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番外編:あたしたちのその後【前編】

番外編、長いです。一話の長さがいつもの二倍くらいあります。前後編です。後編は明日更新。

時間軸は最終話から一ヶ月後くらい。公爵の薬疑惑はまだ出てないので平和です。


 なんとか公爵の目をごまかして城を抜けて一ヶ月、あたしたちは交易の拠点となる大きな港のある街にいた。



 この港は隣国はもとより、他の大陸を行き来するような大きな船が停泊している。

 自然にできた波の穏やかな湾のなかに、側面に鉄板を張った見上げるような巨大な船がバッファローの群れのようにいくつもいくつも並んでいる。


 街は港を中心にすり鉢状に広がっている。港のすぐ近くのすり鉢の底に当たる部分は、広い平らな広場になっていて、市場の色とりどりの天幕が下手なパッチワークよろしく入り組んでいる。その市場を見下ろし囲むかたちで白い石造りの家並みが崖沿いに張りつき、青い空を背景に建物の白のコントラストが目に眩しい。


 街にいる人も多様だ。老いも若きも男も女も、金持ちもいれば貧乏人もいる。肌や髪や瞳の色もさまざま。


 あたしは人混みのなか、背後を振り返って連れがしっかりついてきているか確認した。

 目深に被ったマントのフードの下で黒い瞳がきらりと光る。


「ヘレナ、はぐれないようにね」

「わかったわ……じゃない。わかった」

「こういう街は楽しいけど、人さらいの連中がいたりするから」



 あたしたちがこの街に来たのは、木を隠すには森のなかってことで隠れるのもあるけれど、一番の目的は仕事だった。

 当分は食うに困らないだけの路銀があるけれど、ずっと無職ってわけにもいかない。




 市場には活気が溢れていた。革命が起きたばかりで、人々がすこし浮かれているような気がする。

 軒先に鈴なりに吊り下げられたピカピカの鍋、原色の布を組み合わせた異国の衣、ガチャガチャいう食器のタワー、軋むような鳴き声と臭いを発する家畜、海の向こうの緻密な織りの絨毯、耳慣れない訛りの値引き交渉の声、目にも鮮やかな果物と野菜の山……。

 神さまが世界中から気に入ったものを手掴みにしてガラクタ袋よろしくぜんぶここに放り込んだんじゃないかと思うくらい、ごたまぜな極彩色の匂いと音の奔流だ。



 そのひとつひとつに目を輝かせるヘレナの横顔に、胸のなかが冬の日向のようにあたたかくなった。

 あの暗い墓所のような後宮から連れ出せてよかった。

 これから先、彼女に良いことばかりが起こってほしい。あたしが悪いことをぜんぶ避けてあげたい。




 ◇◇◇




「明日はここで待っていてくれる? あたし、ちょっといろいろ探ってみるよ」



 その日の晩、宿で旅装を解いて伸びをするヘレナに告げると、少しの沈黙のあとに「二人では、だめ?」と返事が返ってきた。



「うーん。明日は裏町の方に行ってみたいんだ。ああいうところは情報も集まるけど、危ないから」

「そう」



 そっけない態度が気になって、ぐるりと正面にまわって彼女の表情を探る。


 いつも通りの顔だ。

 目が合うと、ふっと口許をゆるめてくれる。

 

 疲れてるのかな? 久しぶりの人混みだったし、そもそも彼女は城の外にはじめて出てから一ヶ月しか経ってない。毎日が緊張の連続だ。王族の暮らししか知らないヘレナにはツラいだろうと思う。



 彼女は決して愚かじゃない。でも、常識がない。彼女にあるのは王族の常識だけで、そんなものはここでは役に立たないどころか邪魔なだけだ。


 だって、ヘレナってば、はじめて宿をとったとき、部屋の入り口でずっと入らないもんだから「どうしたの?」って聞いたら「ロビン、大変よ。部屋がひとつしかない」って言うんだ。あたしが意味がわからなくて黙っていると、「宿の人にちゃんと部屋に案内してってお願いしてくるわ。こんなクローゼットみたいに狭い部屋ひとつだけなんて……」と検討違いな正義感に燃えて憤慨しているからかなり慌てた。

