56.5 卒業(アランフォード②)
あれから逃げ出せるタイミングを見つけては植物園に逃げ込むようになった。セリアと名乗る平民の女生徒は毎日植物園にきて静かに人間観察と読書をするような女性だった。深い闇のような珍しい瞳の女性。
セリアは誰とも群れることなく、私に媚びることもなく、話しかけることもなくただ静かに側で過ごす。昔のエルに似ていて、彼女の隣はとても居心地が良い。
この時エル以外の側近候補が私から離れしまい、私は随分と凹んでいた。分けてくれるお菓子もいつもどこか懐かしい味がして、最近また人間不信が深まっていた心も休まった。
「アランフォード殿下、セリアになぜ近づくのです」
別な避難所で身を隠していると、先日紹介してくれたセリアが崇める主の義兄ルイスに冷たい眼差しで問われる。隠れている私を難なく見つけ、王子たる私に容赦ない殺気を放ち、身内を守るために警戒する彼を即気に入った。
「彼女の人間観察の情報が使えそうだから、興味を持ったんだ。大丈夫……遊びで手を出しはしないさ。それより私は君が欲しいな」
「…………」
「君も私の側近たちが腑抜けてるのを知っているだろう?ルイスは優秀そうだ。アランフォードの名において私の左腕になることを命ずる」
「………………仰せのままに」
「ははは、すごく不服そうだな!」
セリアと出会えたお陰で情報も優秀な代わりも手に入った。まぁ、情報に関してはエミーリア嬢周辺に特化しており、補足でもらうリリス・アンカーの情報の方がかなり有益だったのだが……まぁそれもセリアのお陰と言えよう。
それよりももっと大きな収穫があった。セリアが関わると、エルが面白い。側近仲間が離れ、ずっと眉間にシワを寄せ仏頂面だったエルの久々の表情の変化を見れて安心もした。
二人は似た者同士なのか、私のいない間にも顔を合わせ、すごく仲良くなっていた。「私の方が先にセリアと知り合って、エルに教えたのも私なのに」と小さな嫉妬もあったが、それ以上にエルが楽しそうなのが嬉しかった。
しかも性格に難があり、心配していた王女である妹クリスティーナも、クラスメイトのセリアのお陰で学園が楽しいとも言っていた。しかも王族なのに平民セリアのファンクラブに入ったようで驚いた……セリア本人は知らないらしいが。
騒動が落ち着いたら楽しそうだし、私も入ってみようかと心を踊らせた。
セリアは私に良いことばかりを運んで来てくれる。まるで女神だなと思っていた。
決定的だったのは、怪しい腕輪のせいと分かりつつもエルも私の側から離れてしまったのかもと意気消沈していた時だ。私がポロっと溢した愚痴をセリアは実行してくれた。
本気でエルを相手に殴りかかるとは思わなかったし、しかもエルはセリアに負けたと言うではないか。彼女のお陰でエルを取り戻せた。
私はセリアの真っ直ぐさに心を打たれていた。エルのようにセリアにもずっと側にいて欲しいと願ってしまうほどに惹かれた。どんな形で側にいて欲しいかは解らないまま、ただ欲しかった。
だからセリアが黒猫だと判明したときはチャンスだと思った。おそらく彼女は過去の功績から引く手あまた。便乗してどこか良家の養子にいれて自分の侍女にするか……いや、ルイスが激怒する様子が予想つく。
それともいっそ妻に……駄目だ。セリアの気持ちを無視する形になるし貴族世界が更に混乱する。他にもいくつもの選択肢が思い浮かぶが、誰かが不幸になる予想がつき妙案だとは思えなかった。
エルが元よりセリアに惹かれ、黒猫だと判明すると更に私以上に彼女に想いを募らせているのは明確だった。手に入らないのであれば、せめて親友の手に……そう願うことで自分を納得させた。
「アンナ、エルの恋路を応援したいんだが」
「アラン様、何を突然。アラン様の恋ではなくエルの恋で宜しいのかしら……成功したらどうなるかわかっていらして?」
