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祈祷術式

 住居を求めて僧院に立ち寄ったところ、旧友ハルクと出くわした。


「ところでお前、ハルクにはなれたのか?」


 文脈を共有していなければ意味のわからない問いだ。妖精族ではよくあるが、彼の支族にも襲名というものがあり、彼は変幻自在(ハルク)の名と舞踊の伝統を受け継ごうと熱望して、学生時代も幼名ではなくハルクの名で通していた。

 なお、これは別に悪いことではない。その名前を勝手に名乗って、結果的に受け継げなくても、大きな問題はないとされる。一定の年齢に達する前の名乗りは効力をなさないと考えるからだ。


「へへ、バッチリさ。先代に認められ、無事襲名だよ。お前みたいに師匠から自分を超えたとまで言われることはなかったけどな」


「いや、あれは儀礼的なやつだよ。僕がクルグ師を超えられたとは思ってない」


 学位授与祭では師匠が弟子に、ある面でお前は私を超えた、と伝える習わしがあった。クルグ・トランス博士もそれに従っただけだ。


「つもる話は後だ。神官さん、この人は間違いなくボルフ・ベイルフだと俺が保証するよ。祈祷術式を見せてやってもいいんじゃないかな」


「ええ。ではハルクさんには待機していただき、ボルフさんはガルハ神官について行ってください。そちらの方は……」


「助手のメイメイです。魔法については教えていません。術式を見ても理解はできない一方、耐性はあるので精神を焼かれることもないでしょう。連れて行ってもよろしいでしょうか?」


「できれば避けていただきたいものですが、どうしてもと言うなら」


「私は構わん」


 最初の神官は渋るが、ガルハさんは快諾した。


「その者に魔法理解がなく、精神強度があるのは確かだ。ボルフ殿がそういうなら同伴を許可する」


 そうして連れられて、祈祷の間に着く。狐の耳や尻尾をもつ高位神官たちが声を揃えて祝福の言葉を捧げている。かなり有名なものだ。僧院がタダのような価格で売る聖木板も、冒頭にこれの簡略版を掲げる。ちょうど終わる所のようだった。


「皆、専門家を連れてきた。外部の者だが、至高の魔術師ボルフ殿だ。クルグの直弟子だな」


 古参らしい雰囲気の歳を取った高位神官たちが値踏みするような視線を向ける。


「さっき聞いたが、あのクルグが学位授与祭で『師匠超えの寿ぎ』をやったそうだ」


「何……? 伝説の大学者カウブ師を『勉強家』と言う以外で人を褒めたことがないクルグが? 弟子が自らを超えたと認めたと……」


 誰にでもやっていると思ったのだが、そうではないらしい。

 しかし、これは自慢話をする初めての機会かもしれない。


「クルグ師が人を褒めるのはもう二人聞きましたよ。初代聖王ジューリ陛下を『努力家』と言うのが一つ。もう一つは、大したものではありませんが、私の研究成果を『結構』と」


「結構と言ったのか!? クルグが!?」「やつにそんな語彙があったのか」


 思ったよりも大きな驚きをもって迎えられた。


「ちなみに何の研究を……」


「長老方。あまり客人を困らせなさるな。祈祷の術式を展開しよう」


 ガルハさんが止めに入る。しかし僕は断りを入れる。


「それには及びません。この採光窓に掘られている文様が術式ですよね? 何重にも暗号化されていますが、終止符号とともに『これが終わり』とあるところで終わりでしょうか」


「確かに文様が術式を記述しているのだが……この短時間で深層まで読めたのはそなたが初めてだ。だが読み違いがあるな。この文様に終止符号はない。六層の終わりで突然途切れているのだ。これがいくつかの不都合を起こし、その場その場で対応して行った結果術式が矛盾に近づきすぎているというのが問題になっている」


「いや、十一層までありますよ」


 祈祷の間のあちこちを指差していたガルハさんの動きが止まる。


「今、なんと?」


「文様が記述している術式は十一層まであります。魔法陣の補助をつけて読み上げましょうか。九層までなら精神が焼かれることはないでしょうし、八層までなら素直に理解できるはずです」


「驚いた。我々の理解が表層に止まっていたとは……ぜひご教示お願いしたい」


 そこで多重立体魔法陣を開き、手振りを合わせつつ口頭で述べた。七層までは高位神官のほとんどがついてきたが、八層に入ると五人に一人ぐらいが頭痛を訴え退出した。八層が終わる頃には半分まで減った。


「まだ、いける。九層を。次を教えてくれ。知りたい。一つ一つの線、一つ一つの音節、一つ一つの手の動作に目を開かせられるようだ」


 ガルハさんは多少息が荒いが、それは負荷のためというより興奮のために見えた。九層も理解しそうだ。すごいのは、これを聞く中で理解力と精神強度を急速に高めていることだ。面白い。手応えの薄い魔法使いが多い中、ガルハさんはかなり「できる」。ひょっとしたら僕よりも才能がある。


「次を。その次を。知りたいのだ。教えてくれ」


 求めるガルハさんに、僕は術式を記述していく。神官が気分や体調の悪化を訴えて減りゆき、九層を最後まで聞いたのはガルハさんと長老たちだけだ。

 十層に入ると長老たちも一人また一人と減って、とうとう僕はガルハさんに一対一で教えていた。メイメイも僕の膝で寝ている。


「……『これが終わり』」


 ついに終わりに達した。積み上がった立体魔法陣は広い祈祷の間をほぼ埋め尽くしていた。ガルハさんは目を輝かせる。


「非常に面白い……! 最高の体験だ。まるで目に見えないお狐様が私に聖なる息を吹き込むような」


 僕にとっても素晴らしい体験だった。

 クルグ師の他に、これほどの魔法使いがいたとは。


 ——【至高の魔術師】が高位神官ガルハに魔法術式の理論を本格的に教えるのは、もっと後の話になる。

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