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番外編:あたしたちのその後【後編】

 


 ヘレナが街で見知らぬ男と居たのを目撃した翌日も、モヤモヤを抱えたまま職探しに出る。でもやっぱりというべきか上手くいかなくて、あっというまに昼。


 気がついたら、昨日ヘレナを見かけた場所に突っ立っていた。


 そこは市場の中心に位置する円形の広場で、真ん中に巨大な女神の彫刻があり、人々が縁石に腰かけのんびりタバコを吸ったり、買ってきたパンにかじりついていたりしている。

 ここらは天幕よりも地面に敷物広げての露天が多いので、空が広くて解放感がある。



 心のどこかでヘレナを探しつつも「見つからないでくれ」と矛盾した願いを抱えて広場のなかを歩きまわっていると、わっと歓声が上がる。



 見ると、筋骨隆々の大男が銀色に光る剣を飲み込むところだった。大きく開けた口のなかにするすると刃をさし入れていく。あたしは今にも男が苦悶の表情で血を吐くんじゃないかと気が気でない。ハラハラしながら見守っていると、男はとうとう剣の柄まで口のなかにおさめて、両手を高くあげニヤリと不敵に笑う。周りにいた観衆がどっと盛り上がって拍手喝采した。


 赤いベストを着た小さな猿が毛むくじゃらの手に帽子を持って走る。帽子のなかに小銭が次々に投げ入れられた。

 猿がひとまわりすると、男は飲み込んだ剣を掴み出しその剣をぶんと振り回して剣舞を舞い始める。

 賑やかな音楽がはじまり、次々に剣舞の相手たちが舞台に躍り出る。


 あたしは自分の目を疑った。だって、あたしの見間違いじゃなければ、奥の楽団で笛を吹いているのってヘレナじゃないか?

 目をごしごしこすってよーく観察する。あ、やっぱりヘレナだ。



 よく見れば、今出て来て剣舞を舞い始めた役者のなかに昨日の褐色肌の泣きぼくろ男がいる。きらりと銀色の剣を閃かせ、実に楽しそうにくるりとまわったり、相手の剣を紙一重で避けたりしている。

 ヘレナの目が泣きぼくろ男の姿を追っている。



 わかんない。皮膚の内側がぜんぶ強酸で溶けていくみたいにビリビリする。痛い。自由になったヘレナは飛び立っちゃうのだろうか。あたしを置いて。その可能性に気づくと、急に足下の地面がぼろぼろと崩れていくような不安な気持ちになった。



「お客さま。泣くほど私どものショーがお気に召しましたか?」



 音楽が終わりうつ向いていた顔をあげると、よりにもよって泣きぼくろ男が目の前に居た。あたしはむっと口を曲げて、男を睨む。

 恭しく芝居がかったしぐさで、百人中九十九人の女の腰がとろけるような笑顔を浮かべる。あー、女にモテそう、という言葉が心に浮かぶと同時に猛烈に反発心がわき上がった。



「あんたなんか……あんたなんかしゃっくりとくしゃみが止まらなくなって、ついでに腹もピーピーにくだしちゃってその嫌みな笑顔台無しになってしまえ!」

「は?」

「あの人はとんでもなく美人ですてきで悪魔的に意地悪だけど、絶対ダメだよ。あたしが全力で阻止してやる」



 もし、もしだよ? ヘレナがあたしなんか邪魔だって一人立ちしたいなら、無理にひき止めるようなことはしたくない。

 でも、今のヘレナはまだまだ世に不慣れで赤ちゃんみたいな状態だ。いずれヘレナがあたしの元を離れるとしても、今はダメだ。得体の知れない男に任せるわけにはいかない。でもヘレナはこいつに惹かれているかもしれなくて、たしかにこいつは顔だけは男前で、初夏の風のようにさわやかで、泣いてるあたしを心配してくれたみたいで、いいやつっぽくて、ムカつく。



 男と睨みあっている(いや、睨んでいるのはあたしだけで、男は子犬に噛みつかれたみたいな困った顔をしていた)と「ロビン!」と声がした。男が背後に首をめぐらして声をかける。



