幼馴染み
姫が手塩にかけていた庭に花が咲き乱れ、空気が甘くやわらかに香るようになって季節はもうすっかり春。今日は姫のもとへ仕立て屋が来る。夏服を注文するのだ。
ちりん、と来客をつげるベルが鳴り、応接室へぞろぞろと人が入ってきた。
手にはそれぞれデザイン画や布見本などを持ち、なにも持っていない一番身なりのいい人間を前にしてみな膝まずいて頭を垂れる。
あたしはその様子を姫のすぐ後ろで控えながら興味深く観察している。
そう、あたしはまるで姫の侍女のように振る舞うことが多くなっていた。といっても、あたしに侍女を勤めるほど教養なんてない。たいていの場合、姫のすぐ近くにいて、ときどき話し相手になるだけだ。
それでも外から来た人間には、姫と同じグレードの服に身を包んでいるあたしが良家出身の侍女として目に映るらしい。あたしにまで深々とおじぎをされて、砂を噛んだみたいな気持ちになった。
いつの間にか、あたしもすっかり貴族側の人間として見なされるようになっていたのだ。
仕立て屋の代表が型通りのあいさつを丁寧に述べ、姫もまた事務的にそれを受ける。
あいさつが終わると、代表の後ろに控えていたものたちが一斉に動き出す。
夏服の打ち合わせ自体はスムーズに進んだ。
けれど、あたしは気が気でなかった。
そわそわと落ち着かず、なんども足を踏みかえて、その時間をやりすごす。
やっと仮縫いの日取りまで決まり、代表が帰りの口上を述べてみんなしずしずと去ると、あたしは仕立て屋たちのあとをこっそりつけた。
一行の一番後ろで、大きな布の束を抱える赤毛でそばかすの少女に見覚えがあったのだ。いつもは背に流すままにしている豊かな赤毛を、今日は油で撫で付けて、きっちりとまとめている。
なんであいつがここに……。
庭に面した廊下を進む集団を、木の影からうかがっていると、少女が「あっ」と声をあげた。そして目の前を歩いていた先輩風の針子に声をかける。
「ごめんなさい。私、さきほどのお部屋に忘れ物をして来たみたいで、取りに戻ってもよろしいでしょうか」
「だめじゃないの。王宮で緊張する気持ちもわかるけれど、失礼は許されないのよ。でも、余計なものを置きっぱなしにして殿下にご迷惑をおかけできないし……。早く取って来なさい」
「ありがとうございます。マイヤーさんは先に行ってください。私はあとから追いかけます」
先輩針子に抱えていた布の束を渡すと、赤毛の少女は頭をぺこりとさげ、足早に廊下を戻る……ふりをしてずかずかと庭に足を踏みいれると「ねぇ」と呼びかけてきた。
「そこにいるんでしょ、ロビン?」
さっきまでの新人針子のしおらしい態度はどこにもない。あるのははすっぱな話し方をするふてぶてしい女だけだ。
「ヒルダがどうしてここにいる?」
「あなたが王女に仕えてるくらいだもの。私だって転職くらいするわ」
「ヒルダは娼館のモノだろ? 年季が明けるのはまだまだ先のはず」
「私ごと店を買い取ってくれた人がいるの……。捕まったって聞いてからずっと心配したのよ、ロビン? 会えてよかった。元気そうね」
ヒルダは、あたしのスラムの孤児仲間で幼なじみだ。こいつは、八つくらいのときに、このままだとどうせ野垂れ死にか、どうしようもないロクデナシか、せいぜい最底辺の夜鷹だと将来を見限って、なるべく条件のいい娼館に自分を売り込んだのだ。もちろん娼館は、金をつまれたってこんなこ汚いスラムのガキを引き取りたくないと突っぱねた。でも、ヒルダは強引に店に潜り込んで下働きをした。追い出しても追い出しても、勝手に下働きをしてるもんだから、結局店側が折れて引き取ってくれたという伝説の持ち主だ。
あたしはヒルダのことを根性があって、目端の利くやつだと尊敬している。
ヒルダがわざとらしくしなを作って、あたしにしなだれかかる。腰にヒルダの腕がまわり、細い指先で背筋をつーっと撫で上げられると、ぞわぞわと鳥肌がたった。
「やめろって」
「なによ。つれないの。私とロビンの仲じゃないの? ね?」
「なにが『ね?』だ。それより買い取ったやつって? 店ごとなんて普通じゃない」
「知りたぁい……?」
今度は吐息まじりの声を耳に吹き込まれて、やや乱暴に身体を押し返した。ヒルダは二三歩さがると、気分を害したふうでもなく「うふふ」と楽しそうだ。
「悪ふざけはやめろってば。おまえのそういうところ、好きになれない」
「いいじゃないの。久しぶりなんだし。あいかわらずウブなんだから……。ねぇ、ほんとうに心配したのよ。いつ王城前広場であなたの首がさらされるかって、夜も眠れなかったんだから」
そういうヒルダはまじめな様子で、嘘や冗談のたぐいじゃないことがわかった。あのスラムの路地で厳しい飢えと暴力と寒さをわかち合った仲間はもう、あたしたちくらいしか生き残ってない。あたしはヒルダの瞳を覗きこんだ。そこには、あたしのなかにあるものと同じものが存在していた。あの光景を見たものにしかわからない、青く暗い炎がともっている。