 宿の人にあたしがバカにされたと思って、ヘレナが顔を険しくして腹に据えかねたという態度でいるさまはおかしくてかわいかったけど、これからのことを考えると笑い事じゃなかった。


 ヘレナの常識では、「部屋」というのは居間と食堂と寝室とバスルームを最低限そなえてなければならなくて、わざわざお金を払ったのにベッドだけでいっぱいいっぱいになるような一部屋っぽっちなんて詐欺みたいに感じるらしかった。


 あたしはめまいがした。わかっていたけど、世界が違いすぎる。だって、これでもあたしは上等な宿をとったつもりだったんだ。知らない人と大部屋で雑魚寝じゃないし、鍵のかかるドアときちんとした壁がある。ベッドも二つあって、狭いけど床も見えていて荷物も置ける。頼めば身体を拭く用の湯を持ってきてくれるし、食事も一階の食堂に行けば摂れるしで、かなり贅沢な宿だと思っていた。


 ヘレナといると一事が万事こんな調子で、やっと部屋のことが解決したと思ったら、食堂で給仕がないことにも驚いていたし、身支度を一人だけでするのにもなかなか慣れないみたいだったし、現金を目にしたこともなかったし買い物を一人でなんてとても無理だった。


 あたしは彼女に悪気がないことを知っている。だんだん慣れてきているし、ヘレナ自身も必死に努力していることだから、できないところはあたしが補えばいいだけだ。

 でも、城の外の生活はヘレナには想像以上の負担になっているはずだと思う。



 だからこそ、はやく仕事を見つけて落ち着かせてあげたい。


 疲れているならなおさら明日は休んでいてほしい。そう思って、「心配しないで。あたしが万事うまくやるから」と胸を叩くと困ったように微笑まれる。


「ロビン……後悔はしてない?」

「ないけど、なんで?」

「……ないなら良いわ」


 やっぱり元気がない。うーん、と首をひねり、思いついてヘレナの服を剥く。埃っぽい服がふわりと宙を舞い、「ちょっ、ちょっとなにをするの」とあわてて抵抗しているけど、無視だ無視!

 背中で結んださらしをほどくとヘレナが「あっ」と声をもらす。男装のため、きつく押さえていた胸が空気にふれ自由になる。


 あたしはお湯で絞った布を手に「お姫さま、お身体をお拭きいたしましょう」と恭しく奏上した。


「おまえ、だって、前に自分のことは自分でしろって言ったじゃない」

「今日は特別だよ」

「いやよ」

「素直じゃないなあ」



 あたしは後宮にいたころのように、丁寧にヘレナの身体をぬぐった。


 布でこすったところから、白桃のように色づく肌。労るためだけに、あたしは手を動かす。血がめぐるように力加減をして、疲れをほぐすことに集中する。ヘレナも気持ちが良いのか、肩の力を抜く。ヘレナの身体は、ふわふわとした丸みが減り鋭さを増したような気がする。もっと守らなきゃという気持ちになって、胸の奥がぎゅーっとした。


 ぜんぶ拭き終わって、背中の真ん中にちゅっとキスを落としたら、ぽかぽかと叩きながら抗議された。腹を抱えて笑う。だって、まるで毛を逆立てた猫!!さっきまで油断していたくせに!!

 笑いの発作がおさまらなくてベッドの上で転げまわっていると、ヘレナはベッドの隅で毛布をかぶって丸まってしまう。


「ヘレナ、悪かったって」

「知らないわ」


 つんと澄ましたあたしの高貴な猫はご機嫌が斜めだ。そのまま毛布に立てこもり寝入ってしまった。



 翌朝、ヘレナにくれぐれも知らない人に着いていったり宿から離れたところに行かないように注意して出かける。

 宿の人にもそれとなく頼んでおく。

 幼い子どものいる人の良さそうな夫婦で、「連れはああ見えて病弱なんだ」と言ったら眉根をさげて「それは大変だねぇ」と同情してくれた。心付けとして小銭を渡して宿を出る。




