最初の戦いへ
「いやあ、僕らの雑技団ってふつう十五日、団員の要望があって三十日しかひとところに滞在しないんだけど、仲間扱いでここにいていいのかな」
追放から六日が経とうかという夜、寝たメイメイを起こさない程度にしめやかに、セリナ宅でテーブルを囲んでいると、ペルペがそんなことを言い出した。
「問題ないよ!」
セリナが断言する。実際、問題ない。敵は強大だ。長い戦いとなろう。あちこちに仲間がほしいところだ。そのためには、各地を飛び回る旅芸人がいるというのは心強いと言えた。
しかしセリナが問題ないと言ったのは、違う考えからのようだった。
「あと二十四日ぐらいで片せばいいんでしょ? よゆーよゆー!」
短期決戦想定だった。
「いや無理でしょ。相手は貴族も一枚噛んでる。武力もある。こちらから突っ込めば【五振りの剣】には勝てない。ということは向こうは何もしないだけで勢力を広げられる。僕たちに当分の間できるのはそれをその場その場で阻止するぐらいだ」
「あのね。奴らは魔法使いとして君を呼んだ。呪文校正に関して世界最高の君をね。なのにミス報告が増えたと言って追放したんだよ。呪文校正の腕前を証明するものを無能と考えたってわけだよ。こんなバカなことある?」
正しい。圧倒的に正しい。僕も同じことを思っていた。
「バカだとしても、武力と権力を持ってるバカなんてのはかなりタチが悪いと思うぞ」
「貴族が一枚噛むって言っても、正式にギルドとして擁立しない程度だよ。力が落ちればスライム分離で見捨てるに決まってんじゃん」
まあ、それはそうだ。ちなみにスライム分離というのは、体の一部を分離させ囮として核がある方が逃げるというスライムの生態に由来する言い回しだ。そういえば最近この辺ではスライムなんて見ないな。
「力、落ちるかなあ。放っておけば増す一方じゃないかな」
そこに無茶な前提が入っているのだ。相手の力が落ちればこっちのものだとしても、相手の力を落とすのがまず難しい。ところがセリナは信じがたいことを口にする。
「あれ、知らなかった? ええと、あいつらボルフ印の魔道具の量産に踏み切ったんだよ」
「は? なんで?」
せっかく神秘を帯びさせた魔法術式の転写を大量に行うなど、狂気の沙汰だ。神秘とは少数で難解だから強力だと、知らないのか。
「バカじゃないの?」
いや、バカなんだけど、そこまでとは思わなかった。
「いやあ、そもそも哲学ギルドの外じゃ神秘付与って概念自体が都市伝説扱いだから、ここはそんな非難ポイントではないかなあ」
「いや、常識でしょ……神秘付与は……」
芸人にして魔法使いでもあるペルペの方を見る。
「神秘付与って本当にあるのか? 冗談じゃなくて? 民話で神様が使うやつだよな?」
常識ではないらしい。確かに真っ正面から構文を書き換えると気が狂うような(本当に気が狂った人もいたらしい)難易度だが、書き出す時点で神秘付与を念頭に置いて呪文を綴れば、単純な文字列置き換え術式で可能だ。ちなみに僕はこれで第二学位を取得した。
滅多に人を褒めない、伝説の修辞学者カウブ師と初代聖王ジューリ公以外を褒めたのを見たことがないクルグ・トランス師が、この発見と定式化に関しては「結構」と一言だが僕を褒めてくれた。クルグ師を知る人に会ったら自慢しようと思っているが、その機会はまだない。
「とにかく、そういうことだからあいつらの力はある程度は落ちる。そしたらボルフを攫いに……いや、最初は呼び戻しにきて、断ったら次は攫いに来るんじゃないかな。この流れだと本拠地の外での戦いになるね」
「そうかな……」
僕に価値を見出さずに追放しておいて、簡単に呼び戻しに来るだろうか。そう思ったときだった。セリナがかすかに顔を玄関の方へ向ける。
「そうみたいだよ。たった今四百聖歩以内に入ったね」
僕はため息をつき、無言で魔法を行使し一瞬で着替えた。
「うわっすげえ」
ペルペが驚きの声を上げる。そう言えば彼は似た芸を披露していたか。このぐらいで感心されてもな。
「さて、じゃあ行ってくるか」
「一人で大丈夫? ボルフって魔法戦闘しないタイプでしょ?」
その通りではある。だが今回は安全に勝つ算段があった。
「安心してくれ。それに」
せっかくなので勿体つけてみせる。
「メイメイが起きて僕の不在に気づいたら、二人がかりじゃないと止められないぞ」