「やぁ、子猫ちゃん! 知り合いかい?」

「ええ、そうなの。ロビン、来てくれたのね。わたくしの演奏みてくれた? ね、ちゃんとやれてたかしら?」


 賑やかな出し物の余韻に顔をきらきらと輝せるヘレナがあたしの両手をとって、いっしょうけんめい親に一日の報告をする子どもみたいにはしゃぐ。

 男と親しげにするヘレナ。そして、あたしを見つけてうれしそうにするヘレナ。矛盾していて混乱する。あたしはヘレナの手を勢いよく振り払った。


「どうして宿にいないの! 外は危ないって言ったでしょ」

「危ないことなんてなにもなかったわ」


 あたしの怒りを理解しないできょとんとするヘレナに苛つく。世間知らずのお姫さまは羊の皮を被った狼の正体も、自分が狼の前でどんなに無防備かも知らない。


「ハッ そう思っているのはヘレナだけだ。危険はいつもわかりやすいとは限んないんだ。この男だって腹のなかじゃなに考えているかわかったもんじゃない」


 あたしが鼻で笑うとヘレナは、はっきり傷ついた顔をした。


「だったら、わたくしも一緒に連れていってくれればよかったじゃない」

「だからあたしは安全な宿にいてねって言ったのに。わがまま言わないで」


 わからないことを言うヘレナに言い聞かせると、彼女はあたしの言葉に殴られたみたいに、眉をぎゅっと寄せ唇を震わせた。


「わがままじゃない!」


 ヘレナが激しく吐き捨て、その場に気まずい沈黙が降りた。

 ヘレナは涙をためた目であたしをじっと見ている。



 いきなりの修羅場に目を白黒させていた褐色泣きぼくろ男が「やあやあ、ケンカならもっと徹底的にするべきだよ? 腹割って殴り合うくらいしないと」と愉快そうに笑う。「あと、初対面で俺のこと罵ってくれちゃって、聞き捨てならねぇな」とつけ加えるのも忘れない。


 そんで、パンパンと手を打って注目を集めると「はーい。皆さんお立ち会い。これからここにいる愛らしい二人の坊っちゃんが決闘をいたします! 武器はなし。先に降参を宣言した方が負け。勝者は敗者にひとつだけ要求ができます。掛け金は銅貨一枚でどうだいっ」と声を張る。


 わっとまだ残っていた観客がわく。並ぶ顔はどれも新しい見世物に期待を膨らませている。


「なっ、なに勝手なこと」と抗議するも「さあさあ」と強引に背中を押され、観客に囲まれ円形にあいた空間にヘレナと二人して押し出される。

 気を利かせた楽団の一人が、どるどるどるどる……と太鼓の音であおってくる始末。


「やーれ、やーれ、やーれ」と大合唱がはじまる。いけない。これじゃ、今戦わないで逃げたら観衆に袋叩きにあうかもしれない。やられた。褐色泣きぼくろをじろっと見ると、奴はひょうひょうと「がんばってねー」と手を振ってくる。なんちゅうやっちゃ。ぜったいあとで殴る。隙があったら金的もしてやる。


 仕方ないからヘレナに向かい合って小声でささやく。


「あたしがそれっぽく腹を殴るふりをするから気絶する演技をして。痛くしないから。これは勝負がつくまで逃げられない」

「いやよ」

「ん?」


 パンっ乾いた破裂音が聞こえて、頬がしびれてじわじわ痛みが広がる。

 目の前には平手を振り抜いたヘレナがいた。好戦的に赤い唇を歪めている。


 観客からひゅーという口笛があがる。


「なにするんだよっ」

「これは決闘よ。先手必勝ね」

「へ?」


 あたしが間抜け面をさらしている間にもういっぱつ平手をお見舞いされる。いったい。そのまま、三発目、四発目がやって来る前にヘレナの細い腕を避ける。


「このっ」


 ヘレナはむちゃくちゃに腕を突き出して、あたしを殴ろうとしてくる。でも当たらない。あたしがひらりひらりとかわすからだ。あたしはすばしっこさを自負しているし、戦い方も知らない素人の大振りが当たるわけがない。


