3、生存者と人食いナメクジ
市街地に出ると、あちこちから煙が上がっていた。
学校を挟んで東側の住宅街、通称東町だった。
こちらは新しく作られた建物が比較的多く、まだそこそこ栄えている地域だった。
この町は元々、西と東で別の町だったのもが統合されてできている。学校はそのどちらの地域からも通えるように中心にあった。しかし次第に人口が減って行くと、東側の地域の方だけ活気が残り、西側の地域は寂れていった。
ちなみに私がいたスーパーは、西側住宅街から南下した学校よりの場所にある。実家も西側地域にあった。
東側地域に出るよりも、川を挟んだ隣町に出るほうが近い。中心にある大きな山のせいだった。学校はその山の中腹あたり。
栄えている方が被害が大きいなんて、みんな思いもしないだろうな。人が多い方が襲われやすい、何が異世界の生き物を苦しめているのだろう。
『どうしたの、急に静かになって』
ディーネが声をかけてきた。
「ううん、ちょっと考えごと」
『そうか。あそこが1番被害が多そうだよ』
ディーネが言った場所は町の役場だった。建物は半分ほど壊れていて、残っている部分もすぐに崩れてしまいそうだった。
「どこか降りてみよう」
『分かった』
駐車場の方は車も少なかったので、ディーネがいても問題なさそうだった。
『ここには生きている人間はいないようだよ』
「じゃあ建物の中だね。あっちの壊れてるところからならディーネも覗けるかな」
ディーネは壊れた建物の近くの駐車場に降りて、私は壊れて剥き出しになっている2階の廊下へ入れてもらった。上の階は何故か廊下の先は行き止まり、非常扉のようなものが閉まっていた。
「誰かいますかー!」
大声で叫んでみたが、返事はなかった。近くには誰もいないようだ。
1階部分は崩れていて、違う場所から中へ入るしかない。どこか降りる階段を探さないと行けないだろう。すぐ先にはエレベーターが見えるが、電気はついてないないので多分止まっている。上から見て屋上には誰もいなかったから、4階までのどこかにいるはず。
あんまりディーネから離れると、ヤバい奴がいた時に助けてもらえない。そこまで離れないように見てまわろう。
「少し見てくるね」
『気をつけて』
少し歩くと、トイレがあった。ドアは歪んで少し空いたまま動かなくなっていた。声をかけてみたが返事もなく、誰もいなかった。
その先には廊下が続き、少し先に広いロビーが見えて多分窓口がある。
廊下を進むと、窓の外にディーネの顔が見えた。どうやら手をどこかについて覗き込んでいるみたいだった。
『何か来るよ』
「え!」
ビクビクしながら進み、ロビーに出るとそこには何人も人が倒れていた。
「嘘でしょ、やばいじゃん」
ロビーを見渡してみたが、おそらく生存者はいないと思う。あとは窓口の奥にあるデスク、その向こうにもドアが一つあるのが見える。
上から見て、そこまで広いスペースはなかった気がするので、多分狭い部屋がひとつくらい。
ーー‼︎
窓口の奥の方から音がした。
何かが動いているが暗くてよく見えなかった。
ズルズルと何か引きずっている、重そうな音が聞こえる。おそらく3番か4番窓口の方。
それはその両方の窓口から出てきた。黒っぽく光るアメーバみたいな何か。
ゆっくりと足のような固まりの端っこがウネウネと動いている。
「スライムみたいな奴かな」
動きは遅く、すぐにこちらにくることはなさそう。大きくて驚いたが、そんなに危険な奴じゃないかもしれない。
『何がいたの? 何匹かいるはずだけど』
ロビーの窓にディーネの顔が見えた。
窓の側まで走っていき、割れている窓の所で声をかけた。
「なんか液体の、黒くて大きい奴がいたよ」
『液体?』
「あそこにいる」
黒っぽいスライムは窓口からでて、もうロビーに出てきていた。7番が最終で窓側にあった。あと4メートルくらいの距離だろうか。
ディーネはよく見えなかったのか、少し窓を壊して顔を突っ込むんできた。
『まずい! 急いで出て!』
