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最後の勧告

 肌寒く虫の音のきこえる秋になり、すっかり人気ひとけのなくなった後宮で、あたしは中庭のねこじゃらしを抜いてふりまわす。偉大な指揮者のようにリズムをつけて振ると、ひゅんひゅんへろへろと穂がゆれて、なかなか楽しい。


 世話をする女官がいなくなり、手の回らなくなった庭の隅には、どこから紛れ込んできたのか慣れ親しんだ雑草がひょっこりと顔をだして、なつかしいような切ないような気持ちになる。





 革命軍が王城を完全に包囲して、もう一週間が経つ。


 グラスゴー公爵は、王さまに降伏勧告を出した。しかし今日に至るまで王さまがなんらかの返答をしたとは聞かない。これはアビーが後宮から逃げるとき、最後に教えてくれたから確実だ。彼女は「殿下によろしく」と言って去っていった。その意図はわからない。



 もうすぐ革命軍が王城になだれ込んでくるだろう。そうしたら、この城にいるすべての使用人と王族の命はない。もちろんヘレナ姫もだ。





 ◇◇◇




「ロビン、逃げるなら今よ! 城のなかはもう危ない」


 今朝、いつものように厨房に食事を取りに行ったとき、出入り業者に扮したヒルダがいて、早口であたしにささやいた。ヒルダの腕のなかには変装用の服があり、彼女があたしのために用意してくれたんだってわかった。


 たぶん、最後のチャンスだったんだろうな。


 でも、あたしは首を横に振った。

 ここまで来たらもうぜったい逃げたくない。


 あたしの親友は絶望した顔をした。翠の目をいからせ、あたしの両方の二の腕をしっかりとつかみ「なんで」と訴える彼女の気持ちを、あたしはだいなしにしている。


「わからないから」


「なにが?」


「ずっと知りたいと思ってたことがあるの。たぶんものごころついたときには、なんでって思ってた。どうして世界はこんなに理不尽で、ひどいことでいっぱいなの?って。あたしにはわからなかった。

 親父たちに会って、王族や貴族のせいだって教えてもらった。あいつらが世の中の幸せを独占しているせいなんだって。あたしも素直に親父たちの言うことを正しいって思ってた。

 だけど、ここに来てわからなくなった。実際の王族は、なんか想像していたのと違って、世界はあたしの思っていたよりずっと複雑なんじゃないかって、どんどんわからなくなって。今ここで逃げたら、もっとわからなくなると思うし、あたしはきっと自分が許せなくなる。だから、一緒にはいけない。ごめん」


「そんなの、わかんなくていいじゃん。いま生きてれば良いんだよ。バカなの? あなた自分の立場がわかってないでしょ?

 いまのあなたはどっからどうみても、貴族。それじゃなかったら、王族に尻尾をふった裏切り者よ。それを私は逃がしてあげようっていっているの。このチャンスをふいにするの? このままここにいたら殺されるのよ。すごく不名誉でいやな死に方になる」


「わかってる。でもあたし、バカだから残るよ」



 親父たちにまた会いたい気持ちはある。でも、親父たちはきっとあたしがいなくてもやっていける。すごく頼れる大人だから。


 どうしても逃げる方を選べない。

 だって、だめなのだ。ここから逃げても、あたしはここに置いていくことになるものについて一生後悔することになる。


「ヒルダは長生きして。あたしはここでやりたいことがあるから残るよ」



 逃げるにしても残るにしても、あんまり時間がなかった。こうしている間にもカートに乗せた料理がどんどんさめていくのがわかる。そう長くは厨房にとどまれない。ここでぐずぐず口論して戻るのが遅くなれば、姫に不審に思われる。


 ヒルダの返事を待たずに身を翻そうとすると「待って」と声が聞こえて、振り返ったところでヒルダの両腕があたしの首に巻き付き、唇と唇があわさった。


 娼館育ちのプロのくせにふれるだけの子どものようなキスで、あたしは逆にいたたまれない。そのキスがヒルダの言葉にできない最後の説得のような気がして、わざと乱暴な声をあげてごまかした。



「なにするんだよっ」


「いい? 私はみとめないから。突入は三日後の日の出前よ、なんとか逃げて。これはいまはもう使われていない使用人用の通用門の鍵。どさくさに紛れたら、少しはチャンスがあるかもしれないから」


 ヒルダは頑固なやつだった。

 あたしは彼女の燃える瞳から目をそらして、カートを押し、姫の待つ部屋へ戻った。




 姫の部屋にたどりつき、木彫りの重たい両開きの扉をグッと押すと、その向こうに変わらず美しい人がソファーに腰かけて読書をしていてほっとした。


 姫の方も読んでいた本から顔をあげ、あたしをみとめてやわらかく目を細めてくれる。


 ああ、この顔をみれたからここに残ったのは間違いじゃなかった。


 なにごともなかったように、音をたてないようテーブルに皿をそっと乗せるあいだ、あたしの首には銀の鎖に下がった小さな鍵がゆらゆらゆれていた。




 ◇◇◇




 夕陽の名残も後宮の塀の向こうに消え、青く暗く沈んでいく中庭で、手に持った猫じゃらしを剣のようにひゅっと振り下ろす。


 足を踏み変えてもう一度。二度、三度と繰り返し、仮想の敵を斬っていく。テンポよく流れるように。

 耳の奥に姫の笛の音がよみがえる。あの一体感が忘れられない。全身に熱い血がめぐり、どんどんスピードを早くしていく。目をつむると、焦りのマグマが内側から噴火しそうだ。




 三日後の夜明けがタイムリミット。

 それまでになんとかしなくちゃならない。


 たぶん、あたし一人なら逃げるのは難しくないと思う。あたしには長年の義賊としての勘もあるし、城内部の構造だってもうだいぶ詳しい。

 だけど、ヘレナ姫はそうもいかない。

 現在、この王城にいる王族はたったの二人だけ。つまり王さまとヘレナ姫だ。



 城に王族が二人しかいない。


 それはつまり、城になだれ込んだ革命軍は、ヘレナ姫のことを血眼になって探すだろうってことだ。

 きっと地の果てまで追いかけてくる。

 捕まったあとは、考えるのもおぞましい末路が待っている。それほどに、虐げられ、血を吐くような思いで死なないようにと、ただそれだけを考えて生きてきた平民たちの恨みは深い。


 いくらあたしでも大勢の暴徒をすべてなんとかすることなんて、できやしない。

 あふれる洪水をたった一袋の土嚢で押し止めようとするくらい無謀なことだ。


 でも、できるかできないかは、あんまり関係ない。あたしがやりたいんだ。

 あたしは姫をここから出してやりたい。


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