「逃げてないでやり返しなさい」


 悔しげにヘレナが叫ぶ。


「いやだよ。意味がわからない」

「おまえはいつもそう! わたくしに相談しないで、勝手に決めて」


 腕を振り回しても当たらないと悟ったのか、ヘレナが地面の砂をつかんで投げる。もうなりふり構わないって感じだ。


「だって、守りたいんだっ」

「誰が守ってなんて頼んだの? わたくしはただ一緒にいたいだけ」

「一緒にいるじゃないか」

「うそよ。いつもわたくしだけおいてけぼり。わたくしだって……役に立ちたいのよ、ロビン。

 わたくしは……わたくしは、おまえの人形じゃないわ……!」


 苦しげに絞り出された声にハッとして足が止まる。瞬間、バシッと鞭のように細い指があたしの頬に食い込み、口のなかが切れて血の味がする。


 あたしがいちばんヘレナを傷つけている……。人形という言葉に彼女の父親のことを思い出す。今は亡き王は、ヘレナを最期まで人形扱いしていた。


 棒立ちになったあたしをヘレナが両手で力いっぱい突き飛ばし、仰向けに倒れたあたしに公衆の面前でそのまま馬乗りになって何度も殴る。うおおーと観客が盛り上がる。一発一発が本気で、ほんとうに痛い。どこがって心が。


「さあ、やり返しなさい。腹立たしい。おまえはわたくしを対等にみていない」

「ぐっ」


 ヘレナのパンチが鼻に当たって鼻血があふれる。


 あたしは身体を捻って彼女の体勢を崩し、そのまま位置を逆転させた。今度はヘレナがあたしの下にいる。

 彼女の上に血がぽたぽた垂れる。

 ヘレナは激情に目を爛々と光らせ、キッとこちらを見上げている。


 やり返そうとして腕を振り上げて、力なくおろす。

 できない。だって、悪いのはあたしだ。


「ごめん……」


 鼻をおさえて彼女のからだの上に懺悔するようにうずくまる。


 観客がぶーぶー野次を飛ばしてくる。


 ――おいっ! つまんねぇなぁ。やる気あんのかこらっ

 ――あっ、お客さま手出しは無用です!



 泣きぼくろ男の焦った声にバッと顔をあげると、こぶし大の石が飛んで来るところだった。

 咄嗟にヘレナに当たらないように覆い被さってかばう。後頭部に激烈な痛みが走り、目の奥に火花が散った。視界がぶれて気が遠くなる。

 あたしの胸の下で小さな悲鳴が上がる。


 ――やっていいことと、悪いことがあるでしょう。お客さま、あちらでお話があります。


 ――おーいっ、大丈夫か。悪乗りしてすまなかった。まさかこんなことになるとは……。


 ――ロビン! ロビン!



