力の差
一向に攻撃は当たらず、常に余裕を見せるジェル姫に対してエリルは痺れを切らしていた。
「そんなにムキにならなくても、古来種とやらを使ってみなさいよ」
その一言でエリルは風を纏う。
「後悔しないでね」
スピードは格段に上がり、一歩でジェル姫の真後ろに移動する。その動きは確実に背中への一撃を遂行に至らしめた…はずだった。しかし風の力はまるで何かに溶け込むように消えてしまったのだ。
「流石に速いわね。でも速さだけでは私の綺麗な肌にまでは辿り着けないわよ」
ジェル姫の背中は水の膜で覆われ、エリルの拳の威力を相殺していた。そのたった数センチの薄い膜だけで、あの攻撃を吸収したと言うのだろうか。
「そろそろ終わりにするわよ。『水切』」
エリルはすぐに後方へと避けるが、それと同じ速さで水が刃のように斬りつける。エリルの『鎌鼬』のような動きだ。そして続け様に反撃が開始した。
「『水輪』」
空中に水の輪が出来て収縮し、エリルの身体を捕らえようとする。すかさず避けるが、それを見越していたのか、その輪は方向を変え、外側へと広がる。その勢いでバランスを崩すエリル。
「『水砲』」
さらにバランスを崩した地点に先回りしていたジェル姫は、手から水の塊を大砲の玉のように撃つ。エリルは避け切れず、遠くに弾き飛ばされてしまった。
「せっかくの古来種なのに、勉強不足なのね。勿体無い」
「こんなに押されるなんて思っても見なかったわ。『花鳥風月』」
エリルの周りの自然達が騒めきだす。見えない鳥や木々まで見える。あれはシナオカを倒した時の技だ。それを吸収したエリルの動きは先程の二倍、いや三倍の動きになる。またもや瞬時に背後を取るが、今度は『縛風』で動きを止めてから、さらに『風爆円陣』を放つ。辺りは凄い風で吹き飛ばされそうになる。草木が揺れ、エリルの長い髪は宙を漂う。
「なかなかやるじゃない。速さとセンスはある。でも攻撃が軽過ぎるわ。せっかくだし、格の違いを見せてあげるわ」
「姫、ここで玄武を使っては」
グランダナさんが止めに入ろうとすると、ジェル姫はそれを止める。
「大丈夫よ。サイズは抑えるから。『玄武』」
突然ジェル姫の後ろに大きな亀が現れた。人間十人分はあるその見た目は、足は普通の亀より長く、甲羅に蛇が巻き付いている。
「五大幻獣の一つよ。お目にかかれて光栄よね」
玄武が足踏みをすると、地面から水が湧き上がって来た。そしてその水は瞬く間にエリルの身体を拘束していく。まるで海面の渦がそのまま身体にまとわりつくようだ。
「くっ。『鎌鼬』」
エリルは水の拘束を一度は断ち切るが、すぐにまた再生してしまう。
「もう、何なのよ。『旋風』」
エリルの身体を中心に小さな竜巻が発生した。水を切り刻むように跳ね返し、水場から逃げ出す。しかしその真後ろにはジェル姫、いやジェル姫の形をした水の塊が構えていた。それに気付いたエリルは方向を変えて防御の構えに入るが、その隙にジェル姫はエリルの首元に水の刃を突き付けていた。
「私の、負けね」
エリルは風を纏うのを止め、両手を挙げた。真向勝負でここまで押されたエリルを見るのは初めてだった。
「えーーーーー!?《水の聖母》のメモライザー?!」
僕は馬車の上で思わず立ち上がり大声を出してしまった。
「そうよ。それにまさか一つのチームに古来種が二人もいるなんて。どんなチート集団よ、全く」
僕達はあの戦いの後、結局またセプテンを目指して馬車を走らせている。驚く事にブレンド王国のジェル姫は、古来種《水の聖母》の記憶を持つスーパーエリートだった。
「私、この短期間で四つの古来種に出会ったのねん。これは何かの導き。ビンちゃんちょっとこっちへ」
「服をちゃんと来たら行きますから」
「キャンネルはすぐ脱ぐの駄目!禁止!」
アイリスは僕の腕を掴んで離さない。それでも今は確かに、古来種が三人乗った馬車は異様な光景としか言いようが無い。
「我がブレンド王国では、国王の長男が二十歳になると、代々《水の聖母》の記憶が引き継がれて来ました」
