その周りをウロチョロ飛びながら絨毯を観察している少年を見ると、ちょっと鬱陶しくなる。
別段何もして来ないので、無視しておけば済む話なのだが。
「良いなぁ、最新式の絨毯…凄いなぁ…」
レインノートは上下前後左右から絨毯を観察し、ポツリと呟いた。何とも羨ましそうな顔だ。
「そんなに気になるなら乗るかい?」
「レイン君が気になるのは、魔法式と回路でしょう?」
騎士の問いに侍女の一人、ジーナがクスリと笑う。芥子色の髪が揺れ、赤褐色の目が楽しそうに細められた。
「デザインでは無いのですねお姉さま」
「フラウ、レイン君は根っからの魔道具師ですよ」
もう一人のジーナと顔立ちの似ている侍女が、残念そうに苦笑する。
そして四人の視線はアレクシアとレインノートのやり取りに集まった。
「飛んでいる時は弄るのも見るのもダメですよ」
「えー、せめて見るだけでも」
「ダメです」
「…はい」
アレクシアに釘を刺されたレインノートは、項垂れながら絨毯に乗った。
よくよく考えたら、乗っている時に変な風に弄ってしまったら落ちる可能性が有る。
それは確かに危ないので、少年は地上に降りるまで辛抱する事にした。
それにしても、とアレクシアは思う。
魔素の扱いは少し応用編に入る。
魔法を作り出す力は二種類有る。体内に有る魔力と、大気中に存在する魔素だ。
自分はその辺の予習を始めようかと周りと相談している段階だと言うのに。
チラリと横目に少年を見る。モジモジしているのは、早く魔導回路を見たくてウズウズしているのだろう。
一応我慢しているのは、降りたら見てもいいと約束したからだ。
まあそれも見るだけと言う約束だが。
件の少年は、三年前から飛んでいる。
生身で飛べるのは前から知っていたが、魔素の扱いに関しては初耳だった。
何でも一年前には練習を始めていたらしい。メルヴィスに貰った教本に書いてあったのが切っ掛けだそうだ。
「普通は、書いてあるものを読むだけで再現なんて無理ですけれど…」
絨毯を見て目を輝かせるレインノートを観察しながら、アレクシアは呟いた。
無論、彼にもそこまでの才能は無い。メルヴィスにコツを聞いたりして練習しただけだ。ただみっちりと。
国境を越え、大陸中を飛び回り、魔獣を狩り、素材採集を続け、炎竜女王や天狼族の薫陶を受け続けた。
ただそれだけだ。
少年の立場から見ると、魔獣を狩る事は素材採集の一部である。親の手伝いだ。
炎竜女王や天狼族は母の知り合いで、年に数回訪問しているだけである。
訪問と言えば、あの丘から見える海の沖合に海神様が住んでいて、こちらも年一回は会いに行っているらしい。
(流石にそこまでやりたいとは思いませんわね)
まあ、コツや感覚などは少年に教わっても良いかも知れないが。
もう何回目になるか分からない溜息を、アレクシアは心の内に留めた。
絨毯に取り付けた魔石の魔力が空っぽになったので、今日は近くの町に泊まる事になった。
レインノート一人ならもっと速く遠くまで飛べるが、もう夕方だし無理は出来ない。
普段なら既に国境を越えているが、今回は仕方ない。諦めよう。
一行は西側の国境にほど近い町の入り口に降り立った。
"町"と言うよりは"街"と書いた方が妥当だろうか。
国境が近いため、交易が盛んで町の規模が大きい。
周囲は柵で囲ってあるが、ここまで大きい町なら城壁を作っても良いんじゃないかとも思う。
「サルマの町ですか…。
やっぱりうちとは雰囲気が違いますね」
海沿いのハリーベル領とは違い、こちらは内陸部であるため、吹き付ける風が少し乾いていた。
「そうですね…」
アレクシアの呟きにレインノートが応じるが、視線は折り畳んだ絨毯に向けられている。
フラウが空間収納に仕舞うと、明らかに落胆した表情を見せた。
