05 屋敷(1年目)
忠誠を誓ったすぐあと、馬車が迎えにきた。タイミングの良さから、近くで話が落ち着くのを待っていてくれたらしい。
旦那様がエミーリア様をエスコートし、オレも乗るよう薦めてくれたが辞退する。用水路に落ちて水浸しだし、転がって泥だらけだ。御者席の隣にでも座らせてほしいという前に、体は温かいもので包まれた。
「濡れたままで御者の席は寒すぎます。御身を大切にしなさいと言われたばかりでは?」
そう言いながら、御者がオレに毛布をかけてくれたのだ。これなら馬車は汚さないし、暖かい。まだ何も言っていないのに、この配慮!この御者……ただ者ではない。
その言葉に甘えて同じ馬車に乗り込む。
馬車が進みだしてすぐ、疲れもあり安心したのかエミーリア様は旦那様の膝ですぐに寝てしまった。穏やかな寝顔を見て、親元に返せて本当に良かったと肩の力が抜けた。
あぁ、マジ天使!目の保養になる。天使の寝顔に癒されていると、真面目な顔で旦那様が話しかけてきた。
「私はエミーリアの父、アドロフだ。…早速だが今日の事を聞かせてもらいたい。以前に助けだされた子供についても、もし君の仕業だとしたら教えてほしい。あぁ今日のところは敬語は要らないよ」
良かった。この世界は前世と言語が違い、スラムの生活のなかでは敬語に触れることがなかったから使えないのだ。数字はわかるが、文字もあまり読めない。スラムの子供の事情を旦那様は分かってくれていた。
ここ数ヵ月で急に裕福そうな子供の誘拐が増えた事と、助けた人数。どうやって助けたかを説明した。犯行グループも複数ということ。
「今回の犯行グループに会うのは4回目だ。何度もオレにやられるような阿呆なグループが、貴族の護衛の目を盗み、誘拐が成功するとは思えない。他も同じかと」
「スラムのグループは子供たちの見張りだけを依頼されて、実際の犯行グループは別にいるということかな?」
オレは頷き、続ける
「犯行グループは貴族に近い人間だと思う」
気になっていたんだ、先程の護衛カール。なぜ彼はオレがスラムの人間だと分かったのか。あの時はエミーリア様から返してもらったキレイなマントを羽織っていたし、スラムの外側だ。パッとは分からないはずなのに、よく見もせず蹴りに迷いがなかった。最初からエミーリアはオレと一緒だと知っていた口振りだった。
「カールの事だね?」
「…………!知っていたのか?」
「何となくね、君はなぜカールが怪しいと?」
オレの推察をそのまま伝えると、旦那様は目を閉じて黙ってしまった。
そのまま一時間ほど馬車に揺られ、窓の外が明るくなってきた頃に馬車は止まった。馬車の扉が開かれるとそこには、前世でも今世でも見たことの無い立派な屋敷が建っていた。
早朝にも関わらず、玄関では10名ほどの使用人が待ち構え、中央にはエミーリア様に似た儚げな女性が涙を流し駆け寄ってくる。おそらく母親――――奥様だろう。
「心配かけたね。リアは疲れて眠っているだけだから、安心しなさい。かすり傷はあるが、大きな怪我は無いようだ」
「はい、本当に良かったわ。たったひとりの娘なんですもの!」
「あぁ本当に良かった。ダニエル、リアを部屋に運んでくれ。そのあとすぐにテオを連れて執務室へ来るように。スザンナもだ」
「「かしこまりました」」
「それから、紹介したい子がいるんだ。今回リアを助けてくれた恩人でね、リアの希望で雇うことになった。また後で詳しく説明するけど、みんな頼むよ。黒猫くんおいで」
オレは屋敷に圧倒され、馬車から降りるタイミングを失っていた。慌てて馬車から降り、フードを外すと視線が集まり、居心地が悪い。中には目を見開いているメイドもいる。
身なりが汚く栄養が足りてなさそうな子供を雇うなんて、目を疑うのが普通だ。なんか申し訳ないけど、お世話になりますという気持ちを込めて深く礼をする。
