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黄色い本と、蒼い栞  作者: 豊つくも
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中編







 ピンポンと軽快なチャイムがなり、ベッドの上で寝ていた蒼はその瞳を開いた。来訪者の存在には気づいたのだが、無視を決め込んでまた眠りに落ちようとする。

 しかし来訪者は、幾度となくチャイムを鳴らしてそれを許そうとはしなかった。


 蒼は、軽く舌打ちするとのろのろと体を起こしてベッドの脇に置いてあった白杖を手に玄関先へ向かう。



「蒼くん、久しぶり」



 扉を開け、尋ね人の声を聞くと蒼は、あからさまに嫌そうな顔になり眉に皺を寄せた。



「……何しにきた?」



 低い声に栞の肩はびくりと跳ねたが、せっかくここまできたのだから引き下がるわけにはいかない、と表情を引き締めて努めて明るく振舞う。



「何しにって……。蒼くん最近ぜんぜん学校こないし、電話しても出てくれないから、どうしたのかなと思って!」


「……とりあえず入ったら?」


「……お邪魔します」



 家主の蒼に促されて、栞はこくりと頷き中へと入った。


 玄関で靴を脱ぎ、一歩足を踏み入れて栞は絶句する。


 リビングへと続く廊下には黒ずんだシミがあちこちについている。いやシミがついた、というよりは、何かが飛び散った後といったほうが適当だろうか。シミの後を辿って視線を動かしていくと、床や壁のいたるところに傷がみとめられた。



「これ……」


「……ああ、すごいだろ。家の中。これ全部あの時のままなんだ」



 蒼がおかしそうに笑ってこちらに視線を寄越す。彼には物が見えていないので、おそらく栞の声を頼りにこちらを向いたのだろう。



「……引っ越そうとは思わなかったの?」



「引っ越す? どうして? 犯人に対しての恨み辛みをいつまでも忘れないようにずっとあの時のままにしているんだ。俺は犯人を、生涯許さないと誓った。心の奥底から憎悪し、誰かを恨む事は自分自身も疲れる。できるならそんな生き方したくはなかった。だけど、そうしないと、殺された俺の家族も浮かばれないだろう。俺があの時の事を忘れて一人で楽になっていいわけないんだ」


「蒼くん……」



 蒼は、手探りで壁をなぞりながら話を続ける。



「目には見えなくても肌に伝わってくるよ。ほら、こうやって床とか壁についた傷も……これは、確か父さんが心臓を滅多刺しにされた時にできた傷、こっちは母さんが……っ」


「蒼くん!」



 栞は、それ以上聞くのが堪えられなくて声を荒げた。



「……何? 大きい声だして」


「私、蒼くんに話さなくちゃいけないことがあるの……」


「俺の部屋に移動しようか」






*****








「話って何?」



 そう蒼に問われたが、栞は考え込むようにして口を閉ざしてしまった。



「……」


「何もないならもう帰ってほしいんだけど」



 怒ったような顔になった蒼に、栞は諦めの吐息を落とすと彼を見据えた。



「あのね、私ずっと苗字を蒼くんに隠してたでしょ……?」


「……ああ、そうだったっけ」


「実は、私の苗字は……藤堂とうどうなの」


「藤堂?」



 蒼が厳しい表情で、目を見張った。



「……私は、お父さんと二人暮らしをしていたの。幼少期からずっと。お母さんは、病気で物心ついたころにはもう……、忘れもしない今から半年前の寒い冬の日。お父さんが……頭から赤い絵の具被ったみたいに全身真っ赤で……血まみれで、倒れこむように家に帰ってきたの……私は救急車をすぐに呼んだけど、うちに来たのは警察の人だった。お父さんは人殺しをしたって……だからこれから刑務所につれていくって……

それで……っ」


「……驚いたな……。俺の家族を殺して、俺の目を奪った藤堂宏容疑者の娘がまさか……栞、君だったとは」



 蒼の表情が一変した。怒りや驚愕とは違う、絶望に近い眼差しで視線を落とした。



「黙っててごめんなさい……っ、高校に入ってすぐ、図書室で蒼くんを見かけるようになって、いつの間にか蒼くんを好きになってて、どうしても気持ちを押さえられなくなって、事件当日の翌日に告白しようと決めていたの、でもお父さんがあんな酷いことを蒼くんに……、蒼くんの家族に……っ」


「何で……すぐにそれを話さなかったんだよ。全部分かってて今まで何も関係ないような素振りで俺に接してきたってことだろ……」


「どこかで言おうとは思ってた……でも、きっと言ったら蒼くんは私の事嫌いになる……やっと、やっと話ができるようになって、仲良くなって……蒼くんを失うのだけはどうしても嫌だったの……自分勝手といわれても仕方ないってわかってる……ごめんなさい……っ」



 「嫌わないで」と栞は、嗚咽を漏らした。



「……そんなに、俺のことが好きなの?」



 泣き声を聞きながら、蒼は苦々しい顔で栞に問う。


 栞は間髪いれずに「うんうん」と何度も声に出して頷いていた。



 栞の声に蒼は頭を項垂れる。


 胸中は複雑だった。


 自分の大切な家族を殺して、光さえも奪っていった犯人。


 その犯人を絶対に忘れるものかと、憎む事で自分を保ってきた。


 そんな時、突然現れ自分の支えになろうとしてくれた女の子。


 栞の献身的な態度にいつしか自分も、この女の子の支えになってあげたい、甘えてばかりじゃ駄目だと思うようになっていた。


 その栞が、実は犯人の娘だった。何で黙ってた?本当は裏で俺を嘲笑あざわらってたんじゃないのか?


 アイバンクからの電話に一喜一憂する日々。


 学校では、皆から腫れ物扱い。


 そうだ、もう疲れたんだ。




 ――もう、どうにでもなれ。



 蒼は、自分の中で何かが崩れ落ちるのを感じた。



「そう……そんなに俺の事好きなんだ。なら、やらせてよ。いいだろう? なんか、今疲れてるのか無性にそういう気分なんだ」



 栞は、一瞬戸惑ったように黙り込んだが少し考えて「うん」と小さく頷いた。



 蒼は栞の手を引いて、そのままベッドへと押し倒した。






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