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深夜の呼び出し

 

「なにごとです?」


 姫はナイトガウン姿のままにもかかわらず、すこしもゆるがず凛として騎士たちを問いただした。隊長格の格好をした男がそれに答える。



「殿下、あなたには謀反の疑いがかかっています」


「ばかばかしい。誰がそのようなことを?」


「陛下でございます」


「陛下がなぜ?」


「殿下は今夜、陛下のお召しをないがしろにされたとか……」


 そのとき、ヘレナ姫の目がきらりと光ったような気がした。そして、姫はゆっくりと妖艶に笑った。


「あぁ、そのこと。わたくし、今夜はどうしても眠かったんですの。陛下も困ったお方だこと。謀反だなんて、おおげさな」


 いきり立っていた騎士たちはヘレナ姫のこの世のものとも思えない微笑みに顔を赤くしてちょっと怯んだようだった。


「殿下にはわたしどもと一緒にいらっしゃっていただきたく。陛下がお話をお聞ききしたいと」


「わかりましてよ。あなたたちもご苦労さま。わたくしのためにわざわざ、ごめんなさいね?」


「……いえ、わたしどもも仕事ですから」


 いい年をした隊長格の騎士がまだ16歳の娘相手に、気圧されて目をそらす。あたしはその光景に息を飲んだ。王族の威厳と呼ぶべき迫力に圧倒されたのだ。


 着替えることも許されなかったのに、姫はまるで舞踏会にエスコートされるように手を差し出し、騎士たちに連行されていった。




 あっという間の出来事だった。

 ひとりになってがらんとした部屋で、あたしは焦っていた。

 あたしが軽い気持ちで隠したこのカード、よくわからないけど王様からの呼び出しだったっぽい。

 どうしよう。思ったよりも大事になってしまった。



 でも仮にも姫なんだから大したことにならないはず。あの余裕だったし、大丈夫。

 なんてったって、父娘だし。娘には甘いはずだ。親父だって、あたしが悪さしてもげんこつ一発で勘弁してくれた。

 そうだ。きっと大丈夫。血が繋がっているんだもん。

 だからあたしは、謀反という言葉のせいで鼻の奥によみがえった地下牢のすえた臭いを、ぶるぶると首を振ってあたまから払った。


 くそっ。この部屋、ひとりで待つには広すぎる。どうしてヘレナ姫にはお付きの専属女官がいないんだろ。






 姫が帰ってきたのは夜が明けるころだった。なんだかわからないけど、すごくほっとして、そんな自分にあたしは驚いた。


 あたしが女官を呼びにいこうとすると姫は「いいわ。寝ているところを起こすのもかわいそうだから」と止めた。


 帰ってきた姫は髪が乱れ、疲れたようすだった。


「おまえ、起きているなら身体を拭きたいわ。お湯を用意してくれる?」


 すとんとドレスを足元に落とすと、あらわになった姫の背中にはひどいみみず腫れがあった。「あっ」と小さく悲鳴をあげてしまう。白い背中に赤く滲んだ鞭のあとが幾筋も幾筋も痛々しい。これは誰が? まさか王様がやったの? 自分の娘に?


 湯の入った桶を受け取った姫が布に手を伸ばすのを、あたしはとっさにおさえた。

 ひったくるように布を手に取る。


「あ、あたしがやるよ」


「……好きにするといいわ」


 お湯に浸した布でゆっくりそっとぬぐうと、ヘレナ姫は傷が痛むのかかすかに眉をよせてため息をついた。

 夜の終わりの城は静かで、水のちゃぷんちゃぷんという音だけが響く。


 姫のこんなところ、はじめて見た。影がさして隙のある横顔。

 この人もこんな顔するんだ……。月の女神じゃなくて、ちゃんと人間の顔に見えた。


「なんで」


 本音がこぼれた。慌てて口をふさぐ。でも、口から飛び出た言葉は戻らない。気まずい。


 無言で振り替える姫。黒曜石の瞳は井戸の底のように暗く、なんの感情も浮かんでいない。その表面にあたしの姿が鏡のように映っていた。

 その目で見つめられると、身の置き所がない気持ちになる。わけもなく急き立てられて、なんにも言われてないのに黙ってるのが気まずくてまくし立てた。



「どうして、なんで、いいわけしなかった?

 あんた、ほんとうはカードなんて受け取ってないだろ? 今夜のことだって、知らなかったはずだ」


 けんかを売るような調子になってしまった。違うのに。ほんとに言いたいことはこんなことじゃないのに。



 姫は抑揚のない声で「おまえに関係ないことよ」とあくまでも冷静に返してくる。


 関係はある。だって、カードを隠したのはあたしだ。あたしのせいで、あんたは……。


 いっそ、すべてぶちまけてやろうかと思ったけれど、親父たちの顔が浮かんでぐっと歯を食い縛った。あたしのつまらないしわざのせいで、親父たちにまで累がおよぶ可能性がある。


 姫は知ってか知らずか、静かにあたしを見上げてるだけだった。その顔にはなんの感情も浮かんでない。


 ふと、その表情は仮面であるような気がした。いまあたしが手を伸ばせばその仮面をはずせるような。月の女神じゃない血の通った生々しい心にふれられるような。



 無意識にのばした手が頬に届き、手のひらに熱を感じた。やわらかい。

 姫が驚いて目を見開く。ああ、こんな顔もできるんだ。もっといろいろな表情をみてみたい。

 親指を口のはしに伸ばす。珊瑚のように赤くてきれいな色をしている。くちびるもやわらかそう。

 自然に顔がよっていって――


「――なにをする! 無礼者っ」


 姫が勢いよく身を引く。

 たらいにひじがあたり派手な音を立てて床に転がった。水が膝にかかって、ハッと正気にかえる。

 夢から覚めた気分だ。


 ――今、あたし、なにしようとしていた?


 全力疾走のあとみたいに、心臓がばくばくする。


「身の程知らず、出ていきなさい」



 姫の叱責の声がするどく飛んだ。


 続きの間に追い出されて、あたしは胸のあたりの服をぎゅっとつかんだ。寝床にはいって、毛布をあたまからかぶる。



 こんなことって、はじめてだ。意味がわからない。なんで? 自分がまったく意味不明の生き物になったような感じがする。

 憎いのに。憎くて憎くてしかたないのに。なんであんなことをしたんだろ。あいつは親父たちを人質にとってあたしをいたぶって遊んでる卑怯ものだ。


 でも、あの人はあたしのせいで鞭打たれたんだ。自分の父親に。あたしのせいで。


 日がすっかり昇っても、あたしはまんじりともできなかった。


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