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運命の日

 ひとすじの日も射さない、王宮のじっとり湿って暗い地下牢。


 あたしはもう疲れきって、冷たい石床にひとり、横たわっていた。14歳になるのに女らしい丸みと無縁のあちこち骨ばったガリガリの身体に、垢じみた囚人服のワンピース、不格好に刈られた短い黒髪と、猫のような金色の瞳。小柄で力はないけど、あたしは一家のなかで一番すばしっこいと親父や兄貴たちによくほめられた。「まだ、14のちびなのに、たいしたもんだ」と親父がガハハと笑うと、からだんなかに小さな太陽が生まれたみたいにぽかぽかして、あたしはいつもうれしかった。




 あそこに盗賊団がいる、という密告があって突然一家のアジトに憲兵が踏み込んできた日から一ヶ月が経つ。捕まったときに刈られたざんばら髪から脂ぎってすえたにおいがほんとに嫌だなぁ、と年ごろの娘としては思う。牢の食事は一日に一回、石みたいなパンと濁って酸っぱいにおいのするスープ。


 もう限界かもしれない。


 汚ない床にほほをつけたまま、あたしはぼんやり思った。あたまに霞がかかったみたいに意識がもうろうとしている。


 一緒に捕まった親父たちはまだ生きているかな。捕まってすぐバラバラに引き離されたから、いまどうしているか、まったくわからない。


 義賊なんて危ない家業、いつ捕まってもおかしくなかった。でも親父たちには理想があった。この腐った国の貴族や金持ちたちに奪われたものを自分達に取り戻すんだって。

 やつらが不当に溜め込んだ富を、餓えた人びとにこっそり配るとき、その目に少しだけ光が戻るのがなによりもううれしかった。誇らしかった。


「おやじ……」


 この国が傾き始めたのは、今の王の代になってからだと聞いている。はじめ、変化はゆるやかだった。けれど、徐々に貴族や役人の汚職や不正がふえていって、なぜかそれを取り締まるものもなく、坂道を転がるようにタガが外れていった。貴族が私腹を肥やしやりたい放題になるのに、それほど時間はかからなかった。最大の原因は王が腐ったからだという噂だった。


 その皺よせは一番弱い立場の民にくる。

 情け容赦のない重税に各地で餓死があいついだ。人身売買が横行し、盗賊がふえて安全な場所なんてどこにもなくなった。


 両親のことは知らないけど、あたしが孤児なのもたぶん国が荒れているせいだと思う。


 スラムの孤児だった自分を拾ってくれた親父や兄貴たち。もう殺されているかもしれない。この国の支配階級は自分達に逆らったものに容赦しない。考えられる限りもっとも残虐な方法でみせしめに処刑するはず。

