売るわよ 3
一二月二七日、火曜日――。
楽しげな音楽を引き連れ、どこかの宣伝カーが通り過ぎて行った。歳末セール云々、初売り福袋云々、と謳っている。今日、三度目だ。
窓から見える年の瀬の街は、普段に比べると随分人通りが多く感じられた。みな今までいったいどこに隠れていたのだろう? 街行く人々は急に幸福でもまとったかのように浮き立ち、今にも歌いだしそうな目つきをしている。祭りの前夜のように気持ちが高ぶる、そんな魔法が年の瀬にはある。人々の様子が妙にきらきらと目に映る自分もまた、魔法にかかっているひとりかもしれなかった。小春は仕事を続ける。
「花、足りないんじゃないのかぁ?」
杉木が注文伝票の山を見ながら言う。眉間にしわを寄せ困ったふうを装ってはいるが、うれしい、と顔に書いてある。文字通り『うれしい悲鳴』というやつだ。
「かもねぇ」
小春は角度の良いモンステラを品定めしながら生返事をした。
町宮と三岡もここ数日は例年の如く連勤で、日々、仕事に忙殺されていた。次から次へと押し寄せる大量の切花。水揚げ作業に追いかけられ、それをディスプレイする時間などもはや無い。売場は作業場と化した。
「はい、お仏壇の花が二五〇〇円、これは花瓶に入れるものですね。あ、それが二つですね。それから玄関用のアレンジ、これは五〇〇〇円、松など入れて……松はお嫌いですか? それでは千両など入れてお正月っぽくしましょうか、はい、ありがとうございます。あ、もう一つですか、それは……ご実家用ですね、わかりました。あとは――」
三岡が電話で注文を聞いている。金額や個数に間違いが無いよう、話しながら伝票を指さし確認している。電話なのに生真面目に時々頭を下げる。
あちらでは町宮がボールペン片手に接客中だった。
「ええと……では、アレンジが全部で五つですね。すべて三〇〇〇円で、花材はおまかせですね、あ、かわいらしく、わかりました。二つはご自宅用で、残りの三つは差し上げるもの、ということで。あ、そうですかぁ、いえ、とんでもないです。えっ、ありがとうございます」
客の話に頷くたびに揺れる髪の間を、マゼンタ色した小さな玉のピアスが見え隠れしている。丸くてほど良い艶を帯びたノブドウの実のようなそのピアスは、頑張りたい時にしてくる、町宮の『勝負ピアス』だった。昨日からしてきている。
小春と杉木は接客の合間を縫っては製作に勤しんだ。
店頭に並べて販売する出来合いの正月用アレンジなどはこの店には存在しない。仮に作ったとしても、それらはすべて一瞬で予約品に回ってしまうだろう。なにしろ全部が手作業だ。既製品ならスーパーへ行けば売っているだろうし、人を雇ってまで商品を並べて売る必要性を感じなかった。わざわざ予約してくれる人達をなんとしても守り抜きたい、そんな使命感に似た思いもあった。
注文伝票は瞬く間に机の上にたまっていく。
「いやだ、もうこんなに」
電話を切った三岡が、伝票の山を見てたまらずため息をつく。「みんな、もうちょっとだけ早く予約してくれたらな」と思わず愚痴る。三岡さん髪、と言う小春の言葉に、ああまただ、と鏡を見てさっと髪を束ね直した。
予約注文を取り終えた町宮が伝票片手に小走りでこちらへ戻って来る。
「これ、みんなで飲みなさい、って」
手にしていたコンビニの袋にはオロナミンCとお茶が四人分、計八本入っていた。
「近藤さんがくれたんです」
町宮はみなの手元にオロナミンCを置く。「注文もたくさんくれたんですよ。書き入れ時だもんねぇ頑張ってねぇ、って」
客は時々差し入れをくれた。ジュースやら、せんべいやら、シュークリームやら。山で採ってきたタケノコだとか、畑で採れたトマトだとか。その度に杉木は頭を下げた。杉木は礼を言うのが上手かった。町宮の素直に喜ぶ姿は天才的で、見ていて気持ちが良かった。三岡の遠慮深い振る舞いも、奥ゆかしくて悪くない。小春は一生懸命良い商品を作ることで客の好意に応えた。
