目指せサントス城
「ねぇビン。私を好きって言って」
迫り来る大きな赤い瞳。桃色の髪から香る若々しさ。しなやかに僕の身体に触れる細い腕。彼女の唇はもう、微かな呼吸すら感じる距離にあった。
「アイリス…僕は、僕はーー」
その時ガタンとベッドから落ちて、ようやく僕は目を覚ました。
「おはよう、ビン!うなされてたけど、怖い夢見たの?」
目の前には先程の夢の続きのように、アイリスが立っていた。まだ少しドキドキしている。僕はあの一件から、結構な頻度でアイリスの夢を見るようになっていた。
「大丈夫だよ。あんまり覚えてないし」
朝一番の嘘をついた僕は背伸びをした。ホヤニス協会の黒幕を倒した後、僕達はしばらくイヤーに泊まっていた。世界の危機を救ったはずだったのだが、ホヤニス協会は元々裏の組織。世間一般にこの事件は知られていない。僕達は隠れた英雄になったのだ。
「おはよう、ビン。今日はもうイヤーを出発する日よ。早く準備してね」
エリルは既に準備万端だった。キャンネルさんは買い物に出掛けているらしく、僕だけ寝ぼけ眼をこすっている。
「ごめんね、僕だけ寝坊しちゃって」
ぱぱっと着替え、歯を磨き、荷物を詰める。こうやって朝の準備に手間取らなくて済む時、男で良かったと思う。
「良し、準備完了」
「早ーい!流石男の子だね!」
アイリスは相変わらず抱きついてくるが、体勢を崩さず立っていられるようになった。もはや慣れを越して、タイミングまで合わせられるようになって来たのだ。
今日はセプテンの街を目指す。エリルとアイリスの目的が達成された今、残るはキャンネルさんの妥当ベイックだ。外に出ると強い太陽の日差しが身体に染み渡る。次なる旅路の始まりを祝福してくれているようだ。
「どうかしらん?早起きして良い馬車を取ったのよん。座り心地が良いでしょう?」
「ありがとうございます。広々としてますね」
「奮発して六人乗りにしたのよん。ビンちゃんが気に入ってくれたなら、私も嬉しいわん」
「いや、服は着たままで」
「あー!キャンネルだけ抜け駆けしてるー!」
「アイリスも対抗しないでよ」
「もう、朝から元気なんだから」
僕達は新しい旅に向けて、いつも通りの雰囲気を楽しんでいた。目的地はイヤーの壁の外、この国の一番西にあるセプテン。その一番端、隣の国に隣接した街にあるサントス騎士団の城を目指している。
「キャンネルさん、サントス騎士団はお城が本拠地なんですよね?」
「そうよん。元々は古い貴族の物だった城を、無理矢理奪いとった。今は我が物顔で占拠しているわん。サントス城と名乗ってねん」
キャンネルさんは感慨深そうに空を見つめる。少しとは言え、元々サントス騎士団にいたメンバーだった彼女には思うところがあるのだろう。
「ベイックは本当に強いわん。正直古来種でも互角かそれ以上。厄介なのは《真実の嘘》という禁種ねん」
「相手の記憶をコピーする能力ですよね?」
「はいはーい!じゃあコピーされないように戦えば良いんだよね?」
「そうは言っても、見ただけで発動する能力なら直接は戦えないんじゃないかしら」
その通りだ。相手の記憶をコピーしてしまう。つまり相手の能力をコピーするよりも厄介なのだ。使い方や弱点、その人の癖まで見抜かれてしまうのであれば、戦いようが無い。
「セプテンに着くまで結構な日数がかかるし、それまでに対応策を考えよう」
「そうね。タイムズは特殊な国だから飛行場がないし、イヤーを抜けても車移動になるわ。時間を有効に使いましょう」
しばらくすると馬車は森に入った。細い一本道は多少のがたつきがあるものの、その揺れがまた快適に感じる。するとアイリスが何かを発見した。
「あれー?前に壊れた馬車があるよー?」
「あらやだわん。これじゃ進めないわねん」