「私は一人娘だけどね。あのバカパパときたら」
「…そしてジェル姫は若くしてその記憶を引き継ぐのに値すると認められた長女にあられます。齢十八にしてその権利を打ち取った唯一の方です」
「あらん。そんなに凄いのねん」
「そうよ!私は天才なの!幻獣だって従えてるんだから」
ジェル姫は鼻高々に僕達を見下ろす。エリルは気にせず話を進める気だ。
「その幻獣と言うのは、あなたの力なの?」
「は?あんた本気で言ってるの?古来種持ちなら使えて当たり前だと思うんだけど」
「はいはーい!私も知りませーん!」
アイリスは呑気にニコニコしている。彼女の空気感はどこにいても和みの場を提供してくれるから、こういう時は安心する。
「あのね。あんた達二人は古来種の使い方をまるで分かってないわ。だから一方的に負かされちゃうのよ」
ジェル姫は二人にお説教を始めた。
「まずエリル。あんたは攻撃が軽過ぎる。風の特性はその速さにあるのよ。それなのに私と同等にしか動けていない。その速さを極めれば自然と攻撃力もあがるわ。それとアイリス。あんたは自分の力を持て余しているのよ。火の強みは高火力。でも自分の力を理解していなければ意味が無いわ。二人ともセンスだけで戦っていてはダメよ」
「その、エリルはともかく、アイリスとは戦って無いのに」
「そんなの見れば分かるわよ。それにアイリス。あんた途中で手助けに入ろうとしたでしょ?」
「あははー。バレてたんだー」
「当たり前でしょ。あんたの火の動きは雑過ぎなの。加護が対応して無いのが丸分かりよ」
彼女の言い分はとても的確で、それでいて重みがあった。この若さでそれだけの戦闘経験があるなんて、どういう人生を歩んで来たのだろう。
「それと幻獣を知らないのも問題よ。古来種は世界を作った記憶なのよ。五行説は分かるわよね?」
エリルとアイリスは同時に目を逸らした。
「あんた達正気なの?!そんなんじゃベイックどころか、その手下達にも勝てないじゃない!」
「あははー。こりゃまいったなー」
「そんなの知らなかったわ。あなたは何処でその知識を?」
エリルの目は真剣だった。これまでは何とか乗り越えて来た壁だったが、自分より年下の子に手も足も出ない悔しさ。自分の弱さというよりも、数段上の相手と出会ってしまったこの世界の広さ。それを痛感した上で学び始めようとしている。
「それは代々伝わっているからだけど、それでも私は勉強したわ。人一倍にね」
ジェル姫も真剣だった。ただ自分の強さを自慢した訳じゃない。ちゃんと何が悪いかを伝えてくれていた。
「でも世界は広いのねん。同じ古来種でもシナオカとは大違いねん」
キャンネルさんの言葉にジェル姫が反応した。
「あら、あんた達シナオカを知っているの?」
「はいはーい!エリルがね、シナオカをびゅーんと倒したんだよ!」
「なるほどね。あんた達だったんだ。あれやったの」
ジェル姫がタイムズに来ていた理由は、シナオカを討伐するためだった。しかしその前に僕達が倒してしまったらしい。だからとりあえずイヤーで買い物をして、帰っている最中だったのだ。
「あんた達のおかげで手間が省けたわ。でもギリギリだったのね。あの程度で」
「あの程度って、相手は《闇の使い魔》だったんですよ!?そりゃ苦戦しますよ」
「まぁ本物の《闇の使い魔》だったらそうでしょうね」
「どういう意味、ですか?」
「シナオカは本物の古来種では無いって事。あれは擬装された記憶のメモライザーよ」
「ちょっと待ってジェル。それはどう言う意味なの?」
「姫を付けなさいよ姫を」
「はいはーい!私もジェルの方が呼びやすい!」
「何言ってるの?!私はブレンド王国の姫なのよ!」
「えー?だって同い年なんでしょ?だったら友達になれそう!」
「友達って…べ、別に友達が欲しい訳じゃ無いんだから!」
その時キャンネルさんは何かを見抜いたような顔をした。そして僕に話を振ってきた。