「え? やばいの?」
ディーネはそのまま私を口に咥えて頭を外に出した。そしてパッと建物から距離を取る。
ディーネは私を地面におろすと、私を隠すように建物との間に入ってくれた。
『あれは人間の体液を吸って少し変化しているな』
「血を吸ってるの?」
『元々は植物の水分を吸って生活している生き物だ。色もほぼ透き通っている。大きさもあんなに大きくはない。ナナよりも小さいくらいのはず』
「そんなことなかったよ。あのスライム3メートルはあったよ」
ディーネは窓の方を見ていた。私は背中によじ登って、背中越しに見てみる。
窓までたどり着いたスライムは、目的を見失ったのかまた中へ戻っていた。
遠くから見ると、大きなナメクジのようだった。
『きっとあれもおかしくなっているんだろう。ここは頭に響く音はほとんどなくなっているから、原因になるものは壊れているだろうに』
「人間食べちゃって、もう美味しくて仕方ないってこと?」
『だとしたら危険だ。あれは火で燃やすくらいしか退治できない』
冷静な口調で淡々と言うので、危うくそのまま聞き流す所だった。それはよっぽどでないと死なないということ。ディーネは火を使うドラゴンではない。つまり、
「ディーネでは勝てないってこと?」
『そうだ。私には何もできない』
「それはやばいね。早く逃げよう」
私も餌になる前に逃げよう。もう私の頭の中には誰かを救うなんて言葉はなかった。
『だいぶ減ったがおそらく3人、まだ生きている人間がいる』
「3人! この階はいなかったよ! もう!」
私はディーネの背中から首を登って、失礼しますと頭に乗った。
「生きている人は出てきてくれないと連れてかないよ!」
今まで出したことのないほど大声で叫んだ。そして後から気がつく、意味の伝わらなさそうな内容。
『反応しているな、動きがあったよ』
確かに、4階のロビーの窓の方で何かが動いた。
「助けてくれ!」
人の顔が見えた。ようやく生存者が出てきたようだ。
「ディーネ! お願い!」
ディーネは両方の手を窓の方へねじ込んで、手のひらを広げた。
『急いで乗ってくれ』
窓から叫んだのは男の人だった。その人は子どもを抱えていたようで、ディーネに戸惑いながら私を見た。
「大丈夫! 私たちは敵じゃないから!」
男の人は覚悟を決めたのか、ディーネの手のひらに乗った。その後ろからもう1人、誰か走ってきていた。
「も、もう1人います〜」
こちらも男の声。足が遅いのかやっと手元までついて、どうにか乗ったようだ。
ディーネは手を引き抜くと、そのまま羽を動かす。
『飛ぶよ』
「もうほとんど飛んでるー」
私は何とか角に捕まってバランスを取った。
ディーネが手を引き抜いたこと、そして勢いよく飛んだことで建物はさらに崩れた。
手のひらに乗った人たちも身を寄せ合っていて、多分かなり驚いている。私も初めてドラゴンを見た時はそんなだった。
「そんなに急がなくても」
私が上から顔を覗き込むと、ディーネは少し困った眼をした。
『いや、ナナが大声を出したせいか、集まってきていたよ』
「あのスライムナメクジ! 音に反応してるの! 厄介な奴!」
私のせいで危険に陥っていたらしい。手のひら3人は不思議そうな顔をして私を見ていた。
『とりあえず、この人間たちを運ぼう』
「そうね、学校がいいかしら。とりあえず危険はなさそうだし」
ディーネはそのまま飛んでくれた。
私はそろそろと頭を滑り降りて、腕を伝って手のひらまで行く。
「あんた何者なんだ」
私が声をかける前に、子どもを抱えた男が口を開けた。もう1人の男を見ると、こちらはビクビクおどおどしているだけ。
「何者って言うのは人間かって意味?」
「そうだ、これは見るからにドラゴンだろう。何でこんなのがいるんだ。それにあんたはこれに命令してる」
「命令しているわけじゃないけど、私は人間。1番最初にこのドラゴンに助けてもらった人間」
「ドラゴンに助けてもらった?」
「そうだよ。私もね違う場所で、岩みたいなネズミが暴れているところにいたんだけど、この子が助けてくれたの」