 女の自分はもっとひどいはずかしめを受ける可能性もある。


「そのときがきたら……できるだけ多く道連れにしてやる」


 歯を食い縛ると、ぎりという音がした。


 と、そのとき、かつかつと重い革ブーツの足音が近づいてきた。音からして二人分。食事の時間にはまだ遠い。今がそのときなのだろうか。




「おい、ほんとうに黒髪の若い女なんているのか」


「ああ、たしかこの前、捕まえた盗賊の一味に混じっていたはずだ。ここらだったと思うが」


 若い男の声だ。答える声はそれよりもう少し年がいっている。中年か、壮年の間くらいだろう。


「たしかに黒髪なんだろうな? これで茶髪だったりしたら……」


「そのときは染めてでも連れていくさ」


 年がいっている方の男の声に皮肉っぽい響きがまじる。


「バカ、そんなことして王族の怒りを買ったりしたらどうするんだ」


「そのときはそのときさ。なんの落ち度もなくたって、死ぬときは死ぬ。

 殿下がほんとうは朝食にステーキを食べたいとお考えになっていたのに、実際に出てきたのが鶏の丸焼きだったっていう理由でも殺されかねん」


「違えねぇ」


 からからと笑いながら牢の前までやってきた男たちは、カンテラの明かりを格子の前につきだしてあたしを照らした。


「おぉ、まじでいた。なんだよ、汚ないなぁ。これじゃあ、髪の色なんてわかりやしねぇよ」


 若い兵士が鼻にしわを寄せて嫌そうな顔をする。

 年かさの兵士が鍵を開けると若い兵士がずかずかと牢のなかに入ってくる。芋でも抜くように乱暴に腕をつかまれて、あたしは唾を吐いた。


「ぺっ」


「うわっ、こいつなにしやがる」


 顔に唾がかかると、若い兵士は顔を赤くして生意気な囚人を殴ろうと左腕を大きく振りかぶった。その瞬間にあたしの腕をつかんでいた右手の力がゆるんだのを見逃さない。

 瞬時に若い兵士をふりきって出口をめざす。「あっ」と背後で間抜けな声が聞こえる。へっ、ざまあみろ。すばやさにはちょっと自信があるんだ。

 あと少し、もう少し、あと三歩で出口だ!


「がっ……はっ」


「おっと!」


 内蔵が口から飛び出るかと思った。あたしは出口の近くにいた年かさの兵士に、したたかにみぞおちを殴られ崩れ落ちたのだ。あばらの浮いた身体には強烈な一発だった。口のなかにすっぱい味が広がる。


 くそっ!


 痛みで動けないところを二人の兵士に無理矢理引っ立てられて、そのまま階段をあがり地下牢から出る。外は昼だった。小春日の明るいうららかな光が目に痛い。


 もし、今日が最期の日なら晴れでよかった。湿った雪よりは、晴れがいいから。

 でも、その前になんとかして一矢むくいてやるけど。


 連れていかれた先は井戸だった。

 兵士たちが遠慮なくあたしの頭にざばざばと水をかぶせる。一回で終わらない。二度、三度と冷たく骨まで凍りそうな水が滝のようにふってくる。けど濁ってはいない。必死で口を開けて飲み干す。ひさしぶりのまともな水だ。甘い。おいしい。


「おい、いやしいな。こいつ、犬みたいだ」


 若い兵士が嘲りながらひじでこずいてくる。


「ほっとけよ。水くらい飲ませてやれ。かわいそうに。こいつ、俺の娘と同じくらいの歳だ」

 

「若いのにどうしようもない盗人」


「よせって。ほら、水ならこっちから飲め」


 年かさの兵士がおもむろに自分の腰に下げていた水筒を差し出してくる。


 無言でそれをひったくるように受け取り、舌先でちょんとついて味を確認してから、ぐびぐびと飲む。

 冷たい水のおかげで、あたまがちょっとすっきりした。兵士たちの隙をうかがい忙しく思考をめぐらせる。逃げられるかな。地下牢のクソみたいな日々のせいで万全のコンディションとはいえないけど、さいわい足は動くみたいだ。

 若い方は間抜けそうだから問題ないとして、こっちのおっさんはちょっと手強そうだな。さっきの手際を見るに、場馴れしてそうだ。



 手負いの獣のようなあたしの様子に苦笑しながら、年かさの兵士がかがんで目線をあわせてくる。おだやかな茶色の瞳に大型犬のような優しい光をたたえていて、あたしは胸を衝かれた。大きなごつごつとした手のひらがあたしの濡れた前髪をかきあげる。


「汚れは落ちたな。きれいな黒髪だ。大事にしな、またのびるさ」


 あたしは鼻で笑った。今から死ぬ人間にバカなことを。


「あたしは死刑になるはずだ」


 久々に出した声は風邪を引いたみたいにひび割れていた。水を飲んだから、これでもまともになったはずだけど。


 しかし、目の前の壮年の男は驚くべきことを口にした。


「いいや、おまえは今日から姫殿下のものになるのさ」


 そういう年かさの兵士の表情はいたって真面目で、とても冗談を言っているようには見えない。

 その兵士は、ぽかんと口を開けるあたしの間抜け面におおいに笑った。





 このときは思っても見なかったけど、この瞬間からあたしの世界はがらりと変わってしまったのだ。


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