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王女ヘレナ

「その目、獣みたいね」


 ヘレナ姫が放った第一声はそれだった。

 透明でよく通って、人を従わせることになれているんだろうと思わせる声だった。



 年かさの兵士の言ったことはほんとうだった。

 切れ長の黒い瞳にひた、と見据えられると、あたしは金縛りにかかった。


 はじめて目にする王族はまるで神殿に飾られている女神像のように完璧だった。研ぎ澄まされて光りかがやく完成された美貌。生まれてこの方、あたしはこんなに美しいものを見たことがない。気高さと知性を兼ね備えたその美しさはもはや暴力で、あたしの心を激しくゆさぶった。


 艶やかな長い黒髪をパールの髪留めで上品にまとめ、小さなダイヤが流れるように縫いとめられたドレスを纏ったその人は、まるで月の女神さまだ。


 さっき連れてこられる前に、この人の名前はヘレナ王女だと年かさの兵士にこっそり教えてもらっていた。年は16歳で、あたしとあまり変わらないらしい。けど、女神のようなこの人がふつうの人間のように年を取るなんて想像できない。



 その月の女神さまはふかふかのソファーに悠然と腰掛け、さっきからあたしを冷たく見下している。まるで汚物を前にしたみたいに。


 あたしは井戸で兵士たちに水をぶっかけられたあと、適当にぬぐったままの姿で、ヘレナ王女殿下の前に引き出されていた。ふたりの兵士が両わきからあたまを低く押さえつけている。鼻の先にある床は精巧な寄せ木細工で、ワックスでピカピカに磨かれていた。


「汚ないわね」


 姫のその言葉に顔にカッと血がのぼったのがわかった。わけのわからない恥ずかしさにいたたまれなくて、怒りがわいた。あたしがこんなに惨めな姿なのは、あたしたちを踏みにじって平然としているあんたたちのせいじゃないか。



「今日からおまえはわたくしのペットよ。わたくしの側に置くからには、もっと身なりを整えなくては。あとでもっとましな服を与えるからきちんとするのよ」


「あんたのペットになるくらいなら、舌を噛んで死んだ方がまし」


「おい、不敬だぞっ」


 一方的な宣告に我慢できなかった。傲慢な王族や貴族。こいつらがきらびやかな王宮で着飾って遊んでいる間に、どれだけの人が餓死しているか! ぬくぬくと守られてこいつはなにも知らないに違いない。


 若い方の兵士があたしを床に叩きつける。

 あたしの暴言に、ヘレナ姫は口の端をつり上げて微笑んだだけだった。


「おまえが心のなかでどのように思おうとおまえの勝手よ。けれど、いいのかしら? わたくしに逆らうのは、あまり賢い行動とは言えなくてよ」


「どういうこと?」


「おまえは盗賊の一味だったそうね。一緒に捕まった仲間が今どこにいるかご存じ?」


 歯の隙間から押し出すように「知らない」と答えるのは屈辱だった。


「彼らもこの城の地下のどこかにいてよ。おまえの態度が仲間の扱いに影響するとは考えられなくて? たとえば拷問の有無とか、食事の内容とか、処刑の日取りとか……」


「卑怯もの!」


 絶叫した。そのまま覚えているかぎりの罵詈雑言を投げつけてやろうとしたのに、すぐに両わきの兵士が力いっぱい、床にぐっと押しつけてくる。苦しくて息ができない。あたまも押さえられていて、上が見えない。視界いっぱいに床だ。

 そこにしゃらしゃらと音が近づいてきて、ビーズで刺繍の施された貴人の靴が視界に現れた。

 頭上から氷のような声がふってくる。



「いいこと、先ほどの忠告はわたくしの親切心でしてよ。そのことをよく心に留め置くことね」


 そのまま姫はあたしのことをいっさい無視して、部屋を出ていってしまった。



 ◇◇◇



 その日から、あたしは後宮のヘレナ姫づきのペットになった。

 侍女でも女官でも人ですらないペット!


