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43.5 回想(エルンスト①)

 

 俺は恩人をずっと探していた。



 ある貴族の屋敷でアランフォード殿下の友達作りとして開かれたお茶会で、俺はアランを庇い誘拐された。


 誘拐された場所は最悪の環境だった。太陽の光が届かない廃屋の床はぬるぬると湿気り、悪臭が漂う空気。誘拐犯は怯える俺に油断していたのか、体を縄で縛ることなく小さな部屋に閉じ込めただけだった。

 その隙を狙って逃げ出したものの、すぐに見つかり誘拐犯に追いかけられ最悪な状況は変わらない。すれ違う人は雑巾のような服を着て、目は虚ろ。誰も俺のことをその瞳に映していない。



 絶望しか持てなくなったその時、黒猫と呼ばれるある子供に助けられた。

 カラスの羽のように漆黒の黒髪、インクのように深い黒い瞳、黒い服装の彼は闇に溶けてしまいそうな程の黒一色の綺麗な少年だった。ようやく瞳に俺を映す存在に、俺は縋った。


 怖さで動けない俺を叩くという強引なやり方だったが、見捨てることなく彼は叱咤してくれた。

 俺を連れるために繋いだ細くても力強い手、優しく抱き締めてくれた温もり、別れ際の笑顔が忘れられなかった。



 黒や闇とは対局にある眩しい光のような笑顔。

 こんなにも心を捕まれたことはなかった。



 どうしても恩を返したかったというよりは、ただ会いたかった。しかし、彼は警戒心が強いのか見つけても逃げられてしまい、結局保護することも出来ずにいつしかスラムから姿を消した。

 何故あのとき自分だけ逃げてしまったのか。何故すぐに大人に「彼も助けて」と言えなかったのか、今でも後悔している。俺は助かった安堵で泣いてしまい、何も出来なかったのだ。



 でも強い彼が死んでるはずはない、奴隷商人になんて捕まるはずはない……きっと見つかる。そう信じ込むことにした。




 それから家系は文官の血筋だったが、彼のように強くなりたくて、誰かを救う力が欲しくて俺は騎士を目指した。

 彼を見つけたときに胸を張って再会できるように辛い鍛練にも耐えた。ついには幼馴染みで親友のアランフォード第三王子の騎士として認められ、王立学園に共に入学した。



 学園には俺と同じようにスラムに誘拐された助け出された学生がおり、話しかけて情報を集めようと思った。でも分かるのは当時集めた情報と変わりなく、ただ時間が過ぎていくばかり。でも会いたいという気持ちは色褪せず、募るばかりだった。




 自分でも何故こんなに執着しているのか分からないほどに。





 **********



「アラン、最近どこに隠れてるんだ?媚びるやつらから逃げているのは分かるが、安全のためにも俺には教えてくれ」



 後輩が入学してきた頃アランの婚約者を狙う執拗な令嬢が増え、アランは姿を消すようになった。子供の頃の誘拐事件の黒幕は捕まっていないから危ないというのに、主の能天気さに頭痛がする。



「実はあの怪しい植物園に身を隠してるんだ。しかも美味しいお菓子とお茶が出てくるから、つい通ってしまうんだよ」



 一度逃げ込んだときに匿ってくれた生徒から、おもてなしを受けているらしい。ダーミッシュ男爵家の侍女でセリアという平民。隣に王族がいるのにも関わらず特に媚びることもなく、植物園から食堂にいる主を見守る忠犬だそうだ。

 目印は牙の生えた食虫花が咲く魔界樹の下らしい。



「ひとりじゃないのか……その者は信用できるのか?」

「相変わらず真面目すぎるなぁエルは。あの警戒心の塊のダーミッシュ家ルイスが随分と気に入っているらしいからな、大丈夫だろう。それに彼女は珍しいほど真っ黒な瞳が綺麗だぞ」