アンネッタは私の顔を心配そうに見つめるが、暗に「わたくしのと婚約が決定的になってもいいの?」と聞いているのだろう。彼女は仲の良いお喋り仲間で、今までのセリアの事も話していたから思うところがあったのだろう。
私は神妙に頷き、覚悟を決めていることを伝える。
「ではエルはセリアさんに任せて、アラン様はわたくしが幸せにいたしますわ。アラン様がスッパリ諦められるくらいお二人をラブラブにさせましょう」
「本当か!それは頼もしい。どうやら私は素晴らしい女性と婚約ができるようだ」
そしてアンネッタはエルにアドバイスを行い、セリアもエルを気にかけていたのは薄々分かっていたので両思いになるのは一瞬だった。この時、私は心からエルとセリアを祝福できた。
だけれど私はまだ未練のあるような顔に見えてるのだろうか。植物園の時も、卒業パーティーの今もアンネッタに心配かけてばかりだ。
私はアンネッタとダンスを躍りながら、ある事を思い付く。
「セリアにちょっかい出してくる。エルの相手を頼んでも良いか?」
「まぁ、我が儘なお方」
そう言いながらアンネッタは協力してくれる。セリアと踊り始め、背中に手を回すと案の定エルから睨みをくらい楽しくなる。セリアは無反応で少し寂しくなるが、これはあれだ。「ボケたのにツッコミがない」のと同じ寂しさだ。
なんだ、私はきちんと心の整理ができてるではないか。なぜアンネッタはあんなに心配しているのか……そう思ってエルと踊るアンネッタを見ると少し拗ねているように見え、嬉しくなる。
……ん?いや……うん、なるほど。
心にストンと何かが落ちる。
アンネッタは恐らくまだ私がセリアに未練があると思っていて、『アランが離れていくかもしれない』と心配し拗ねているのだと理解する。
いつもあんなに自信満々な彼女が、政略結婚の関係以上に私を想ってくれている可能性を見つけ確認したくなる。
必要最低限のお付き合いのダンスを終えて、アンネッタを中庭に連れ出してベンチに座る。小ホールではどこかボーッとしているセリアが皿にてんこ盛りに料理を乗せ、エルに止められていた。
「くくっ、あの二人は何をしてるんだか。飽きないなぁ」
「本当に……もう宜しそうですね」
きちんと私は微笑むことができていたようで、アンネッタもどこか安心した顔になる。
女性不信だった私を他の令嬢から庇い、盾になってくれた彼女。エルが誘拐されたときも自分も不安なのに、気丈に私を支えてくれた彼女。今回の騒動でも静かに支えてくれた強く優しい、愛しい人……当たり前すぎて、気づけなかった自分が恥ずかしい。
「私はアンナが好きだよ。ようやく分かったよ、心配かけたな」
「アラン様……全くだわ」
アンネッタは少し涙を浮かべ、皆の前で見せる演技の笑顔ではなく一人の少女のように微笑んでくれる。
「アラン様、実は私は幼き頃からアラン様一筋でしたのよ。貴方は全く私の気持ちに気付いてくれないし、別な女性を気にかけるし……セリアさんが恩人でなければ嫉妬で何をしていたか」
「アンナ……」
「こんな嫉妬深い女でごめんなさい。それだけ好きだったの……だからもう離しませんわ。覚悟なさって」
「もちろん、アンナは最高の女性だな」
さすがグレーザー家の血筋だ。絶対に裏切らない深い愛情を持ってくれているようだ。私もきちんと正直な気持ちを返さなくては。
アンネッタを中庭の中央へとエスコートし、私はその場で跪く。まわりは何事かと注目し始め、卒業生に在校生にその両親たち全ての視線が集まる。
「美しいアンネッタ・ミュラー様、私アランフォード・グランヴェールはこの生涯、貴女だけを愛し、命を捧げると誓う。この忠誠を受け取って頂けませんか?」
「……はい、喜んで」
アンネッタの手の甲に口付けをし見上げると、彼女の顔は赤く染まり、溜まっていた涙がこぼれ落ちる。
「幸せにするよ、アンナ」
多くの参加者たちに拍手で祝福され、卒業パーティーは数年たっても私たちの最高の思い出となった。




