ちょっとした仕返し
嫌がらせ、なににしよう。
二週間がたち、ここでの生活の勝手もつかめてきて、ちょっと余裕が出てきたころ、後宮のヘレナ姫の離れの屋根に登り、あたしはひとりでうんうんと言いながら策を練っていた。
この時間、姫はひとりになって笛の練習をすることが多い。すごく集中しているので、ちょっとくらい抜け出したって気づかれないのだ。
屋根というのは良い。
人は来ないし、日もよく当たるし、青空が近い。
考えごとをするのにぴったりの場所だ。
冬の透明な空気のなか、高いところで雲がゆったりと流れていく。城は広い。ひとつの町のようで、屋根に上ってもその全体像を見渡すことができない。複雑に入り組んだ建物群と、それを取り囲む広大な庭と噴水、さらにそれらをぐるりとまとめる森と城壁、さらにさらにその向こうに城下町がある。
後宮は城のなかでもとくに奥まった場所にある。目をこらしても、遠く慣れ親しんだ下町の影すらみえない。見えるのはこの後宮を取り囲む高い塀の縁と、城の尖塔がそこから槍のように飛び出しているのがわかるだけだ。
親父たちはどこにいるんだろう。心配とさみしさがつのった。あたしはこんなところで飼われている場合じゃないのに。
嫌がらせというのは、まず相手の行動パターンから考える必要がある。
だって、せっかく張りきって嫌がらせしても、相手に気づかれないんじゃ意味がない。
「より効果的な結果を得るためには、相手のことをよく吟味するんだぞ」って親父の参謀をしていたおっさんも言ってたしな。
あたしはヘレナ姫の生活習慣を思い浮かべた。
姫の飼ってる鳥なんかどうだろう……?
金の鳥かごのなかにいるその鳥は、虹のような光沢をもつ青い羽がうつくしく、まさしく富と権力の象徴のようだった。
姿かたちも良ければ、囀ずってもうつくしいその鳥は、まんまるいつぶらな瞳でよく姫にエサをねだる。小首をかしげながらきゅるきゅると鳴き、ぴょんぴょん跳ねる姿はたいへん愛らしい。姫も毎日かかさず手ずからエサをやるからには、そうとう可愛がっているんだろう。
たとえば、その鳥を殺したら……?
脳裏に羽根を散らして無惨なありさまになった鳥の姿が浮かんだ。
なしなし!
いきものをいじめるのは趣味じゃない。
あたしは弱いものの味方になれって教えられてきたんだ。そんな自分の誇りを汚すようなこと、できるわけがない。
よし、つぎ!
ヘレナ姫が毎日手入れをしている中庭の植物。
こまめに雑草をとったり、枝の剪定をしたり、肥料をやったり、泥だらけになって植え替えたり、身分ある女性とは思えないほど熱心に取り組んでいる。
中庭の花の芽をぜんぶむしってやるのは……?
これもなしだ。
あたしだっていくらなんでも、そんな野暮なことはしたくない。
つぎつぎ!
だったらヘレナ姫がひっきりなし着替えているドレスを破くのはどうだろう?
あれこそ無駄のきわみだ。みるだけでムカついてたまらない。そのうえ、あたしも無理やり着せられるのが我慢できない。
うーん、と首をひねる。良い案かもしれない。
でも、もったいない。
いっぱいあるうちの一枚がだめになったところで、新しいのを注文するだけだろう。これ以上無駄遣いを増やしてどうする。
結局、良い考えが浮かばないまま夕飯の時間になってしまった。
「よっ」
屋根からひらりと降りる。
よし! 着地がきれいにきまって気持ちいい。猫みたいに足音を立てないようにできるのが玄人だ。
「そこの人!」
「へっ」
うわっ、びっくりした。背後からいきなり声かけるの、ほんとやめてほしい。今の飛び下りるところみられてないよね?
声をかけてきた相手は後宮の女官だった。
様子を慎重に観察してみたけど、とくにおかしな表情はしていなかった。よかった。
「なんの用?」
内心の動揺を悟られないようにすると、ちょっと固い声になってしまった。女官はいぶかしむ様子もなく、あたしに用事を告げる。
「これをヘレナ姫に」
差し出されたのは一枚のカードだった。四隅には金で箔が押され、短い言葉が書いてある。あたしは文字が読めないからなんて書いてあるのか知らないけど、それには見覚えがあった。
姫は頻繁にこのカードを受け取っていた。
このカードをもらった夜には、必ず姫はどこかへ出かける。そして、空が白むころ帰ってくる。
これだ!
夜の外出と言えば逢い引きに決まってる。まったくもって不潔だ。貴族女ってのは貞操が大事なんじゃないのかね。王女だってそれは同じだろうに。
これをあたしが受け取っておきながら、わざと姫には渡さない。いい考えだ!
これなら姫と姫を呼び出した男が困るだけだろう。ちょっとしたケンカにでもなればおもしろい。
「おう、任しときな!」
調子よく請け合うと、女官はちょっと眉をあげて「たしかに頼みましたよ」と言って足早に去っていった。
渡さないけどな!
へっ、ざまあみろ。
あたしは夕飯の時間も姫が就寝するときも、姫が恋人と喧嘩したときどんな顔をするのかとわくわくが止まらなかった。
ふだんすました顔をしているやつほど、いたずらが成功したときの反応がおもしろい。
はやく仕掛けが発動しないかなと思うと、楽しみで眠れなかった。続きの間で寝返りをうちながら、そっと姫の息づかいをうかがう。姫の部屋からはなんの音もしなかった。かすかな寝息さえも。
その日の深夜、突如荒々しい足音が廊下から聞こえて、あたしは何事かと飛び起きた。まるで牛の群れが押し寄せてくるような騒音だ。
どんどんと扉を壊す勢いで叩く音がかなり耳障りで、チッと舌打ちする。
深夜の招かざる訪問者たちは、部屋の主の返答を待たずにそのままずかずかと姫の寝室になだれ込んでくる。
眠い目をこすりながら姫の寝室に続くドアを細くあけて覗くと、肩に金モールをつけた白い軍服が目に入った。
侵入してきたのは王宮警護をする騎士だった。