小春は腕まくりをすると、いただきます、とオロナミンCのふたを引き、それを一気に口へ流し込む。喉を落ちて行く微炭酸が食道と胃の壁を刺激し、溜まり始めていた疲労を打ち消した。「あぁ――頑張れそう」
エプロンの紐を締め直し、よし、と三岡もふたを引く。「私も頑張ろ」
はい、みんな、と杉木が手を叩く。「これからもっと混んでくるから、くれぐれも慌ててケガなどしないようにねぇ!」
今日は何回「いらっしゃいませ」を言っただろうか。床は、掃いても掃いても葉っぱや茎ですぐに埋まる。青い匂いが湿気に混じって漂い、緑色の汁で床がよく滑る。物日などの忙しい時には休憩時間はまず取れない。客の途切れた僅かな間を狙い、立ったままなり腰を下ろすなり各々気を休めるのが常だった。
「では、いただきます」
杉木はオロナミンCをかかげて一礼した。ビールみたい、と町宮が笑う。
電話が鳴る。こんにちはぁ、と客が入って来る。
飲み終えた瓶を、さっと作業台の下に置く。小春は黄色のスプレー菊の束を小脇に抱え、山となった注文伝票をめくった。町宮の大きくてのびのびした字、三岡の角の尖った丁寧な細字、杉木の意外とかわいらしい字、見慣れた自分の字。伝票差しに入り混じって重なり合い膨らんでいる。このすべてが金に変わるのだ。そう思うと興奮し、俄然やる気が湧いた。今回は、なにが何でも金を集めなければ――。
客が切れたのを見計らい、はいはい、と小春も手を叩く。「みなさん、一品でも多く売れるように頑張ってくださいよ!」
はい! と三人の返事が重なり、おおっ、と笑いが出た。
掛け率ならもともと高めに設定している。売れればそれなりの利益が確保できることは確実だった。
問題は、幾ら売れるか、だ。
予約は今のところ順調に入ってきているように思える。一二月の中ごろから本格的に入ってきて、それに伴い売上も日に日に上がっていく。先払いの人もいるし、品と引き換えの人もいる。そのピークが三〇日。予約品を受け取りに来る客や飛び込みで来る客で、店は大騒ぎになる。三〇日は踏ん張り時だ。
六〇万くらい欲しいかな――。
小春の心臓は静かに高鳴った。
※
一二月二八日、水曜日――。
昨日家に帰ったのは夜中の三時だった。急いでシャワーを浴び、少しでも睡眠時間を確保しようと服のままベッドに入った。朝五時一五分に起きて、六時半前には店に到着した。
夜九時に帰った町宮と三岡は、小春と杉木のからだを心配しつつ、いったいどこにそんな体力があるのかと不思議がった。
こんなことはよくあることだった。業種にもよるだろうが、小さな店を経営している者ならみな多かれ少なかれ経験しているはずだ。このご時世、仕事があるとはありがたいことなのだ。『感謝』が『疲労』を上回るうちは疲れを感じない。『疲労』が『感謝』を上回るようになってくると、あとはもう『気力』の勝負だ。『気力』が尽きてしまいそうになったら――奥の手がある。「金が手に入るぞ」と自分に言い聞かせて焚きつける。ここまで来るともう、やけくそに近い。
今日も店は賑わいをみせた。それほど知らない客までもが「それではみなさん、良いお年を」とにっこりお辞儀をして帰って行く。その言葉を耳にする度に、小春は2011年があと少しで終わることを実感した。
2011年、今年はどんな一年だったのか、小春は手を休めぬままなんとなく振り返っていた。
一月、日本列島を大寒波が襲った。各地で大雪が降り、農家のビニールハウスの倒壊被害が深刻だった。寒さで客足も途絶え、売上も冷え冷えだった。
二月、ニュージーランドの大地震。その少し前に姉がちょうどニュージーランドへ旅行に行っていて、帰ってきた矢先のことだった。