 ◇◇◇




 午前中いっぱい歩き回ったけど、あんまりかんばしくなかった。

 選り好みしなければ、いくつか働き口はあった。でも、あたしが働いている間ヘレナをどうするのか悩む。あたしにはヘレナが働くってことがどうしてもうまく想像できない。

 だから、あたしが働いてる間、ヘレナには安全な家や部屋で待っていてもらいたい。そのためにあたし一人で部屋を借りられるような実入りのいい仕事が必要だ。


 そのためにちょっと裏町の方を探ってみたのだけど、報酬のいい仕事には相応の危険が伴う。

 ずっとうまくいけばいいけど、万が一のことがあってヘレナがひとりぼっちになるのは避けたい。


 うーん、悩ましい。


 休憩に市場までやってきて、屋台で魚の揚げ物を食べる。海沿いらしく海産物系の屋台が豊富だ。

 指についた香辛料の入ったピリ辛ソースを舐めとりながらその辺をぶらぶらしていると、視界の端に気になるものが写った。



 人の雑踏の奥に見覚えのある背中。黒い短髪のかたちのいい後頭部。少年にしては線の細いその人は、褐色の肌に派手な服を着崩した背の高い軽薄そうな男を見上げ、なにか会話している。

 黒髪の子はむこうを向いているので、あたしのいる場所からは顔が見えない。褐色肌の男はまだ若く、泣きぼくろが色っぽい。にこやかな表情でなにかを熱心に語りかけている。

 吸い寄せられるように黒髪の子の背中から目がはなせない。あたしが固まって凝視しているうちに、背の高い男は黒髪の子の手を掬い上げ、きざったらしく手の甲にキスをして去っていく。


 男がいなくなると黒髪の子もすぐにどこかへ歩き出す。いくらもしないうちに人の波に飲まれてしまった。


 あ……、どうしよう。走っていって確かめようか。


 でも、足に根が生えたみたいに動かない。


 いるはずのない人がそこにいた。いや、でも人違いかもしれないし。でも、あの子の服、見覚えがあった。昨夜、あたしがあの人から脱がした服。



 石を飲んでしまったみたいに胃が重く、もやもやとした嫌な気持ちが身体の底に沈殿する。

 夕方になっても気分の晴れないまま、思うような仕事も見つけられずあたしは宿に帰った。




 ◇◇◇




「あぁ、お客さん。戻ったね」


 ニコニコしながら挨拶をしてくれる女将にあたしはそっと耳打ちをする。女将は樽のように豊かな体つきをしていて、いかにも「おふくろさん」っていう感じの包容力を感じる。


「頼んでいた連れのことだけど、どうしてた?」

「ああ、あの子はいい子ねぇ。礼儀正しくて品がよくて」

「そうじゃなくて、ちゃんと大人しくしていた?」

「してたよぅ。あんまり部屋でジーっとしているから、あたしゃ逆に具合が悪くなると思って、昼飯でも食いに行きなって追い出したくらい」


 がっくりする。ついで、正体不明のムカムカがふつふつと沸いてくる。


 この人は……! 一瞬、カッとなるも、いや女将は悪くないと思い直す。じろっと睨むと、女将はのんきにいい仕事してやったぜってなもんで、歯をみせてニカっと笑った。


 とにかくヘレナに確かめなきゃ。

 部屋に入ると、ヘレナはいつものように迎えてくれた。



「お帰りなさい」

「ただいま」

「どうしたの?」


 ヘレナをじっと観察する。ヘレナはいつもの通り穏やかな面持ちで、でもその奥にある感情は正体不明で、あたしには読み取れない。


「今日さ、お昼なに食べたの?」

「外の屋台で串焼きを買ったわ」

「おいしかった?」

「えぇ」

「そう……」



 昼間見た男のことを問い詰めたいと思って、口を開いたのに実のない会話をしてしまう。なんでだろう。知りたいのに聞きたくない。あれだけ注意したのになんであんな男と……?と言葉にならない思いが、ぐるぐると渦を巻く。


 もしかしたら、広い世界を知ってあたしなんかより全然すてきな人を見つけてしまった、なんてことがあるかもしれない。


 彼女の薔薇のように赤い唇からそんなの聞いてしまったら、あたしどうなっちゃうんだろう。

 あたし、自分が思っていたよりもこわい人間になってしまうかもしれない。


 ベッドに入って灯りを落としても、ヘレナが自分から昼間の男のことを話してくれることはなかった。



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