美しき世界
こんな未来は嫌だなーって
『続いてのニュースです。本日、第XX回国会において人権問題解決のための言語的表現改良に関する法律が与野党の賛成多数で可決され、成立する見通しとなりました。この法律は近年の人権問題に関する関心の国際的な高まりがその背景にあり、同様の法を持つ他の先進国と比較してもより進んだ規制を行う点で画期的…』
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「総理!今回の表現良化法の制定について一言!!」
「今回の法制定により、我が国は人権問題対策先進国としての地位をより一層高めたものと考えています。我が国ではこのような表現規制法案の成立が遅れ、欧米諸国やアジア連合、国連人権委員会からの勧告を受けていました。人権問題が世界的な関心を高める中で、我が国の立場はより一層厳しいものとなっており、状況を打開するべく与野党が力を結集した結果がこの法案の成立です。この法律には人権概念の拡張や適応範囲といった点において、他国のものよりも先進的な内容が含まれており、古くから人権問題について取り組み続けてきた我が国に相応しい法律と言えるでしょう」
「表現良化法に伴う規制措置が憲法の禁止する検閲にあたるという、一部からの指摘についてどのようにお考えですか」
「本法が検閲にあたることはありません。過去にも有害図書の指定など、表現の自由が他者の権利を侵す場合には認められないとする判決が存在しています。また日本国憲法には公共の福祉が優先されることが明言されているわけでありまして、本法はまさに、公共の福祉を守り他者の権利を表現の自由が侵すことないように定めるという法律なのです」
「ありがとうございます。それでは次の質問ですが…」
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「ここからは専門家と一緒に解説を行なっていきます。今回の法案に党組織として唯一反対票を投じた自由党の小笠原さんにお越しいただいております。よろしくおねがいします」
「ああ、よろしく」
「早速ですが、小笠原さん。この法案の成立についてどのようにお考えでしょうか」
「どのように?いうまでもありません。憲政史上最悪の悪法ですよ。政治家は、メディアは、国民は、人権の名の下に近代政治が懸命に守り抜いてきた、根幹とも言える権利をあっさりと投げ捨ててしまった…」
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その法案が成立したとき、私は歓喜のあまりに涙を流した。この人権後進国がようやく他国と並び立つ日が来たのだ。街中で氾濫する酷い人権侵害表現も、もう見ることがなくなるのだ。
あまりの歓喜にこの日の仕事は手につかず、早めに帰宅することにした。上司は渋っていたが、同僚は私と同じ気持ちのようで上司の説得を手伝ってくれた。この喜ばしい日に渋る上司には文句もあるが、同僚には感謝の言葉しかない。
いつもよりも1時間以上早い時間に家についた私は、普段はあまりしない料理を始めていた。多分、テンションが上がっていたのだろうと思う。何を作るか迷ったが、最終的にカレーに決めた。大方の材料を冷凍庫から取り出し、鍋の中に放り込んで煮込んでいく。じっくり煮込んで旨味を引き出すのが美味しい料理のコツだ。
そうして台所に立っていると、子が帰ってきた。
「お帰りなさい」
「あれ、今日は早いんだね」
「いいことがあったからね」
「それでか。なんか嬉しそうだよ」
子がそう言ってきたので、法律の成立について話を聞かせる。
すると子供は
「それでか。先生も嬉しそうにしてたよ。なんか、明日から教科書を変えるんだ〜、って。この教科書をみんなに配ってた」
そう述べた。私はその教科書を受け取り内容を見てみる。
それは歴史の教科書であり、過去の人物たちの行動や思想が事細かく網羅されていた。
特に少数民族の弾圧や人権侵害をおこなった為政者などにはそのことが表示されており、一概に過去の偉人と呼ばれる人々だったとしても良い行いをしたわけではないことがわかる。生徒たちに考えさせるきっかけを作ることができる中立的で、素晴らしい出来のものだった。
「いい教科書」
「先生がね。例え大きな影響を残した人だったとしても、その負の側面を忘れちゃダメだって言うんだよ」
「それはいい教え方」
それっきり、子供はテレビに向かう。
点灯したテレビは電源を落とす前の国営放送を流していた。今はちょうど時代劇の時間のようだ。
役人のような格好をした人が、民間人に話しかけている。
『やや、もしやあなたは視覚に困難を抱えておられるのか』
『ええ。おまけに歳を重ねましてね。生活するにも困難ですよ。さて、幕府のお歴々がなんの御用かな』
子はつまらないのか、すぐにチャンネルを変える。確かに今のはつまらない。生活を行う上で困難を抱える人々に言及する点については及第点だが、年齢や性別、人種的多様性が全くない。駄作と言っていいだろう。
再放送だから仕方ない点もあるかもしれないが、あらゆる人が鑑賞する可能性のある作品については相応の配慮があって然るべきだろう。
だがそれもじきに変わる。法律が施行されれば変わる。
子が回した先のチャンネルは、どうやらドキュメンタリーのようだ。
身近にみる植物についての説明が流れている。
「ねぇねぇ、知ってた?オオルリクワガタソウやニワキマキって昔はオオイヌノフグリやイヌマキって言ったんだって。なんで名前を変えたのかな」
子が尋ねてくる。何にでも興味を持ち、考えることはいいことだ。
「そうだね、〇〇。例えば〇〇が犬を飼っていたとして、犬を馬鹿にされたらどう思う?」
「嫌だ」
「そう、嫌だよね。そしてああいった植物の名前のイヌっていうのは、偽物とか格が落ちるって意味なんだ。犬が偽物の象徴って言われて〇〇は嬉しい?」
「嬉しくない」
「そう、うれしくない。そういう人がいるから、社会全体が配慮して変わっていこうとなったんだ」
子は納得したように頷き、再びテレビに向き直る。納得してくれたようで何よりだ。
ふと耳を澄ませると、何やら騒音が聞こえる。
私は子にテレビを見ているように伝えてベランダに出る。
そこには法案に反対するデモ隊が街中を練り歩いていた。
『多様性を名乗るなら、俺たちの元々の文化も尊重しろ』
『文化狩りを許すな』
『俺たちの元々の文化に差別の意図はないし、そういう意味を見出したこともない』
好き勝手にアジテーションしている。見たところ、大半がこの国の人種で男性の高齢者のようだ。
全く、マジョリティのくせに、男のくせに、年配のくせに配慮ができないのか。
ため息と共に口から言葉が漏れ出る。
「多様性を尊重し、少数派に配慮できないやつなんか、この国にはいらないのに」