三月、東日本大震災。日本が大きく揺れた。連日のニュース映像に息をのんだ。わりとすぐ世界五十数か国が支援を申し出たというニュースが流れ、胸が熱くなり涙が止まらなかった。同じCMが延々と流れた。
四月以降は、とにかく震災関連のニュースが主だった。大手企業や、国内はもとより海外の俳優、ミュージシャン、スポーツ選手なんかも被災地に多額の寄付をしてくれた。聞いたことのない化学物質の名前や単位も毎日耳にするようになり、問題は多方面に広がった。
七月、なでしこジャパンの優勝。うれしかった。サッカーファンではなかったが、悲しいニュースに国中が埋め尽くされていた中での快挙達成は、跳びあがるほどの喜びに満ち、青のユニフォームに舞う金色のシャワーは何度見ても感極まるものがあった。選手たちのはち切れんばかりの笑顔を見ながら、人に夢と希望を与えるとはこういうことかと清らかな気持になった。
あとは……タイガーマスク伊達直人、八百長、地デジ、ギリシャ破綻、円高。それからタイの大洪水。この洪水は、花業界にも今後影響が出てきそうだった。タイはオンシジュームやデンファレなど、蘭の一大産地だ。たくさんの蘭の根株が水に浸かってだめになったと市場関係者に聞いた。切花の蘭の流通量や価格になんらかの動きが出るかもしれない。
こうして振り返ると、大変な一年だった。
とどめに税務調査が来た。まさかこんなことになるなんて。こんな締めが待っていたなんて――。古林の顔を思い出しそうになり慌ててかき消す。
小春は五〇〇〇円の還暦祝用のアレンジを作り終え、ナイフをしまった。「赤にこだわらずカラフルにしてほしい」というリクエストだ。黒のボックスに赤以外のカラフルな花々を敷き詰めた。仕上げに真っ赤な姫リンゴの実を二つ添えた。ふと鏡に映った自分を見て、疲れた顔をしていることにはっとし口角を上げる。
いらっしゃいませぇ――。
こんにちはぁ――。
ありがとうございましたぁ――。
向こうにいた客がこちらを見て会釈したので、小春も半ば反射的に微笑みを作り頭を下げる。
昨日は二三万売れた。今日はきっと、同じか、もう少しいいだろう。明日は二九日か。明日は……三八万くらいかな。三〇日は六〇万、行くかな。三一日は、二〇万くらいか。
今、レッドクローバーは高波の中にいる。高売上という名の波だ。2007年から2008年にかけて始まった波打つ売上は、当初こそ日々ジグザグと波打っていたが、その波は徐々に大きく緩やかになった。つまりそれは、売れる時期と売れない時期が明確になってきたことを意味していた。今は『売れる時期』だった。
いらっしゃいませぇ――。
こんにちはぁ――。
小春は支払いのことを考える。
花屋の支払いは一〇日ごとである。一日から一〇日までに仕入れた分の支払いは二〇日までに済ませなければならない。一一日から二〇日までに仕入れた分は三一日までに、二一日から三一日までの分は翌月一〇日までに支払う。きっちり一〇日ごとに市場からの請求書が届く。
今回の一〇日分、すなわち一二月二一日から三一日までの支払いは、おそらく七〇万くらい。鉢物の仕入れ分もあるが、それでも七五万までは行かないだろう。ということは、一〇日で二三〇万は売りたいところだ。もちろん、ロスはゼロと考える。とすると支払い後に残る金は一五五万くらいか。そこから引かれるのが、資材代の七万、家賃が一三万、あとは、えーと……。
「ハルさん」町宮がアイコンタクトをする。
見ると、客が小春を待っている様子だった。森下さんだ。森下さんはいつも直接注文を言いたがる。半歩後ろについている小学生の娘が、じっとこちらを見ていた。エプロンにまとわり付いた葉っぱやラッピングの切れ端やヒペリカムの木くずを手早く掃い、こんにちはぁ、と小春は笑顔をこしらえる。
※
一二月二九日、木曜日――。
「ハル、寿司屋の話をしたのって昨日だっけ」