「真っ黒……!」

「心配なら見に来ればいい」



 そう言われて、考え込んでいる間にアランは仕事を残して俺からも逃げた。つまり植物園に来いということだった。

 最近不穏な動きがあるから調べるのに疲れているのに……アランの能天気さに苛立つが、望み通りに人目につかないよう植物園に向かいながら、真っ黒な瞳の黒猫を思い出していた。



 植物園に入ると奥の方に目印の木が見える、真っ直ぐに進むが濃い茶色い髪の女性が見え「やはり黒猫ではない」と落胆し、同時にからかったアランに八つ当たりしたくなり声をかける。



「見つけたぞ!」



 そのままアランを叱ろうとした瞬間、目の前に(かかと)が迫っていた。理解するよりも早く体が反応し掴むことが出来たが、それ以上に蹴りを繰り出した女性に目を奪われた。

 


「何者です。殿下を傷つけるものは許しません」



 黒猫と同じインクのようにどこまでも深い黒い瞳、力強い目線、軽い身のこなし……もし黒髪だったらまるで成長した黒猫のような、そんな彼女の中性的な容姿に驚きを隠せなかった。


 似ている。


 なんとか和解し握手をしてみたが、少年ではなく見た目通り女性の手だった。黒猫の折れそうだったカリカリの手ではなく、柔らかいものの鍛練を積んでいることがわかる、そんな手だ。



 しかし髪などカツラを使えばどうにでもなる。綺麗な少年と思っていたが少女だった可能性もある。まさか本物か?と思い当時の話をちらつかせたがセリアはあくまで他人の姿勢だった。



 それからセリアが気になって仕方がなくなった。

 不穏分子の調査のため学生の観察記録を受け取るのを口実に、俺も植物園に通うようになった。アランのことも馬鹿にできない程、貴族の身分に関心のない彼女の隣は心地が良かった。



 また彼女の所作や言葉遣いは侍女らしく上品で、容姿はとても似ているのに黒猫ではないのだと思い知らされた気分でもあった。

 ずっとスラムで過ごしてきたのなら、どこかに荒さや雑さが見えるはずなのにと。





 だが、ある日植物園に行くと彼女の独り言が聞こえてきた。

 普段のセリアとはまったく違う口調で、魔界植物にヘンテコなあだ名をつけて話している。


「恋愛ばかりでなくて高い学費払ってるなら、もっと勉強すれば良いのにって思うんだ……ねぇ虫食いサボテンちゃん」

「……」

「分かってくれるかい?今夜の寮ご飯は何かなぁ~そろそろお魚が良いよなぁ?ミスター・ネズミ殺し草」

「くくくっ」



 彼女の淑女らしくない口調が気になり続きを聞こうと黙っていたが、あまりのネーミングセンスに笑いが我慢できなかった。

 すぐにセリアは元の丁寧な態度に戻り、その少し離れた距離感がもどかしく近づきたくて「友達になろう」と誘ってしまった。



 セリアは喜んでくれたが、あまりにも自分の必死さに恥ずかしくなり隠すように先程の独り言について話題をふるが、次は思い出し笑いが止まらない。



「思い出しても、あれは面白かった!くくくくくっ」

「もう!エルンスト様ったら!笑いすぎですって……あははは」



 つられてセリアも笑いだすが声を出して笑うなど初めてだ。さて、普段は無表情に近い彼女はどんな表情で笑うのかと顔を見た瞬間、あの光景を思い出した。




「セリア……君は……」




 黒猫なのか――――そう言葉を続ける寸前、アランたちが植物園に現れ、話が中断されパーティーの話へと移る。そのあと確認することが出来ずに解散となってしまった。



 スラムで最後に笑いあった、あの笑顔がそこにあった。希望の光を見つけたときの輝くような明るい笑顔が。

 やはり、君は黒猫なのか?何故隠している?隠したい事情でもあるのか?



 いや、きっと他人の空似だ。俺が単にセリアが黒猫であれば良いと願う先入観のせいで、彼女に惹かれたのだ。だからこれ以上は同一視してはいけないと、そう思い込むことにした。


 俺は彼女に惹かれてはいけないのだ。


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