3、現状分析
空から見ると、さっきの水の玉から出た水量が想像よりも多かったらしく、様子を見に行った住宅街の方まで水浸しだった。
空からの景色は酷いものだった。近くしか見に行けていなかったため、自分の周りでは何も起きていないだけだった。
私の車を潰したように、何かしらの生き物が暴れているのかもしれない。遠くから聞こえていた地震の音、地鳴りの音ではなく様々な生き物の咆哮、暴れている振動からのものだろう。
車にはまっていた生き物は、何故あんなにも暴れて叫んでいたのだろう。私を掴んで飛んでいるこのドラゴンはどうして暴れることもなく、人間である私を助けてくれたのだろう。
始まりの大きな地震は、この生き物たちが現れたせいだったのだろうか。これは本当に世界の終わりなのかもしれない。
「みんな無事だといいな」
私の呟きを聞いたのか、ドラゴンは私を背中に乗せてくれた。顔を私の方を向けてきて、
『ごめん、分からないよ』
という人のものに似た声を出した。
このドラゴンが話したのだろうか。私の言葉を真似した、という事になるのか。不安に思いながらも、とりあえず言葉を投げかけてみる。
「君は賢いね、どうして私を乗せてくれたの?」
返事はなく、ドラゴンは前を向き直してしまった。やっぱり会話は難しいのだろうか。どうしたものかと躊躇っていると、ドラゴンの周囲に水滴が集まってきていた。また球状に集まるのだろうと思っていると、私の周りに集まってきて手や足にくっついた。
瞬く間に全身を包まれ、息ができなくなると思い呼吸を止め、ついでに目を閉じてしまった。ハッとして見てみると、水は無くなっていて私は濡れてさえいなかった。
『驚かせた。気を悪くしないでね』
頭上から声がした、このドラゴンが話しているようだ。
「……言葉を使ってる」
『あなたの頭? 少し見た。言葉、ちょっとなら理解したと思う』
魔法と呼ぶべきだろうその力に驚き、そして高ぶる気持ちがあった。
「すごい! 魔法みたい! かっこいいね!」
『すごい! 魔法みたい! かっこいいね!』
復唱されてしまった、改めて聞くとなんとも恥ずかしい、緊張感のない言葉だろう。
「ごめんなさい、もっとしなければならない話があるよね」
ドラゴンは笑ったように小さく鳴いて、空を飛び始めた。様子を伺うような、そこまで高くは飛翔せず、ゆっくり飛んでいるようだ。
田畑ばかりの場所は大丈夫そう。建物が多いところではやはり何かが暴れているような音が響き、煙が上がっていた。
『私も何が起きているか、詳しくは分からない、それほど突然ここにきた。ここは今まで、私たちが暮らしていたところとは違う』
君に分からないことが私に解読できるとは思えない。この世界のことなら少しくらいならお話しできるだろう。しかし私から言語を習得したのなら、もうすでに教えられる事は無いのだろうと、上手い返事が見つからない。
「私も君たちみたいな生き物は見たことがないよ」
ただそう返しただけだった。
『私のいた場所には人間はわずかしかいなかった。そしてだいぶ前に滅んだ。それでも一緒に生きていた過去がある。こんなに嫌な感じがする場所ではなかった』
「嫌な感じがする?」
ドラゴンは言葉を探すように、口を開いては閉じを繰り返してから言った。
『……音や臭い、空気、何かが不快だ。頭に何か衝撃がくるような、響く感じ』
子どもにしか聞こえない音があるように、ドラゴンにしか感じない音があるのかもしれない。
「私たちには問題がなくても、君たちには害なものがあるんだろうね。この世界には君たちのような生き物はいないはずなんだ。何が起きているか、分からないけど」
ひと通り観察できたのか、ドラゴンは飛び回るのをやめた。宙に漂うように浮かんでいる。
『私たちがいた場所の自然は死んだ。何ものも生きることはできない。そして私たちよりも上位の存在が、生き残った全ての生き物をまとめてどこかへ運んだの』
理解が追いつかずに、何も応えられないでいると、ドラゴンは続けて語った。
『私たちは死を予感していた。世界の終わりに自分たちも滅びる。しかしそうではなかった。突然身体を何かに囚われた感覚があり、転移したようだ。近くにいた生き物も一緒だった。それに、他にも沢山の力を感じた。こんなに沢山の転位、私たちではできない力、もっと高位の生き物』
ノアの箱舟よりも更に上等な船に乗って、しかも違う世界に運ばれた、という解釈であっているのだろうか。
私は学者でもなければ、政治家でもない。ただのその辺の主婦で、いきなり現れたドラゴンに、この世界の気候はなんだとか、好きなところに住むといいとか、言える知識もなければ立場でもない。
生きるのも辛いこんな世の中に、夢や空想の世界の生き物が現れたという奇跡を目の当たりにした。私はドラゴンと会話ができる、魔法を見た、ラノベだ、それしか思いつかない。
「この世界では君たちはドラゴンと呼ばれるものに近くて、物語、空想上にしか登場しない。かなり前に流行になった小説やライトノベルってやつ」
ふざけて聞こえてしまうような真面目な話、間違ったことは言っていないはず。
『私の世界のものはバラバラになっている。近くにも、遠くからも気配が感じられる。言葉が話せるもの話せないもの、友好的なものもそうでないものもいる』
ドラゴンは少しずつ下降していくと、畑のど真ん中に降り立った。ちょうど何も植えられていない時期でよかった。
私の体を軽く掴んで降ろしてくれた。
見上げてみると、一軒家3人暮らしの我が家と同じくらいはありそうな大きな身体をしている。話しやすいようにか、頭を下げて私の顔の方へ寄せてくれた。
