鼠化かしの扇の踊り
「さて、昨夜はずいぶん遅くまで講義だったらしいな」
「先生も寝坊するんですね」
僕が寝ぼけ眼で食堂に来ると、ハルクとメイメイはすでに粥を食べ終えていた。
「ああ、白熱したよ」
「なあ、久しぶりに会ったんだ。俺が踊るのを見ていけよ」
ハルクは提案する。食後すぐに踊って大丈夫なものなのだろうか。まあ大丈夫か。襲名してから初めて会った訳で、その踊りにも磨きがかかっていることだろう。ぜひ見ておきたい。
踊り子としても観客が多ければやりがいが増すという。神殿や僧院の食事時というのは舞踊を披露する場所と時間として適切だ。ここで祀られる狐の神に捧げるような踊りも彼のレパートリーにあるということだろう。
「なあ皆さん! 予定にはないけどまた今から踊ってみせていいかな?」
朝食のピークを過ぎてはいたが、食堂にはまだ神官が残っている。その中で最も権限があるらしい人が「良い」とのサインを出す。ハルクは軽く体を動かして足運びを確かめつつ、演目を宣言する。
「それでは始めよう……『鼠化かしの扇』!」
あまりにも有名な踊りだった。
豊穣を食らう鼠の敵が狐だ。鼠を惑わすという扇は、お狐様を表す持物の一つである。術式でも、参照先の神話として教程の初歩の初歩で提示される。
これを踊るのは実は僕も多少できる。頭を振り回すところで平衡感覚を保ち、次の体の動きに滑らかに繋ぐのが難しいのだった。
そこへ来るとハルクはさすがだ。基本的だが非常に奥が深く、扇を幻視させるに至るという達人の域には到達しがたい。
しかしハルクの後ろにはもはや扇どころかお狐様の体躯すら見える。知っている絵画や偶像とは違う姿を取る。つまりこれは僕が絵画や偶像を思い出しているのではなく、ハルクが作り出しているのだ。
僕が魔法を見る眼を鍛えているから見えているという訳でもない。神官たちにも見えているようだ。神官たちはお狐様を念想し慣れているだろうが、メイメイも「あの、後ろで踊るのは神様ですか」と言っているので見えている。
朝から凄まじい体験をした。
驚きはそれに止まらない。締めくくりにハルクは蛾の羽から鱗粉を撒く。
何をやっているんだ、と思った。彼は毒の粉を撒くことができるものだった。在学中には薬の粉をも撒けるようになり、薬師や錬金術師、癒師の道も勧められていた。
毒はもちろん、薬を撒くというのもよろしくないのではないか。変幻自在は少なくとも、純粋な身体の動きの良さを尊ぶはずだ。そこ以外で客に喜びをもたらそうというのか。
しかし見ていると、鱗粉は普通の量では毒でも薬でもないただの色のついた粉のようだ。
僕はこれには思うところがあった。体から発される毒を無毒化する技術は、まさしくメイメイのため求めてやまないものだからだ。
「へへ、かっこよかったろ?」
ハルクは踊りを終えて喝采の中こちらへ戻る。
「ああ。よかった。すごくよかったけど、聞きたいことがある。あの、鱗粉を無毒にしたのは……」
聞こうとすると、ハルクは遮って逆に問うてきた。
「ん。ちょっと待ってくれ。先に聞いていいか?」
話し上手の聞き上手な彼らしくもないことだ。よほど重要なことだろうか。しかし尋ねられたのはよく分からないことだった。
「最近、技芸の神から言葉を受け取ったか?」
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