 意識がぐるぐるする。ヘレナに返事をしようとして、口がうまく動かないなぁ、くそうと思いながら、あたしは気絶した。酔っぱらいの投げた石ごときで、間抜け。




 ◇◇◇




 目が覚めると、見慣れない天井、というか天幕が目に入った。暖色の布に太陽の光が透けて、チューリップの花びらのなかにいるみたいな感じがする。

 身体を起こそうとすると、鋭くて太い針で突かれたみたいな頭痛がした。鼻も重苦しい痛みがある。


「くぅ……」


 ひとり悶絶していると、人の気配がして水盆を持ったヘレナがやって来た。


「痛い? いい顔になったわね」


 台詞は面白がるようだけど心配に表情をかげらせて、そっと冷たい布巾を鼻に当ててくれる。


「ここはどこ?」

「ザカリーの天幕よ」

「誰?」

「ほら、あの浅黒い背の高い人よ。わたくしたちを決闘に引っ張り出した」

「ああ、あいつ……! 殴ってやらなきゃ……いっ、つー」


 すかした泣きぼくろ男の姿が蘇り反射で身を起こそうとすると、また後頭部に鮮烈な痛みが走って盛大に顔をしかめる。


「しばらく安静にした方がいいわ」

「それでさ、ヘレナって結局あいつとどういう関係なの?」


 あたしの質問にヘレナが「ん?」と首をかしげた。そして、なにか愉快なことを思いついたようにゆーっくりと口角をあげる。


「まさか、妬いてるの?」

「妬いてない」

「妬いているでしょう」



 ニヤニヤと意地の悪い猫のように笑うヘレナ。黒い瞳が愉しそうに細められる。

 思えば彼女もずいぶん表情が増えたと思う。前は人の匂いがしない冷たい笑みしか浮かべなかったのに。


「彼はわたくしの雇い主よ。笛の助っ人を頼まれたの」

「なんでまたそんなことに」


 ヘレナがすねるように唇をとがらす。


「だって、暇だったから」

「暇だとどうしてあんな男と知り合うのさ」

「お昼をとりに行ってね。広場で(みな)が楽しそうにしていたから、わたくしもなにか演りたくなったの。ほら、あそこは辻弾きがたくさんいるでしょう? わたくしも笛が得意だから、お金がもらえるかもしれないと考えたのよ」


 得意満面といった風情のヘレナにちょっと気が抜ける。あたしはさっきから耳の奥に「人形じゃないわっ」と彼女の叫び声が突き刺さっていて、どう謝ろうかとどう切り出そうかと思考がうろうろとさ迷っていた。


「それで笛の腕前を披露したってわけ」

「そう。すばらしい体験だったわ! ねぇ、ロビン。人を喜ばせるってとても良い気分になるのね」


 誇らしそうに胸を張るヘレナにほんとによかったなぁ、という気持ちがわき起こり胸をあたためる。

 王さま相手に笛を吹くことを「むなしい」と無表情にこぼしていたのはもう過去だ。


「ヘレナ……」


 謝ろう。ちゃんと、いま。頭痛をこらえながら、腕を彼女の頬に伸ばす。彼女にケガがなくてよかった。ヘレナがあたしの伸ばした右手を両手で包んで頬にあてる――


「――そういうこった。ぜひともその子を俺の一座にスカウトしたい」


 出し抜けに聞こえた声に、舌打ちしたい気分になった。泣きぼくろの野暮。お邪魔虫! 出歯亀野郎。馬に蹴られて死んでしまえ。


「ロビン……」


 ヘレナがあたしの表情をうかがう。まるで、怒られるのをおそれている子どもみたいに。ふぅ、とひとつため息をつく。ヘレナは眉を下げて、すっかり反対されるのを覚悟している。


「ヘレナはどうしたいの?」

「ロビンはいいの?」

「あたしが決めることじゃない。『人形じゃない』って言ってただろ。悪かったよ。あたし、なんにもわかってなかった。ヘレナが決めればいい。あたしはそれを全力で助けるから」

「ほんとうに?」

「ほんと。約束するから」



 感極まったヘレナに「大好きよ」ってキスされて顔が熱くなったあたしは悪くない。茹で蛸みたいだってザカリーに冷やかされて口汚く罵ったけど、ぜんぜん悪くない。ヘレナはいくらからかわれても涼しい顔でなぜか得意そうにしていた。




 そんなこんなで、あたしたちはザカリーの一座に加わった。みんな家族みたいに気のいいやつらばかりで、でも事情のあるやつも多いからお互いに踏み込みすぎない思いやりがあって、ほんとうにあたしたちにぴったりの就職先だった。


 今、あたしは一座の下働きをしていて、ヘレナは楽団のホープだ。

 彼女が人前でうれしそうに笛を吹くたびに心の底からよかったって思う。


 ザカリーはそんなあたしがにへらにへらしているのをすぐ冷やかしてくる。感謝はしてるけど、ムカつくのは変わらない。


 決闘後、あたしは頭の傷が治ってすぐにザカリーに一発食らわすことをもちろん忘れなかった。怒ったザカリーに市場じゅう追いかけ回されたけど、あたしはヘレナが声に出して笑うほどウケていたから大満足だ。


これにて番外編終わりです。

身分の縛りがなくなったお姫さまは、人前で殴りあいをするくらい情緒が発達しました。

またなにか思いつきましたら、のんびり更新しますね。

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