「あらん。なかなか良い事じゃないかしらん。ここで出会ったのも何かの縁なんだし。ね、ビンちゃんはどう思う?」
「そりゃ姫様だから姫って付けた方が良いと思うけど、でも何かしっくりくるのはジェルの方かな?」
「ビンちゃんはこう言ってるけど、どうかしらん。ジェルちゃん」
ジェル姫は少しモジモジしながら、グランダナさんの方を見る。その姿は権威も威厳も関係無い、年頃の女の子の表情そのものだった。そしてグランダナさんは微笑み、頷く。
「あ、あんたがそう言うなら、別に友達になってやっても良いけど…感謝しなさいよね!私が呼び捨てを許すなんて今後一切無いんだから!」
キャンネルさんはニヤニヤしながら僕を見る。何か企んでいるのだろうか。
「じゃあこれからもよろしくねん。ジェルちゃん」
「そ、それより。シナオカの話じゃ無かったのかしら!?」
そうだった。話が何故か逸れていた。
「その、擬装された記憶ってどういう意味なの?」
「…《闇の使い魔》は、とある場所に封印されているからよ。ブレンド王国初代国王、つまり私のご先祖様が封印をしたの。それをベイックが…」
ジェルは言い辛そうにしていた。何か深い因縁があるに違い無い。ここはあまり突っ込まない方が良いのでは無いだろうか。しかしそんな事気にしないメンバーがウチにはいた。
「はいはーい!何があったのー?」
「そ、それは…」
戸惑うジェルに飴玉を渡すグランダナさん。そして代わりに話し始めた。
「我が国が独立して王国となったのは、初代国王のお力があっての事でした。この地球は一度、破滅の危機に迫られていました。それはもう何百年と前の事です。その原因は言わずとお分かりの通り、《闇の使い魔》という古来種のせいです。初代国王は激戦の上、《水の聖母》の力を使い《闇の使い魔》を封印する事に成功したのです。そして世界は安住を手にしました」
「そんな事があったんですね」
「はい。我が国は世界を守りました。とても誇り高き事です。しかしベイックと名乗る男が何度もその封印を解こうとしていました。しかし強力な封印の前の結界にすら触れる事は敵いませんでした。しかし奴はとうとう《闇の使い魔》の封印の目の前までやって来ました。ですがその封印された姿を見たぢけで、踵を返し、その後の消息は不明となりました。それが約二百年前の事です」
「二百年?!ベイックは妖怪か何かなんですか?」
「それは私達にも理解出来ておりません。しかし確実にベイックは生きております。そしてつい最近、また奴は世間に顔を見せ始めました。どうやら他人を強制的にメモライザーに改造出来るようになったようなのです」
「だからシナオカは実験台にされただけだと」
「はい。その擬装された記憶は本来の力ほどではありませんが、ほぼ再現されていると言って問題ありません。しかし改造された本人はそれに耐える事が出来ない事もあるようで、危険な技術である事は間違い無いでしょう」
グランダナさんは深刻な表情になり、その先を話し始める。
「そしてその《擬装》の力こそ、我が国の現王妃でありますジェンニス様のもの」
「ジェルのお母さんがベイックに協力を?」
「馬鹿言わないで!拐われたのよ!」
ジェルはキツい言葉使いに辛さを重ねて言い放つ。そして彼女のやろうとしている事が、僕達に大いに関係する事を知った。
「ですので今王妃はベイックの元に囚われております。しかしあまりの強さに我が軍は全滅。そして《闇の使い魔》が現れた今回、何かの手掛かりがあるのではとタイムズに向かいました。しかし情報は何も無く、国へ帰るという状況でございます」
「すいません。僕達が倒してしまったばっかりに」
「いえいえ。それは元々関係の無い事でございます。私達が調べていたのは他の場所。それにシナオカ自体は私達も倒す予定でございましたので」
ジェルの目的、いやブレンド王国の現在の最大目的は、王妃ジェンニスを奪還する事だった。母親を取り戻すために、ジェルは強くならなければいけなかったのだ。