僕達は馬車から降りた。止まっていたのは車輪が外れた馬車で、そこに残されていたのは見覚えのある二人だった。
「あれ?君は確かジャームで見た」
僕が話しかけようとすると、青髪の少女はこちらを睨みつけた。
「あんた達誰よ?人の不幸を笑うなら堂々と笑えば良いじゃないの!」
「姫。その様な言い方は失礼かと。一度お会いしている方々と存じます」
「知らないわよ!私がこんな下民と知り合いな訳無いじゃない!」
この憎たらしさと青い瞳、間違い無い。事故になりそうだったのを助けた姫だ。銀髪の紳士が姫を落ち着かせるために飴玉をポケットからだした。聞くにはこの紳士、姫の執事らしい。彼女が飴を舐めると口が閉じ喋らなくなる。どういう性質なのだろう。場が落ち着き、銀髪の執事が事の転末を話してくれた。
「…なるほど。馬車が壊れてすぐ、白状にも運転手さんは馬に乗ってずらかった。そして途方に暮れていたら僕達が来た。という事ですね」
「はい。大変お恥ずかしいのですが、その気前の良い白状さに呆気を取られまして」
「だから玄武に乗って行けば良いじゃない!」
飴玉を舐めながらまた姫が話し出した。
「いえ、それはあまりに目立ちますので」
「だったら爺が私をおぶって行けば良いじゃない!」
「この様な老体にその仕打ちはいかがかと」
このままだと話が進まなそうだった。旅は道連れだ。僕達は二人を馬車に乗せた。
馬車は一気に満席となる。姫は飴玉を舐めて大人しくしていた。
「本当にありがとうございます。このお返しは必ず致します」
「良いんですよ。ちょうど六人乗りだったし」
「そうねん。これもご縁ですし。お二人はどちらまで?」
「我々はセプテンの隣のブレンド王国に帰るところです」
「え?」
エリルとキャンネルさんは初乗車中の二人を見て驚いている。僕とアイリスはまだ良く分かっていない。
「もしかして姫って、ブレンド王国のジェル姫なの?!」
エリルはびっくりして立ち上がる。僕もようやく理解した。タイムズの隣国ブレンド王国。今では珍しい王を頂点とする数少ない国の一つだ。そのお姫様がこんな所にいるなんて、何でだろう。
「そうよ。文句あるの?」
本物のお姫様は絵本に描いたような可憐さではなく、往々にして太々しい態度だった。
「申し遅れました。こちらはブレンド王国国王の一人娘でいらっしゃいます、ジェル・ブレンド様でございます。そして私は執事のグレンダナと申します。以後お見知り置きを」
逆に丁寧過ぎる絵に描いたような執事は、頭を深々と下げた。
「これはこれは、お姫様。私はキャンネル・ケントスと言います」
「僕はビン・フラグレンス。そしてこちらは姉のエリル・フラグレンス」
「初めまして」
「はいはーい!私はアイリス・ビビットでーす!」
ジェル姫はそんなの知ったこっちゃ無いと言わんばかりに、飴を舐めながら森の風景を眺めている。その時だった。空を優雅に飛ぶ鳥が、僕達の馬車に向かって糞を落とした。それは慣性の法則に従い着実にジェル姫に向かっている。たまたま見つけた僕は、またもや彼女の腕を引き寄せる。
「危ない!」
強引に引き寄せたせいで、僕に覆い被さる形になってしまう。
「ちょっ、何してるのよ!離しなさいよ下民!」
「酷いよビン!私という人がいながら!」
「あらん。そう言う事なら私も参加しなくっちゃねん」
「違うんです。鳥の糞が落ちて来たからって、キャンネルさん人前ですから服は着ましょう!」
ジェル姫は僕の手を思いっきり弾き飛ばす。その間にグレンダナさんはハンカチで糞を拭き取り、その場に自分が座った。
「姫、こちらにお座り下さい」
「もう。何なのよ急に」
「姫、顔色が悪いですよ。ちょっと失礼します。《査定》」
「ちょっと勝手に調べないでよ!」
「ふむふむ。脈がいつもより早くなっていますぞ」
「何よ!私こんな事でドキドキしたりしないんだから!」