「ドラゴン、ね。さっきのナメクジみたいなやつといい、一体何が起きてるんだよ」
「それは現在調査中ってことにしといて。私たちもまだよく分かってない。とりあえず、救える命を見つけてまわってるってだけ」
「そうかい」
「その子は大丈夫なの?」
「怪我はしてねぇよ。ちょっとビビってるだけだ」
男に抱えられていたのは、まだ5歳くらいの男の子だった。怖いけれども触ってみたいのか、ディーネの手のひらを触ろうと手を伸ばしたり引っ込めたりしていた。
親子だろうか。子どもは私と目が合うと、ふいっと男の胸の中に顔を隠してしまう。
「もう1人のお兄さんは?」
「ぽ、僕ですか!」
細身のスーツ姿の若い男。多分役所の職員だろう。
「いやあんたしかいないだろ」
もう1人の男に言われ、おどおどしながら口を開く。
「ぼ、僕はおうちに帰りたいです」
私はため息を吐いた。隣の親子の方に顔を向けると、男が首を振った。
「家ってこんな状況で帰れるわけないでしょ」
「この兄ちゃんとは話しても無駄だと思うよ。あそこでも話してみたが、ちょっとズレてる。今年入ったばかりで仕事もできねえし。やる気と責任感ある奴らは俺らを守るために死んだよ」
スーツの男は褒められてもいないのに照れたように、えへへへ、と笑っている。
私は何だか突き落としたくなったがなんとか思いとどまった。早く学校に着いたらいいのにと、そればかり思った。
もう数分もすれば学校まで着くだろう。空を飛ぶと移動は簡単だし早い。時間を有効活用できる。
「私だって救ってもらう側が良かったけど、そうもいかなかったんだよねー」
誰にも返事がもらえなかった。
「私はこのドラゴンに助けてもらって、話をしたの。唯一分かっていること、この子達は異世界からきた」
「んなことは分かってるだろ!」
完全に苛立っている、私が和ませようと少しおかしく話したことが裏目に出たようだ。
「おじさんと僕のお名前は?」
「俺は太郎で、子どもは二郎だよ」
不服そうな返事だった。それで明らかに嘘。
「太郎さん、このドラゴンたちは本当に異世界からきたんだって。そしてさっきの人を食べてたやつだけじゃなくて、もっと色んなものがいるみたいなんだよ」
相変わらず睨みつけるような視線だが、話は聞いてくれるようだ。
「まあ聞いといて損はないでしょ。私は今、この異世界から来た生き物たちと、生き残っている人たちとを別々の場所に運ぼうとしてる。南の方の廃墟街に生き物たちを、そしてあなた方はとりあえず学校に。まあ見つけた生存者という意味で、運ばれるのはあなた方が最初ですけどね」
「俺たち以外は、死んでたのか?」
「あの場所ではね。1番危険な場所を見に行ったつもりだから、よく生きてたなって感じ」
「そうか」
男は少し辛そうな顔をした。もしかしたら奥さんか誰か、他の家族も一緒だったのかもしれない。
『そろそろ降りるよ』
「はーい」
そういえばディーネは会話に参加してこなかった。そしていつの間にか、学校はもうすぐそこだった。
ゆっくりとグランドに降りると、ディーネは手のひらを地面につけた。
「降りていいよ」
私が言うと、3人は素直に従って降りた。スーツの男はやっぱりおどおどしていた。
学校の方からは誰も出てくる様子はない。
「太郎さん、もし何か聞かれたら、私がした話教えてくれる? 電話はつながらない、役場は崩壊。残った職員はこの人だけ。助けは待っても来てくれないと思うよ。だから誰か手伝ってくれると嬉しいなって」
話しながら悲しくなってきた。
現実は厳しい。私はディーネに助けられたから、話をしたからこの子を信じることができる。空から状況が見えるから、助けなんて来ないことを知っている。
「ディーネ、次に行こう」
私は再度手のひらに乗り、背中側へ回った。ゆっくりと羽が動き、ディーネの身体は宙へ浮く。
「じゃあ、よろしく太郎さん」
返事はなかった。
私とディーネはまた東側の住宅街へ向かった。