『おそらく私は力が強いから、この世界の影響を多少受けたところでなんともない。それは他の強いものもそう。力が弱いものは狂ってしまうみたい』
「さっきの水かけた子みたいに、か」
『あの種は群れて行動する。仲間がいないせいもある。私たちは戦いたいわけではないから』
「戦いたいわけでない、そうね。人間もきっとそうだよ」
ドラゴンは同意を示すように瞼を閉じて応えた。
人々はこの世界では最上位の存在だった。人間たちで争って数を減らし、そしてここ最近は自然災害、いわゆる天災によって生きることもままならなくなっている。
人間よりはるかに賢くて強い生き物、ドラゴン。私たちなんて踏み潰されてすぐに死んでしまうだろう。呆気なく一生が終わる。それでもこの子は私を殺すことはなく、仲間を助ける為にも会話をして何ができるかを探っている。
このドラゴンは賢い。そして道徳的という言葉がふさわしいか微妙だが、私への対応もなかなか難しいことをやっている。会話が通じなかったのに、助けてくれた。こちらに合わせて話をした。殺されても仕方のない弱さ、一度人間を滅ぼしてからでもこの世界に住むことはできるのに。それでも対話してくれるこの配慮。尊敬すべき存在だと痛感した。
ドラゴンは人間より、頭も心も何倍も優秀なように思えた。
『私はこの混乱を止めたい。仲間たちを失いたくない。この世界で生きる機会を得たこと、感謝している。そう、私はこの世界を壊したくはない』
ゆっくりと瞼が開いて、優しい眼差しが見える。
「私たちは敵ではないってことは充分伝わったよ。この状況をなんとかしたいってのは同意するけど、一体どうしたら収集できるのか、検討もつかないよ。君たちが現れたことで、その時の衝撃で、この世界にも何かが起きてるんだろうし」
『私たちが生んでしまった混乱、理解している。対処するためにも、私は会話できるものを探していた。お前の先に見たのはダメだった』
他にも人に会っていたようだ。それにしてもどうして私だけなのだろう。
「他の人、なんでダメだったの?」
『私が現れた衝撃で、近くの命は尽きていた。弱き命には近づかなかった。私たちは強い力、影響を持つ。弱き命は消えてしまうから。適当な人間を探して飛んでいた』
どうやら会話を試みたのが私だけだったようだ。他の人は無理そうだからと近づかなかった。
「弱き命? 子どもたちかな?」
『違うかな。まもなく命の尽きるもの、弱き命のこと』
「弱ってる人? お年寄りとか病気とか、そうかそうか」
この辺りの人口はほとんどが高齢者だ。そう言う意味では、確かに会話のできる人は少ないのかもしれない。お昼時で働ける人は外に出ているだろう時間帯だ。
「話してみてわかったけど。まあ私たちはなんとか一緒にやっていけそうだよね。えっと、お名前は?」
ドラゴンはフーと鼻息を出して、おそらく眉間のあたりを、私の体の正面に持ってきた。そして頭をさらに下げ、顔と私の体で相対する形になった。
『私はここの言語での水を司るもの。命を育みとこができ、見守ると同時に全てを清め流す』
「おっと。急に難しい話になってきたよ」
ドラゴンは鼻を鳴らすようにふっと息を吐いた。なんだかやっぱりこうしてみれば、そんなに怖い生き物ではないのかもしれない。
『この世界の言葉で構わない。私を呼ぶにふさわしい名前を決めてほしい』
「えー! そんな急に言われても」
確かにドラゴンと呼び続けるのは不便だが、いきなりこんなことを言われても良い名前なんて思いつかない。
「青とか緑とかはどうすか」
『ただの色の種類ではないか。意識の浅いところしか見ていない私でも知っている言葉。もっと深く考えよ』
鼻先でお腹のあたりを軽くどつかれた。ご機嫌斜めになってしまったようだ。こんな時に頼りのインターネットは使えない、自分の中にある頭の良さそうに聞こえる言葉はなんだろう。
キーワードは水、青い、海、緑、淡い色、ドラゴン、精霊、妖精、命、流れる、清める……。
「ウンディーネって、水の妖精だった気がするんですけど、いかがでしょう」
『ディーネか、いいだろう。お前の名前は』
ウンは聞き流されているのか、聞こえなかったのか、無きものとされていた。気に入ってもらえたのなら、特に訂正する必要性は感じなかった。
「私はナナ。千寿凪々。えっと、海に風が吹いていない静かな状態を意味するらしいよ」
『良い名前。この混乱を静かな状態にして欲しいものだね』
混乱の波を凪にするとは、なかなか上手い言い回しだが、そこまで期待されてもできる気がしない。
『私の頭に手を』
言われるがままに右手を乗せた。
ディーネは瞼を閉じてふっと息を吐いた。
『私はディーネの名をもらい、センズナナと共に戦おう』
そう話すと、触れていた手のひらが急に光り出した。手の甲にはディーネと読めなくはないような、文字のような模様が現れた。ディーネの瞳と同じ色。
『私たちはは共に戦う戦士になった。良い世界のために共に進もう』
どうやら私の運命はこのディーネと共にあるらしい。名前をつけると、こいういことになってしまうのか。
「これって契約みたいなやつ?」
『そうだろうな。私も初めてだからよく分からない、人という種族はあまりみたことがないからな』
「そんな。分からないことばっかりだよ」
私は生まれて初めてドラゴンにあって、たった1時間程度過ごしただけだった。いつの間にか、世界のために、戦うためにドラゴンと契約してしまった。
状況が理解できているような、やっぱりできていないような。
混乱した世界の中で、死にそうな目にあった私は、通りすがったドラゴンに助けられていつの間にか契約していた。