両手を胸に当てるジェル姫は、顔を赤くしている。そしてそっぽを向いてまた森の景色に目線を溶け込ませる。
「あらやだん。アイリスちゃんのライバルが増えちゃったかもねん」
「えー?何で何でー?」
アイリスが聞き立てるが、キャンネルさんはニヤニヤしたまま悪戯に話を誤魔化す。グレンダナさんは気にせず話し始めた。
「みな様はどちらへ向かわれているのでしょうか?」
「はいはーい!私達はサントス城に向かってまーす!」
アイリスが元気良く答えると、姫と執事は急に顔を険しくした。そして姫が喋りだす。
「あんた達、そこに何しに行くつもり?」
その表情には先程のお天馬感は無く、真剣な眼差しだった。グレンダナさんも険しい面持ちでこちらの様子を伺っている。
「僕達はベイックという人物を倒すためにサントス城に向かっています。キャンネルさんの仇を取りに行くんです」
すると溜息をついたジェル姫が悟すように口を開く。
「なるほどね。もしサントス騎士団の関係者だったらここで捕まえているところだったわ。それにしてもあんた達。悪い事は言わないわ。ベイックを殺すなんて夢のまた夢よ。諦めて故郷へ帰りなさい」
「そんなの戦ってみなくちゃ分からないんしゃないかしら?」
エリルが食い下がる。しかしジェル姫は変わらぬ態度で言う。
「随分自信があるのね。それなら調べてみたら?爺、やって」
「それでは、失礼いたします」
グレンダナさんはエリルの腕を掴もうとする。それに反応してエリルは避けるが、それよりも早く逆の手を掴まれる。この人の動き、只者では無い。
「ご安心を、危害は加えませんので。《査定》」
エリルは身構えるが、何も起きた様子は無い。すぐに手を離したグレンダナさんは、静かに席に戻る。
「爺、どうだったの?」
「これはこれは。大変驚いております。まさかこのような所に」
「グレンダナさん、エリルに何をしたんですか?」
僕が話しかけると、ジェル姫が割って入って来た。
「あんた達、ベイックを倒そうってくらいなら超常種くらい知ってるわよね?爺はその超常種よ。《査定》は触れたあらゆるものの本質を見抜き出すわ。もちろん力量もね。こんな珍しい物初めて見て声も出ないのかしら?」
「姫、この方は…」
「今は私が話してるの!それよりどう?どうせそんなに強く無いんでしょ?だから早めに引き返すのが身の為よ」
「姫。エリル様は、古来種をお待ちです」
「でしょ?だから言ったのよ。ベイックを倒すだなんてそんな夢物語は諦め……何ですって!!!???」
「ですから、エリル様は《風の妖精》の記憶をお持ちと言う事です」
相手に触れただけでその力を読み取る超常種。凄い。一国の姫の執事と言う事は、やはりそれなりの力を持った実力者じゃないと務まらないんだ。
「そんなはず無いわ!この国に何で古来種がいるのよ!」
ジェル姫は森のど真ん中で馬車を止めさせた。そして森の奥へ入って行き、僕達をある程度木の少ない所まで連れて来た。
「ジェル姫、何をする気ですか?」
「この私が、あんた達の実力を確かめてやろうって言ってんのよ!」
そう言うとジェル姫は構える。
「そこまで言うのなら、手加減はしないわよ。お姫様」
エリルの足に風が纏われたと思うと、一瞬でジェル姫の懐に入り込んだ。そしてお腹に一発強烈な突きをお見舞いする。しかしもちろん寸前で止めてあげたのだろう。あんなのを食らったらすぐに気を失ってしまう。
「ひゃー!あの子相当強いんだね!」
アイリスに言われて動きを見直してみた。その後何回か攻撃を繰り出すエリルだが、ジェル姫はその場を一歩も動いていない。そこで気付いてしまった。寸前で攻撃を止めていたのは、エリルでは無くジェル姫の方だったんだ。それはまるで流れる水のような動きで、エリルの攻撃を全て受け流していた。
「そんな攻撃じゃ、私に傷一つ付けられないわよ」