御者のダニエルさんが旦那様からエミーリアを受け取り屋敷へ入る。すぐに解散になり、オレは旦那様の執務室で今後のことについて話し合うことになった。
執務室は机の上以外はキレイにされており、置いてある家具は古そうだが、艶があり全て大切に扱われているのがわかる。旦那様が雇用契約書を用意している間、毛布を敷きソファに座らせて貰うが、落ち着かずキョロキョロしてしまう。
ノックが聞こえ、奥様、ダニエルさん、スザンナと呼ばれたメイド、オレよりやや年上の少年が入ってくる。揃ったところで、自己紹介をしてもらった。
この場をしきっている旦那様は男爵家当主のアドロフ・ダーミッシュ。明るい茶髪で少しくせっ毛、翠の瞳でとても優しそうな容姿。会ってからここまで本当に優しい。
隣に寄り添っているのは男爵家の夫人シーラ・ダーミッシュ。蜂蜜色の髪に、翠の瞳の控えめ美人。エミーリア様は母親似らしい。この方もオレなんかの手を握って、お礼を言ってくれるような人だ。
ふたりともまだ二十代後半だそうで、貴族の結婚の早さを改めて知る。
ダニエルさんは実は執事長だった。御者も務めつつ気遣いもピカイチで、必要とあらば料理も護衛もこなす実は屋敷の使用人のトップ。ダニエルさんが有能すぎて、格好よくて辛い。既に憧れの上司だ。
スザンナさんはメイド長で、今はエミーリア様の侍女も兼任している。ふっくらとした体型だが、背筋はピンっと延びておりパワフルな印象だ。
年上の少年はテオと言って、執事見習いのひとり。ブラウンの髪と瞳を持つ最年少の使用人で、年齢は12歳と年はそう変わらないらしい。
「黒猫くん、何か分からないことがあれば紹介した人に聞くんだよ」
「はい」
「みんな、この子の教育を頼むよ。実はスラムの孤児なんだ。正確な年齢は分からないが9歳か10歳ほどだ、年の近いテオに基本的な世話を頼むよ」
「は、はい。かしこまりました」
スラムの孤児の世話と聞いて、テオがぎょっとしている。それに比べ動揺を隠しきって表情が変わらない大人組がすごい。
「テオ。文字の読み書きや計算を教えつつ、ダニエルと相談して仕事を教えてあげるように。今から隣の仮眠室で身なりを整えてあげて。その間に大人組には今回の顛末を伝えよう」
「じゃあ黒猫、こっちに来いよ」
「うん、お願い」
「丁寧語でお願いします、だよ」
「はい。お願いします!」
テオが満足そうに頷く。
隣の部屋は休憩する場所で簡易ベッドもシャワーもついてるようだ。さすが貴族様。
「先にシャワー浴びろ、その間に俺は着替え持ってくるから。これが蛇口で、これが調節ハンドル、石鹸はこれな!すぐ戻ってくるから、分からないことがあったら手伝うからな。遠慮するなよ」
「ありがとう」
口調は雑だが、テオは優しい少年のようだ。この屋敷には良い人が多そうで良かった。温かいシャワーは今世では初めてで、極楽気分で素晴らしい。キレイになったものの、すっかり舞い上がっていてバスタオルを持ち込むのを忘れていた。
「終わったなら出てこいよ。バスタオルも着替えも手伝ってやるから」
「ありがとう」
「ありがとうございます、だよ」
「ありがとうございます」
悩んでいたらテオが戻ってきてたらしく、教えてくれる。至れり尽くせりで、まるでお姫様気分だ。言われるがままにシャワー室からでるとテオがすぐに頭からバスタオルをかけて拭いてくれる。
「すぐ乾かさないと風邪ひくからな!ってか腹の痣すご……い…ぞ…………え?」
「?」
頭から下へ視線を移したテオはそのまま固まり、どんどん顔が赤くなっていく。
「嘘だろ?あぁぁああごめんなさい!!」
そのままテオは叫び、執務室へ飛び込んだ。
あ、自分でもすっかり忘れてた。
スラムの孤児、通称黒猫、推定9歳
性別は前世も今世も女です。