「私の新しいご主人様、レジスタンスなのよ……。この腐った国を建て直すの。もう全国に仲間がいるわ。もうすぐこの国は変わる。私はそのための手伝いをしているの。私のいた店の姉さんたちもね。この仕立て屋の代表も協力者なの。
ねぇ、ロビン。逃がしてあげる。あたしと一緒に来て。次の仮縫いの日なら、針子に紛れてこの城を出ることができるわ」
レジスタンスのことを話すヒルダは、希望で光り輝いていた。夢と使命にあふれた幼馴染みが得意そうにあたしを誘う。
「親父たちが人質にとられてる。無理だ」
「知らないの? あなたのところの親っさんたち、とっくに北の鉱山に奴隷として送られてるのよ。今そこもボスが手に納めようとしているの。親っさんたちのことなら心配ないわ」
頭から冷水を被せられたような衝撃を受けた。親父たちはここにいないだって? 奴隷って、鉱山って、どういうことだ。だって、あたしが知らされていることとずいぶん違う。動揺するあたしにヒルダは哀れみの視線を送った。
「かわいそうに。なにも知らないのね。ロビンはこんなところで飼われているような子じゃないのに。あの王女に、なにをされたの? あなたが大人しくしているなんて、よっぽどのことをされたんでしょ?」
「違う」
「強がらなくていいのよ。誰だって拷問されたら心が折れるものだもの。そういう技術なのよ」
拷問!? そんなことは一度だってあの人にされたことがない。理由はわからないけど勘違いされることがとても不快で、火中の栗がはじけるように、ぽんっと口からかばうセリフが飛び出た。
「違う! あの人はそんな人じゃない」
「……どういうこと?」
さっきまであたしを慰憮するようだったヒルダの声にひやりと疑念が混じった。ヒルダの表情に不審の黒い陰がよぎり、あたしは自分の失言をさとった。
「ロビン……私、あなたがひどい目にあっているんだと思ってたけど、違うの? あなたは見た目通り、ただぬくぬくと、媚びを売って過ごしてだけだって言うの?」
地を這う声が耳に痛い。
「王家の犬になったの? うまい飯食べさせてもらえるなら、相手が誰でもいいの?」
両肩をぎゅっと握りしめられて、ゆさぶられるのにあたしはなにも反論できないでいた。だってあたしがヘレナ姫に養われているのは紛れもない事実だ。
「しっかりしてっ、あいつらは私たちの仲間を殺したんだよ。あなたの親っさんたちだって、鉱山でどんな扱いを受けてるか……。餓えてパンを盗んだってそれだけで杭に縛りつけて、石を投げて。みてよ、この王宮を。ごてごてと飾り立てて趣味が悪いったらない。
あいつらは自分が贅沢し豚のように肥え太るためだけに、私たちが死ぬのもおかまいなしに搾り取るじゃないの。私たちがあんな風に殺されなきゃいけない悪党なら、あいつらこそまっさきに石に打たれて死ぬべきよ!」
ヒルダの叫びはあたしの気持ちそのものでもあった。ちょっと前のあたし。ヘレナ姫に会う前のあたし。
ヘレナ姫に会う前、あたしは王候貴族というやつは、山のように巨大な一頭の怪物だと思っていた。またはイナゴの群れ。やつらはみんな同じ。国中の平民を理不尽に食い物にする害虫。
でも今は違う。あたしはヘレナという一人の女性を知りたいと思うようになってしまった。
「ロビンは私たちのこと忘れちゃったの? 私たちがどうなったって、もうどうでもいいの?」
「違う! あたしは……あたしはみんなの敵じゃない」
「それなら、仮縫いの日、私たちと一緒に来ましょう」
「それはできない」
「なんでっ」
あたしは欲張りだ。ここを出たらもう二度とヘレナ姫に会えない気がした。だから断った。でも、一方であたしはあたしの生まれた世界を捨てることもできない。レジスタンスという響きに心が踊るあたしもいる。
「だって、親父たちはまだ鉱山にいるんだろ? まだ親父たちの安全が確認できたわけじゃないから、あたしが逃げて万が一影響があるといけない。
でも、ヒルダたちの力になりたいと思う。あたしにできることなら、なんでもするから」
我ながらあまり説得力がない。でも、これがあたしの精いっぱいで引くわけにいかないのだから、ぐっと目に力をいれてなるべく自信があるように見せた。
ヒルダの翠の目のなかに疑いと迷いの色がチカチカと点滅しているのがわかる。でも、いちど目をつむり開けると、低く冷静な声で返してくれた。
「それなら、いま王が最も身近に置いて心を許してるのはヘレナ姫よ。うまく取り入って情報を引き出して。後宮の地図も教えて。姫のいるところをふくめて、王の寝室の場所もその行き方も全部。
念のためこれを渡しておくわ。小さいけど使いどころは自分で考えて。切れ味は抜群よ」
ヒルダのなかの天秤が、疑いよりあたしとの絆に傾いた瞬間、彼女はぐいっとあたしの胸になにかを押しつけた。あたしが反射的に受けとったのを確認すると、ヒルダはあたしの頬にさっと口づけ「また連絡する」と言い残し、身をひるがえし駆け去っていった。手のなかのかたい感触を確認すると、短剣が握られていた。
その日からあたしはレジスタンスのスパイになった。