第九話 人間襲来
忘れていた、俺の今の平和は有限だということを。
「やれやれ、また逃亡生活の始まりのようですね」
おそらくその足音は、カティナが呼んだ兵だろう。まだかなり距離があるとは言え、あまりに予想到着日より早く着いている。
俺は民家を飛び出し、カティナの姿を探す。
村人はまだ誰も気付いていない。
足音は見張りの視認範囲の外側にいる。視認されて騒ぎになる前までに、カティナを見つけなければ。
村を走り回っていると、カティナが固まったまま北東を見つめていた。
そちらは、シュナツトリィ王国の中核都市がある方面……つまり、兵が迫り来る方向だ。
「兵が来るのは俺がこの村に来てから一週間後……今日からあと三日ほどと言っていたな?」
俺の言葉に、カティナはびくりと肩を震わせた。
虚偽の情報で、兵が来るまで俺をここに留まらせ、かつ、不意を突く作戦。
実にうまくできている。今後いつ休息が取れるかわからない俺は、兵が来るギリギリまで村にいようと考えていたのだから。
「私は騙してない! 鳥電報での返事にそう書いてあったのよ!」
「俺の事を死ぬほど憎んでいるお前の言葉を、信用できると思うか?」
「っ!」
カティナは悔しそうに俯いた。
口ではああ言ったが、カティナの言葉は嘘には聞こえなかった。もちろん、たった数日でこいつの性格を全て把握できているわけではないので、これすら演技の可能性も無きにしも非ずなのだが。
「逃げますか?」
後を追ってきたマリーの声音から緊張が伝わる。
さすがに、千を超える兵と真正面から戦う気は無い。
「そうだな……逃げるしかないか」
選択を迷っていると、空気が震えた。
悲鳴にも似た鋭い振動が、肌にピリピリと感じる。
「……おい、カティナ。お前の国の兵はこんなにトチ狂ってるものなのか?」
魔力が北東方面で膨れ上がっている。それも複数。まだ戦闘が始まっていないというのに。それにあの膨大な魔力は、龍を対象にするには大きすぎる。
俺は思わず笑い声をこぼしてしまっていた。
「あいつら、ロートロム全てを焼き払う気じゃないだろうな」
「そんな……。もしや、私が捕縛しているという情報を聞いて、私もろとも龍を殺す気なの……」
苦悶の表情を浮かべるカティナの横に、マリーが軽やかな足取りで並ぶ。
「さて、優等生なカティナさんに質問です。あの陰術は何を齎す陰術でしょう? 爆発? 雷撃? 灼熱?」
突然のマリーの問に、カティナは答えられない。
「どれもハズレです。我々龍族の鱗は物理衝撃に耐性があります。特にあの兵たちが仕留めるつもりのザンテデスキアは、百人の陰術師が零距離で強力な術を放っても生きていたとされていますからね」
カティナは何かに気付き、目を大きく見開いた。
俺には分からなかった。龍族の反則級の鱗の硬さを貫く術を。
ゲームや漫画であれば、貫通能力や敵防御力無視などの属性を付与する手がよく使われる。陰術はイメージを現象化する術だから、それくらいの芸当は出来るだろう。
しかし、それならあんなにも距離の離れたところで発動する意味があるだろうか? 俺の側で心臓やら脳やらを一突きした方が、確実なのではないだろうか?
……広範囲で……物理的な術ではなく……。
――まさか!
「毒か!」
マリーは俺の方を見てにっこりと笑う。
「正解です、テルアキ様。お気付きの通り、あの人たちは毒の陰術を使うでしょう。私たちだってただの生物に過ぎません。体の組織構成、内臓だってそこらの爬虫類と大差ありません」
まさかの化学兵器に、俺は唖然とした。いや、その毒は陰術による何らかの効果でさらにえげつないことになっているに違いない。
大きな振動が縦続くに響く。
兵たちが毒の砲弾を放ったのだ!
「どうする?」
「テルアキ様。高さ十メートル地点から、砲弾を焼くための魔力を展開してください」
「村を覆う程度に、か」
「はい。簡単ですよね?」
こいつ、笑顔で無茶苦茶なことを言いやがる。
炎という絶えず消えていく現象を広範囲に、そして長時間維持する難易度がどれだけ高いか分かったものじゃない。だが、
「やるしかないんだろ、どうせ」
「さすがテルアキくん、頼りにしてますよ」
パチンとウィンクをしてきた。軽々と言ってきたが、そんな膨大な魔力をコントロールすることができるか、正直不安でしか無い。
「カティナは何もするなよ」
「どうして……!」
「村のためだからといって、俺と協力関係になれば罰せられるぞ」
「でも……」
「あと龍の力を舐めるな」
狼狽えるカティナにニッと笑顔を浮かべ、俺は民家の屋根の上に立った。
ああ、よく見える。迫りくる凶弾が。
なんとも潔いほど禍々しい魔力じゃないか。それを、国を守る兵が放つなんて笑えてくる話だ。
俺は右手を、北東の空へと掲げる。
村と同じ大きさの幅で、魔力を広げる。魔力と共に意識が離れていきそうになるのを、歯を食いしばって持ち堪える。
魔力のまま、体から離して維持すること自体慣れていないのに、ここまでの量でやると負担が大きい。
堪えていると、凶弾が視認できた。
「今です!」
「燃え尽くせぇっ!」
黒色が交じる赤い炎が空を覆い尽くす。
村人が戸惑いながら空を見上げているが、構わず俺は炎を放ち続ける。何かが焼けている手応えはある。だが、これだけ展開しているせいか火力にムラが出来てしまっている。
火力の弱い箇所を通る弾丸は焼き切れず、炎の壁を貫通してしまう。
「マリー!」
「任せてください! 氷蓮壁展開っ!」
炎の壁の一メートルほど下に、大きな氷の花が開く。
焼き切れなかった弾丸は全て、分厚い花弁に弾かれる。少し傷がついただけで、削りすらしなかった。
「……これ一つで良かったんじゃないか?」
「念のためです。一発でも村に落ちれば、多少なりとも被害は出ますから」
確かにそうだが……なんか凄く負けた気がする。
「何事か?」
ザカライアが下から俺へと尋ねる。
俺が今の状況を話すと、あのザカライアも驚きを隠さなかった。
「ロートロムごと毒に……あやつらは国民の命を何だと思っておる」
「多数の命を守るために必然的な、少数の犠牲と考えているでしょうね」
数分凶弾の雨を防ぎ続けているが、一向に収まる気配がない。
マリーの表情が、徐々に強張ってきた。
「ふふっ……一体どれだけ魔力を溜め込んでいるのでしょうね。それにしても、このままでは魔力が尽きてしまいますね」
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次回は明日更新です。
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