 あたしの寝床は姫のすぐそばの続きの間に用意された。本来そこは姫の筆頭侍女の場所なのに、なぜか姫には侍女がいない。用事のあるときにだけ、女官がその都度入れ替わり立ち替わりやってくるだけだ。


 おかしい。なんであたしがこんなやつの一番近くにいなきゃいけないんだ。



 ヘレナ姫はなにが面白いのかあたしに自分の服を着せて、自分と同じものを食べるように強制した。


 美しくたおやかなヘレナ姫のドレスをあたしが着ると、まるでかかしが着飾っているみたいでみっともないったらなかった。

 姫のお召しかえをする女官なんて、こっちみてクスクス笑うんだ。屈辱に顔を歪めるあたしを目にするたびにヘレナ姫は三日月形に目を細めた。


 ヘレナ姫はあたしを晒し者にしてたのしんでいるとしか思えない。


 ほんとっ王族って性格悪い! 今は親父たちのことがあるから大人しくしているけど、いつか絶対にほえ面かかせてやるんだからな!


 どんなに悔しくても、歯が砕けそうになるくらい歯軋りしながら耐えるしかない自分がいやだった。殴って解決するんだったら簡単なのに。



 姫はいつも自分に与えられた後宮の一角にいて、ほとんど外に出ることがなかった。

 そして、姫のペットであるあたしも外に出ることができない。隙をみて逃げようにも、後宮の出入り口は厳重に見張られていて、簡単に出入りできないんだ。



 姫の生活は、飼っている鳥にエサをやったり、中庭の植物の手入れをしたり、横笛を吹いたり、ときどき夜にどこかへ行ったり(すごく気合いをいれてドレスアップしてるからたぶん夜遊びに違いない。ただれてる)。これでほぼすべてだ。


 ヘレナ姫の笛は実に巧みで、姫のことがだいっきらいなあたしでも思わず聴きいってしまう。

 でも、どれだけうまく吹けても姫は少しもうれしそうじゃなかった。


 姫は朝の着替えの他に、昼にも着替える。ついでにあたしも一緒にきせかえ人形にされるのだ。なぜかあたしの着替えを姫が世話するんだけど、短い髪の毛をぎゅーぎゅーにひっぱって無理やり髪飾りをつけてくるの、ほんとやめてほしい。涙が出るほど痛いから。泣くのはしゃくだから意地でもがまんするけど。


 午前のドレス、午後のドレス。ときには夜用のドレスに着替えるときもある。

 それぞれに役割があるらしいけど、まったく無駄でぜいたくだとしか思えない。



 ヘレナ姫には仕事らしい仕事をしている様子がない。実に優雅に着飾ったり遊んだりしているだけのどうしようもないなまけもので、あたしみたいのの心をいたぶって喜んでる性悪。


 ほんとにやっぱりろくでもない。

 よく「あいつらは、俺たちから不当に搾取しているんだ」って言ってた親父は正しかった。


 姫の衣装部屋にどっさり入っている服の一枚でも売ったら、いったい何人の人が冬の間の凍死をまぬがれるんだろう。


 ナイフみたいに痛い冬の乾いた風。スラムの暮らしは、着るものも食べるものもろくになくて、餓死するやつがごろごろいた。業者がなんとか食えるように加工した貴族街の残飯に、大勢が金を持ってむらがる。でも、それすらありつけないことがほとんどだ。


 寒さとひもじさに、全身のはしから蝋みたいにかたまっていって、それでも野良犬みたいに汚れてふるえる身体を、スラムの孤児仲間と必死にくっつけあいながら暖をとるしかない切なさは、経験しなきゃぜったいにわからない。


 そういうこと、姫は全然考えたことがないんだろうな。

 雲の上とはよく言ったもんだ。

 まったくここでの生活は浮世離れしている。

 ほんとうにむかつく。



 はやく人質の親父たちが捕まってる場所を探して逃げ出そう。逃げるときはおもいっきり借りを返してやるんだから。


 でも、それまでやられてばっかりじゃ気にくわないから、バレないぎりぎりでちょくちょく嫌がらせしてやろう。そうしよ。


 夜眠る前に、姫のぎゃふんという顔を想像すると、ほんの少しだけ心が晴れた。


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