其ノ壱・吸着
最悪の気分だ。あんな占いなんて受けなければよかった。
昨日、たまたま街角で普段見ない占い屋台が出ていたからといって、物珍しさに負けて占ってもらったのがよくなかった。
結果が散々だったというわけではないけれど、とにかく妙なことを言われた。
なんだ、やれ自分とそっくりだとか素質があるだとか、それだけならなにやら誉められてるような気もしないでもないが、その素質というのが、よりにもよって『病にかかる素質』だというのだからたまらない。
その占い師のおばあさんの不気味なことと言ったらなかった。
痩せこけてて、シワが深くて、弱々しい。唇は厚くて……そして、頭から被ったヴェールからかろうじて見える眼はおかしなほどにギョロリとしていた。不思議なことに、本質的には生命力が溢れているような、本来はもっと元気なんじゃないかと思わせるアンバランスさも感じた。
まぁ、不気味じゃないまじない屋なんて見たことはない。
大病一つかかったこともないが、そんな人間にあのようなことを言われれば気にもなる。病気なんてものはなってみるまでわからないものだから。
気分は最悪だったが、反比例するように仕事は順調だった。とにかくエラーだのトラブルだので引っ掛かることがなく、まったくすんなりと一日が過ぎていっていた。
しかし、かかってきた一本の電話で状況が変わった。
「剖検の手伝い行ける?」
上司からの電話だった。
さっきとはうってかわって、不幸にも、順調だったため手元には今これといった仕事はなかった。
たまに人手が足りないときに解剖の依頼が入るとこうやってヘルプの依頼が来るのだ。
まあいい、大仕事とはいえ、自分の担当は助手のそのまた助手だ。
自分の担当のフォローをお願いしてから電話をきる。
解剖室へ向かう途中妙なことに気づいた。人がまるでいない。
スタッフもまばらだし、患者もいない。この病院は外来だけでも日に100人以上来るのに今日はガラガラだ。月末でもないし気候が悪いわけでもない。そう言えば救急も平和そのもののようだったし、自分だけじゃなく今日は病院そのものが停滞しているようだ。
それにしてもこうしてみると異様だ。夜や休日のように人が少ないことが当たり前の時間でもないのに人がいない廊下。節電という名目のコスト削減のために歯抜けになった蛍光灯。カツカツと音をたてる床。そして向かう先にはご遺体。まるで誘われているような気分だ。誰もいないんじゃないか、そう思えるほどに静かさが耳に痛かった。
・ ・ ・
解剖室に入るとすでに環境はほぼ整えられており、あとは人が集まるだけと言った状態だった。
さっそく準備室に入り着替え始める。
下着だけになり術衣に着替える。足を靴ごと覆うカバー。エプロン。使い捨ての前掛け。グローブをつける前に頭にキャップをつけてしまおうとしているところに先生が入ってきた。
「今日はしっかり防護しといた方がいいぞ」
挨拶をすますとそんなことを言われた。
「なにが……感染症ですか?」
いや、と一言置いてから先生は口ごもった。
あまり注目されにくい問題点だが、解剖は感染性のある体液曝露の危険性が高い。
「よくわからないらしい」
ふん? と思った。そりゃ剖検に回されるのだから不明なことがあるのは確かだろうけど。
なにがよくわからないのだろうか。
おそらくは、単にわからないからこそ厳重に防御しておけということなのだろうが……
そういえばまだ依頼書を見ていない、もう術場のホワイトボードに貼ってくれているはずだ。そこに関係しそうなカルテの情報もあるはずだから、それを見よう。
そう思っていると、たしかに先生もいつもより予防着を着込んでいる。普段はしないシールドつきのマスクまでしている。
自分もある程度厳重にしておこう。
頭、顔とすませてグローブ、手首を守るカバー、さらにグローブ、そして布手袋。
いつもながら暑くて息苦しい。
解剖の時間は独特だ。生きている人間の手術とどこか似ているのに、それは一部だけだ。なぜなら、命を救うためのものではないから。
その後や精神的な救いになることはあるが、むしろ、死者に対して行われるこの手術は、冷ややかなようでいつもくぐもった熱気に満ちている。エキサイトするのではない、緊張の熱さだ。
ホワイトボードに情報が貼り出されているのが見えた。今のうちに見ておかないと見る暇はない。
ない。
情報がない。
基本情報しか載っていない。
そこまでおかしなことではない。電話や口頭で知らせておいて紙はただ出しておくだけ。手続きのための正式な書面は別にあるのだ。
しかし、なにかあると言われた上で何も書いてないというのは気になってしまう。
電子カルテから印字されたものを見る。
こちらはなぜかいつもより細かく出されていた。
熱型を見るに間欠熱のようにも見えるが、どうも慢性的な気配で、マスクされていそうだと感じた。だが、記録を見ていると様子としては元気そうにしていたようである。
慢性的な消耗状態にあったのではないだろうか、と、そう感じた。体は辛いのに、それで慣れてしまっているのである。珍しいがままある。
極端な話、人間の病状全てを解析して完全に把握するなんてどんな科学分野でも不可能だ。データとのズレ、理屈とのズレ、経験則とのズレ、いくつものズレを補正しつつ、培われた財産で危険な博打をしなくていいように進めるしかない。ときに治療は厚い部分を探す薄氷の上の作業に成り下がる。
しかし、わからないとはなにを指すんだろう。
普通だ。どうにも普通だ。
これといった死因もないのだろうが、妙な話、なにもそんなものは必要ない。死なない人間などいないのだ。死んだ理由付けができなければならないと考える方が非科学的なのだ。
あれやこれや考えながら作業していると、ふと感じるものがあった。痒いというか、皮膚に感じる小さな刺激だ。
ああ、『小蝿が飛んでいる』んだな。
実際にショウジョウバエが飛んでいるのではなく、自分が勝手にそう表現している独特の感覚だ。
ある種の人の近くにいくと、顔や腕といった素肌が露出している部分に小さな羽虫がたかるような触感がする。
どういう人かは明確にはできない。だが、例えば生活習慣病、膵臓や肝臓、腎臓の疾患を抱える者。主にそういった人だ。あえて言うならば、原因を問わず健康状態を管理維持できない人、だろうか。
その多くはまず単に勘違いだろう。普通に毛なり皮膚なりが汗などに反応しているだけかもしれない。次は本当に偶然何か虫がいる。他には皮屑や埃が舞っているということも考えられるだろう。いくらでも考えられることはある。
だが、明らかに何も原因がないにも関わらず、勘違いではない感触がするときがある。
そういう『小蝿』の正体は『瘴気』と呼ばれるべきそれなのじゃないかとずっと思っているのだが、それを妙に確信した。
ある場所の近くで、めちゃくちゃ多くの目に見えない『小蝿』を感じる。
音がしかねないほど明瞭に、少ない露出部のみならず、服をも貫通してパチパチと何かが当たるのだ。
その場所とは、ご遺体を寝かせている冷蔵庫の近くだ。
嫌な感じだ。これを越える『小蝿』は、過去に一度しか経験がない。