「…レイン君、宿を取ったら見せてあげますから」
「本当ですか絶対ですよ約束ですよ嘘はダメですからね」
アレクシアの言葉に、レインノートが真剣な顔でめちゃくちゃ前のめりに食い付いて来た。
鼻息は荒く、目は爛々と輝いている。今にも押し倒しそうな雰囲気だが、そんな色気の有る理由では無い。
「…別にそんな事で嘘は言いませんよ。
顔を離して下さい、近いですから」
「…はい」
慣れた様子でアレクシアがあしらうと、渋々と言う表情でレインノートが退る。
アレクシアはまた溜息を吐いた。
そんなやり取りを後目に、ジーナが門番に家紋入りのペンダントと通行許可書を見せる。
序でにレインノートの事を話すと、門番の兵士は苦笑いしながら頷いた。
「もう何回目だお前」
「今年はまだ二回目ですけど」
「そうか?しかし今日は珍しいな、地上に降りるなんて」
「お嬢達も一緒なんで」
門番とレインノートが言葉を交わす。
いつもは空を飛びながらの挨拶なので、今回はちょっと新鮮な気分である。
「顔見知りなんですね」
「えぇ、年に数回は来るんですよ。
もう季節行事みたいな感覚でして」
くすりと笑うジーナの質問に兵士が苦笑しながら答えた。
以前は母親と一緒に来ていたが、ここ二~三年は一人で来ている。もうお互い慣れたものだ。
普段は昼の内に飛んで来て、通行証代わりに炎竜女王の鱗を見せ、そのまま国境を飛び越えていく。
「最初は赤ん坊だったのになぁ」
「…僕もうすぐ九歳ですよ」
「あっはっは!そうだったな」
仏頂面のレインノートの愚痴を、門番は少年の頭を撫でながら笑い飛ばした。
そんな態度だが、この場に居る全員が知っている。
少年の母親は大陸の三本指と称された魔女で、この少年も、まだ九歳になるかならないかだが魔力量に関してはそこら辺の大人より多い。
「レイン君が本気出したら、町が滅びますかね」
「怖い事言わんで下さいよ」
「流石に無理ですよ」
口に人差し指を当てたフラウの呟きに、兵士は苦笑いしレインノートは口を尖らせた。
何だかんだ言っても、魔力は有限だ。アレクシアの護衛二人の方がまだ魔力が多いし、衛兵達も居る。
人相手ならレインノートより慣れている筈だ。多分早々に捕えられるだろう。
もちろんそんな事案をしでかす気は毛頭無いが。
予定調和の様な手続きと多少の雑談を済ませ、町に入る。
宿を取ると一息吐いた。
貴族が泊まる部屋としては安い方だが、平民からすればやはり豪華で値段も高い。
アレクシアは平民が泊まる所でも良いかと思っていたのだが、従者達に却下されたのでここにした。
「おおー!なんか凄い…!」
レインノートは単純にはしゃいでいる様で、部屋の中をキョロキョロ見回している。
ふかふかのベッドは、スプリングが利いていて若干弾む。
調度品の花瓶や絵画は、アレクシアの家で似た様な物を見た事が有るが、多分同じくらいの代物だろう。
一応、主賓であるアレクシアの寝室に隣接している使用人用の部屋だが、普段泊まる事の無い豪華さにソワソワしているらしい。
「レイン君、これからの予定を相談するから、来てくれるかい?」
「あ、はい」
護衛の魔法士に呼ばれた。
ジュリオ・ガストンは明るい紺色の髪と菫色の目をドアの隙間から覗かせ、レインノートを招く。
耳飾りのデザインがジーナとお揃いなのは夫婦だからだろう。
「新婚なのに大変ですね」
「まあ仕事だからねぇ」
気楽に応える様子は寧ろ楽しんでいそうだ。
新婚旅行も兼ねていると言いながら、アレクシアの右後ろに立った。定位置らしい。
左後ろに騎士ラウル・ウェルズが立ち、アレクシアの両隣にジーナとフラウが立つ。
「ではレイン君、座って下さい」
「はい」
勧められるままに椅子に座った。そして正面にアレクシアが座った。