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青い鳥の死

 夏の盛りを過ぎて日がまた短くなっていくにつれ、姫が王さまに呼び出される回数が増えた。

 一週間に一、二度だったのが、一週間に三度、四度と増え、今ではほぼ毎日だ。


 それと比例するように、姫は落ち着きを失っていった。


 おなじころ姫の愛鳥も元気がなくなり、いつも誇り高く冷静沈着だった彼女の精神の均衡は、風に揺れるろうそくの炎みたいに頼りなく儚くなった。前触れもなくかんしゃくを起こしたり、音もなくはらはらと涙を流したりするのだ。おそろしいことに涙を流しても、ヘレナ姫の顔は変わらず彫像のように美しくて静かなままなんてこともあった。


 かんしゃくを起こした姫の怒りは苛烈だ。怒鳴り、叩き、モノを投げる。それは唐突に始まり、女官もあたしもわけがわからなくて呆然とすることしかできない。


 とうとう鳥が死んだ日、熱いお茶の入ったカップをなげつけて、姫は女官を全員追い出した。


「出ていきなさい! 二度と顔を見せないで」



 女官たちが部屋を出ていくなか、あたしは黙って部屋の隅にいた。あたしには女官と違って姫の部屋を出ても行くあてなんてなかったのだ。いや、ヒルダに繋がってる女官のアビーを頼ればすぐにでも出ていくことができたかもしれない。でもあたしはそうしなかった。


 いつまでも出ていかないでポツンと取り残されたあたしに気づくと、姫は口許を皮肉っぽくゆがめた。


「そうね。おまえはわたくしのものですものね。所有物は持ち主の手から離れられないものね」


 冷たい言い方だったけど、あたしはほっと息をついた。彼女がそれ以上あたしを追い出そうとしなかったから。




 ◇◇◇




 姫が「衛兵を呼ぶ」とまで言って脅したせいか、女官全員を部屋から追い出した翌日から、女官たちはほんとうにまったく姫のもとに寄り付きもしなくなった。


 だからあたしが姫の世話を一手に引き受けることになった(姫の目の届かないところでは、仕事を手伝ってくれたりもするけど、まあたかが知れてる)。そのおかげで、後宮のなかで許される行動範囲がはるかに広がってちょっとうれしい。


 一日の主な仕事はこんな感じ。

 食事を厨房に取りに行くこととさげること、シーツを換えること、洗濯婦に仕事を頼み終わったものを回収してくること、銀の薔薇の髪飾りやパールの十連ネックレスや翡翠の猫のブローチといった宝飾品を手入れすること、部屋中を隅々まで掃き拭き清めること。そして、姫のお召しかえを助け、髪をほどき、入浴の手伝いをすること。




 タイル張りのバスルームで、猫脚のバスタブに浸かった姫の髪をていねいに指ですいて、泡立てる。高価な香料をふんだんに使った洗髪剤の香りが満ちた空間は現実感がうすく、夢みたいだ。

 あたしは服を着ていて、姫はなにも纏っていない。入浴剤の乳白色の湯にうっすらと裸体が透け、あたしはそこに目をやらないようにするのでいつもいっぱいいっぱいになる。目の前の貴人はあたしにされるがままで眠るようにまぶたを下ろし、なにを考えているのかまったくわからない。この形のよい頭のなかになにがつまっているのだろう。ときどきスイカみたいにかち割って正解を知りたいと思う。こんなに近いのに、想像すらできないから。




 ほとんど二人っきりで姫と過ごすようになって、姫の態度はいくぶんか落ち着いて、ままごとのようにあたしをかまって遊んだ。

 家事の時間以外、ようやく肩甲骨辺りまでのびたあたしの髪の毛をあみこんでみたり、たわむれに上流階級のダンスのステップを教えてくれたり、詩を読んでくれたりした。詩の良し悪しなんて全然わからないけど、姫の声はずっときいていたい。くすぐったくてふわふわするから。


「おまえ、前よりふっくらして、かわいくなったわね」


 こんなことを言いながらあたしの手を取る姫に、あたしは手を握るだけじゃなくて、もっともっとと思ってしまう。


 生まれてはじめってっていうくらいにしずかで平和な時間で、あたしは泣いてしまいそうだ。


 そんなあたしに姫は容赦がない。

 目敏くみつけて、「どうしたのかしら?」と尋ねてくる。あたしは自分が泣きそうになってるわけなんてこの人に明かしたくないのに、黒曜石の瞳に悪気はなく子どものように無邪気で残酷な人なのだと思う。従うもんかって口をむっと閉じるのに、姫にじっと見つめられるとあたしはどうしても勝てない。



「ずっと続けば良いと思った……んです」


「なんのことかしら?」


「あんたとの時間が」


「まあ。このわたくしを口説いているの?」


「いいえ」


「では、なあに?」


「白状させられているだけ……です」



 この女神のように美しい人を口説こうなんて、思い付きもしなかった。この人はあたしの理解をはるか超えたところにいるのだ。

 あたしには、姫のことがわからない。こんなにも求めているのに、ちっとも届かないのだ。それがとてもとてもさびしい。


 これだと思ったのがいつもちがうと思い知らされる。





 姫の可愛がっていたあの青い鳥が鳥かごの底で冷たくなっていた朝、あたしは姫が悲しんでまわりに八つ当たりしているのだと思ってた。でも、あたしはその夜、自分の思い違いを知った。


 あたしは見たのだ。


 深夜、となりの部屋から灯りが漏れてるのに気づいて細く開けたドアの先、ヘレナ姫が手のひらに鳥の死骸をのせて、うっそりと微笑みその翼に唇を落とすところを。小さなランプに下から照らされた姿は、死を運ぶ天使のように凄絶で美しかった。



 熱い夏の日に地面の上をゆらゆらと滑る逃げ水のように、知りたいと思うほど遠ざかっていく人を誰が口説けるというのだろう。




 白状させられて、情けなくて、くやしくて、うつむいていると、あたまにやわらかな重さを感じた。そのまま、壊れ物をあつかうようにそっと撫でられる。

 ハッと顔をあげると、間近に慈愛に満ちた麗しい人がいて「かわいい」とくすくす笑う。こんどこそ、あたしは心臓にとどめの杭を打たれた。ほんとうに涙がでちゃうからやめてほしい。そんなふうに優しくしないで。




「では、わたくしもひとつ教えてあげるわ」


「なにを」


「あたくしもこの時間がずっと続けば良いと思っていてよ」



 耳元に吹き込まれた声が、あたしの願いと同じだったから、もうどうしていいかわからない。


 ぎゅっと抱きしめたくなって、でもそうしていいのかわからなくて、ためらっているうちにちゅっと額にキスが降ってきて、血管という血管の血液が沸騰して、あたしの涙腺はとうとう決壊した。

 どんな感情も強すぎると、最終的にはみんな涙になる。あたしにはかなしいのかうれしいのかわからない。ただ、もうどうやっても無視できないほど大きい感情がぐるぐると渦巻いて、あたしを翻弄する。



 姫は笑って小さな子にするようにあたしの顔を絹のハンカチで拭ってくれて、「まぶしい」とつぶやいた。

 あたしの顔なんて、涙と鼻水でひどいことになっているはずなのに、もうほんと意味がわからない。


 姫はあたしの理解を超えたところにいるんだ。ほんとうに。心から。


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