杉木が手を洗いながら訊く。松ヤニが付いてしまったらしく、ごしごしやっている。
小春はアレンジ用容器を十個ほど並べたトレーを抱えたまま少し考え「今日の朝だよ」と答えた。容器の中には給水性スポンジが既にセットされており、水を含んでずっしりと重い。そうだっけ、と杉木が笑う。
朝早くから夜遅くまでずうっと仕事をしているのが何日も続くと、昨日の出来事と今日の出来事とが混ざり合い、よく判らなくなってくる。睡眠不足のせいで上手にリセットされないのだろう。市内の寿司屋の大将がレッドクローバーの花をいたく気に入ったらしく、店に飾る花を毎週届けてほしいと依頼があった、という話である。
小春は持っていたトレーを作業台の上に置く。よっこらしょ、と声が出た。「ありがたやありがたや、ってこんなことしてたじゃない」と手を合わせて拝む真似をしてみせると、そうだった、と杉木は思い出した。
「ほんとありがたいよなぁ、頑張らないとな」
そう言って杉木は声をひそめた。
「だってさ、もともと、なのはな生花店でやってた仕事だろ。それを切ってうちに頼んで来たんだぞ。ヤバいよな、結構長い付き合いだったみたいだし。なのはなの社長、ひと癖あるからなぁ。こえーな、なんか」
「別に怖いことなんかないよ。飽きたのよ、きっと。お寿司屋さんだからって、なにも枝ものを立てたりして風情のある雰囲気にしなくたっていいのよ。私、思いっきりモードな感じで作ってやるんだから。ここはフレンチレストランか? 高級ホテルか? ブティックか? みたいな感じにね。個性的な花とか葉物を使うと案外合うんじゃないかと思うんだ。ヘリコニアとか、プロテアとか、アーティチョークとか、エメラルドウェーブとか、派手目のクロトンとかね。垢抜けた感じに仕上げるの。刺激的よぉ、私について来られるかなァ、あの大将」
小春はそう言ってフリスクを口に放り込み、ガリガリと鼻息荒く噛み砕く。
マジか、と杉木は笑った。
ハルさん、と町宮が駆け寄る。「ポピーってまだ入荷しないんでしたっけ」
「ポピー? 無いことも無いけど――まぁ、二月とか三月かな、うちに入るのは」
杉木も頷く。
町宮は素早くオッケーサインをかかげると向こうへ戻る。切花の棚のわきからちらりと覗くと、なにやら男女が問い合わせている様子だった。今日はバラだけにしますか、と町宮の声が聴こえる。
杉木は壁にもたれかかったまま続ける。
「この間届けたアレンジ、相当気に入ってたって話だもんなぁ。マチミヤが言ってた」
杉木は親指と人差し指で輪を作り、町宮のオッケーサインをなんとなく真似て、出かかったあくびを飲み込んだ。
「ま、いろいろ考えてるんじゃないの。なにしろ安い回転寿司屋がいっぱい出来てるからねぇ。お客さんに楽しんでもらうには、とか、他の店と差をつけるには、とかね」
あくびで涙目になった杉木を見ると、なぜかあくびがしたくなる。小春もあくびを飲み込んだ。潤んで目が熱い。
「そういえば――大将の下の息子いるじゃない? こっちに戻って来たらしいよ」
杉木は調子を整えるようにストレッチをしながら、へえ、と頷く。
「後を継ぐとかなんとか。肉屋のおばさんが言ってたよ。その上花屋を替えたってことは……店舗改装でもするのかな」
「ローマ字で『MASHIKO‐SUSHI』なんてな」
小春はトレーのアレンジ用容器を作業台の下へ一個ずつ移しながら、そうそう、と相槌を打つ。台の下は三段棚になっている。この前のオロナミンCの瓶が置きっぱなしになっていた。
「一種のイメージ戦略ってやつですかねぇ」
「そうそう」
注文数が多いので、アレンジの容器も次々と無くなる。無くなっては補充する。小春はオロナミンCの空き瓶を、水場に置いてある瓶のごみ箱に捨てる。
「バイクとか店内にディスプレイしたりしてな。あの息子、いいバイク乗ってんだよなぁ」
