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切っ先の向こう

 父王を殺したばかりの血濡れの王女があたしに冷然と言い放つ。


「これをアビーに渡しなさいな。あれはわたくしと公爵を繋いでいた糸。なにもかも承知しています。お友だちが鍵をくれた通用門を出てすぐのところでアビーが待ってるわ。これを持っていけば英雄よ」


「……ヘレナはどうするの?」


「わたくし?」


 ヘレナはそれに答えず、妖艶に口の端をつりあげた。なんだろう、すごく嫌な胸騒ぎがする。


 彼女はそのまま赤くぬらぬら光る短剣を自分の喉に向けた。


 なにをっ……!


 とっさに体当たりをして、ヘレナの短剣を持つ手首を掴む。

 そのまま二人とも床に倒れこみもつれあった。相手はなかなか短剣を手放さなかった。馬乗りになって、ヘレナの身体を押さえつけ必死に掴みかかる。



「はなせっ」


「はなさない。放っておいて。死なせて」


「馬鹿なこと言うなっ」



 短剣を掴む彼女の腕に力が入って、筋が浮き出ているのが見えた。どんなにひっぱっても離さないから、殴って奪い取る。手のひらが切れて、血がぼとぼと落ちて絨毯とヘレナの顔を汚した。



 自分のはあはあ、という息切れの音がひどく耳障りで、もうぜったいに短剣を渡さないように、胸のなかに両腕で抱き込む。


 馬乗りになったあたしの下で、手の中の得物を失った彼女は顔をそむけて、肩を震わせていた。結われていた黒髪が乱れて広がり、その奥にあるヘレナの表情を隠している。


 その姿になんだか、すごく、とても、無性に腹が立った。




「ほんとうは外に憧れてるんでしょ? 気づいてないとでも思っていたの? あたしが外の話をするときのうれしそうな顔!

 自由になりたいんでしょ?

 ならそう言えばいい。

 言えばいいんだ!」



 その瞬間、ヘレナが獣のようにバッとこちらへ顔を向け、あたしを責めるように、憎々しげに吐き捨てた。



「おまえにはわからないのよ。望むのがどれほど残酷なことか。

 鳥がずっとうらやましかったわ。その気になれば外の世界へ飛んで行ける。だから、かごのなかにずっと閉じ込めていたの。わたくしと同じよ。あの子がうらやましいわ。だって、あの子はもう、自由よ」



 はじめて、ヘレナが自分の気持ちをちゃんと、吐き出している。それは何度も何度もえぐられてきた生傷で、痛々しくて、痛々しくて、圧倒される。



「王はね、貴族の操り人形なの。たくさんいる妃の実家に手足を縛られている。

 だから、お父さまは有力な家から嫁いできた妃とその子どもをみんな憎んでいた。わたくしだけは例外だったけれどね。奴隷の子どもだから。

 でも、お父さまは少しもお分かりになっていなかった。子どもを一人だけ人形のように愛でることが、なんの後ろ楯もない娘にどんな影響を与えるのか……」



 自分の幼いころを思い出しているのだろうか、ヘレナはぐっと悔しげに唇を噛んだ。

 それだけで、王に疎まれた子どもたちと妃の不満の矛先がどこに向かったのか、簡単に想像がついた。幼く味方のいない王女に身を守るすべがなかっただろうことも。



「お父さまが王太子だったお兄さまを殺す少し前、わたくしのところにグラスゴー公爵の密書が届いたの。

 わたくしのお母さまをずっと慕っていた。閉じ込められているあなたをお救いしたい、と。だからわたくし、あの方に頼んだの。


『王になって、この国を変えて』と。


 あの方は反逆の証拠を次々に捏造して密告した。もともとすべてを倦み憎んでいたお父さまは歳をとって病を得て、さらにひどい妄想に囚われるようになっていた。この状態なら、簡単に子どもたちの死刑執行書にサインするとわたくしがアドバイスしたのよ。

 そのかわりあの方はわたくしに妻になれと望んだわ。革命は茶番。はじめからみんなわたくしとあの方が仕組んだこと。


 でも、わたくしはあの方の妻など、願い下げだった。わたくしを閉じ込め踏みつけるのが、お父さまからあの方に成り代わるだけよ。

 わたくしはただ、すべてを壊して自由になりたかっただけ……」



 言葉が見つからない。

 いちどにいろんな情報が入ってきて、溺れそうだ。


 グラスゴー公爵と繋がっていた?

 ヘレナが?

 みんなこの人がはじめたことだったの?

 それじゃあ、ヒルダは……親父たちは……革命軍で戦う平民たちは、なんのために……。



「ほんとうはおまえをわたくしの身代わりにするはずだった。同じくらいの年格好の黒髪の女をずっと探していたの。おまえをそれらしく見えるように時間をかけて身綺麗にして、殺して顔を潰して、おまえに成り代わって逃げようとしていたの。


 自由になる方法なんてそれくらいしか、わたくしには思いつかなかった。どうせ死刑になる女だからかまわないだろうと、ずっと思っていたのよ。

 それどころか、ずっと憎かった。外の世界で自由に育ったくせに。なにもわからないくせに。自分勝手に逆恨みする愚か者たち……でも、なにもわかっていなかったのはわたくしの方だった」



 あたしが身代わり?


 殺すためにそばに置いていたの?


 憎まれていた?


 追い討ちをかけるように打ち明けられて、内臓をもぎ取られたような痛みと衝撃が全身を襲った。ヘレナは……ヘレナは……、あたまのなかで、思考が空回りする。


「まさかこんなことになるとはね」


 衝撃を受けるあたしを悲しげに見やって、自嘲するようにこぼす。


「おまえのひたむきな瞳に映るわたくしは、とても……見るに耐えなかった」


 黒いオニキスの瞳のなかに、あたしの姿が映っている。ヘレナと同じ黒髪にヘレナとは違う金色の目を見開いて、冷水を浴びせられた野良犬のように怯えて、まっすぐにこちらを見ている。


「ありがとう。おまえのおかげで、たくさんのことに気づけたわ。

 わたくしはもう、おまえを犠牲にしてまでして生きたいとは思いません。

 さあ、理解したなら短剣をよこしなさい。わたくしは自分で自分に始末をつけるわ。

 わたくしを信用できないというなら、ロビン。おまえがやって。わたくしを自由にして。お願い」



 それは懇願だった。誇り高い王女の、絞り出すような、ただひとつの心からの願い。そして彼女はほほ笑んだ。ゆっくりと口角が上がり、この世のものでないような背筋の寒くなる綺麗な笑顔が現れる。あたしの心を掴んで離さない人が最期に浮かべる表情。



 心臓がどっどっと早鐘のように打っている。

 耳鳴りがひどい。冷や汗が背中を伝う。

 短剣を抱き込んでいた両腕をのろのろと解く。


 目の前の黒い瞳のなかに、短剣を逆手に持って振りかぶるあたしがいた。


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