「そうそう」
容器の補充はいつもは町宮や三岡がやってくれているが、なにしろみんなそれぞれ忙しい。出来ることはなんだって自分でやる。仕事は選ばない。それが組織円満の秘訣。
「あの手この手って――、まったく大変な世の中ですなぁ」
杉木は屈伸しながら他人事みたいに言った。
手元に現金が流れ込む日々は、気持ちをいたずらに大きくする。
小春はのんきな杉木の外腿を傍らに転がっていたなにかの枝で、ほらほら、と叩いてけしかける。「レッドクローバーさんも頑張ってくださいよ、仕事仕事」
時計を見ると午後五時半をまわっている。売場では、町宮が今度は男性客にユリの値段を訊かれていた。花束にするなら幾らくらいが見栄えが良いかを、身振り手振りを交えて説明している。
町宮は客の情報を聞き出すことに長けている。例えば、昨日の夜なにを食べたのかを、「昨日の夜、なにを食べましたか」と聞かずに聞き出すことができる。レッドクローバーのほかにどこの花屋を使っているのか、とか、孫が何人いる、とか、いつもどこのスーパーで買い物をしている、とか。客が普段どんなものを目にしているのかがわかると、何を求めているのかの見当がつけやすくなる。花屋の店員の能力でいちばん重要なのは実はこれなのではないか、と小春は常々考えていた。
町宮は、掴んだ情報を伝票にのせてパスを出す。パスを受けてそれを形にするのが小春と杉木の役目だった。客の好みは服装や持ち物、立ち居振る舞いなどからもおおよそ掴むことが出来る。そのためにも客にはしっかり目を向ける。客の好み通りに作ればいいというわけでは決してなく、要望にプラスアルファ、時にはマイナスアルファしながら形にしていく。絶妙かどうかが常に問われる、そんな世界だ。
そして、それらを成し遂げるためにはチームワークが不可欠だ。店員同士の連携プレーがすべての要となる。そのことを理解している店員だけが、仕事の中にやりがいや面白さを見出すことが出来るのだろう。
三岡が床を掃きながら、首をぐるぐるやっている。今日はコンタクトではなく眼鏡だ。
「今日はどのくらいいってると思う?」
杉木が小声で訊いた。売上のことだ。
「わかんない。結構いいんじゃない」
現金が手元にあるのは、確かにとても気分がいい。ねえ、と小春は改まって杉木に顔を向ける。小春も小声で言う。
「今年って、予約数多いと思わない」
「やっぱりそう思うか」
杉木は静かに瞳を輝かせた。
「ねえ、ヨウちゃん」
小春は杉木の目をまっすぐに見る。
「売るわよ――」
今日は午後から雨が降り出していた。客足は雨と共に一旦落ち着いている。この季節に雨なんてめずらしい、と客も口々に言った。午後からの雨をみな知っていたらしく、今日は客が午前中に集中した。売場の床には千両や南天の赤い粒が無数に転がり、午前中の混雑の余韻を残していた。
一息ついた町宮は重なり合った伝票の山を整理し、三岡は近隣への配達の準備を始めた。
小春も杉木も、睡眠不足が身体の節々に蓄積され始めていた。そろそろ『疲労』が『感謝』を上回る気配だった。
二七日は二九日分、二八日は三〇日分、というように予約品は二日前から前倒しして製作していた。それでも次々と入る追加予約に追いかけられた。花市場は今年の営業をとうに終えた。大量に仕入れた花は、底をつき始めていた。
靴屋、八百屋、弁当屋、パン屋、カレー屋、眼鏡屋、金物屋、文房具屋、リサイクルショップ、床屋、不動産屋、ガラス屋。周りの店のほとんどが、すでに正月休みに入っている。花屋の本番はこれからだった。明日に山場を控え、今日の残業は朝方までかかると思われる。
今夜から寒気が入って来て明日は冷え込むらしかった。予約制といえども、やはり天候は売上に作用する。
明日は天気になって欲しい、と小春は切に願う。