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最終回 幼常無残

 何故だ。

 馬謖の脳裏には、疑問ばかりが浮かんでは消えていく。

 十万。張儁乂の全軍が、砦に目もくれず山を囲んだのだ。

 山頂の陣。馬謖は、蟻の大群のような魏軍を眺めていた。

 重厚で水も漏らさぬ、見事な包囲陣である。何処を突いても、両翼から押し潰されるだろう。

(何とか、包囲を突破せねば……)

 容易でない事は、理解している。一度、王平と陳翼が砦から討って出たが、それは簡単に打ち払われている。

 だが街亭の後方には、列柳城に籠る高翔の一万がいる。これに合流さえ出来れば、張儁乂の背後に司馬懿の十万が控えているとしても、助かる見込みはあるだろう。

(しかし、解せぬ)

 目の前に砦があるというのに、毛ほどの迷いもなく、張儁乂は全軍で山を囲んだ。兵站に不安を持つ魏軍が一刻も早く抜くべきは、この山ではなく街亭ではないか。

(兵法のことわりに適わぬ)

 馬謖は、苦渋で寄せた眉間の皺を、指先で掻いた。

 張儁乂は名将と呼ぶべき軍人である。きっと、何か秘めた策戦があるはずだ。でなければ、山を囲むはずはない。

 時に、兵法の理に外れた事を為す者もいる。そう諸葛亮に教えられた事がある。そうした時にどうすればいいか、そこまでは教えてくれなかった。

 馬謖は本陣を張鉄に任せ、陣中の見回りに出た。大軍を眺めていても、頭が煮詰まるだけである。

 兵の士気が低い。それは仕方なかった。囲まれているのである。兵達が向ける眼には、不安の色があからさまに浮かんでいる。

 馬謖は将校を呼びつけた。五百人を指揮する隊長である。

「兵には、もう少しの辛抱だと伝えろ。今に丞相の策が敵を屠る」

「本当でしょうか。我々は逆落としを仕掛けるはずでしたが、今や囲まれております。水の手も心配ですし、どうも嫌な予感がするのです」

 そう言った将校は、確か程信という古参兵だった。長く蜀軍にいるという。こうした不安は経験からだろうが、軍歴を重ねても下級将校止まりの男の経験など、何程のものか。

「水源には、兵を割いている。心配するな。それよりも、これ以上兵を不安がらせるなよ。逆撃の時は近い」

 馬謖は程信が拝手するのも見ずに、踵を返した。

 翌日。夜明け間もない頃、張鉄が幕舎に飛び込んで来た。

「敵襲か?」

 その問いに、張鉄は首を小刻みに振った。

「泉が枯れました」

「何だと?」

「水源を断たれたのです」

「馬鹿な……」

 馬謖は飛び起きると、泉がある山の中腹まで駆けた。

 泉があった場所に、兵が集まっていた。馬謖が現れると、悲壮な顔を一斉に向けた。

「どういう事だ、これは」

 昨日まで澄んだ水を湛えていた泉が、湿った泥の底を覗かせている。

「昨夜まで変わりはなかったという事です」

 そう言ったのは、丁燕だった。補給・兵站を引き受けている。

「一夜にしてか。他の水源は?」

「あと一つ、上流に小川がありますが、それも駄目でした」

 張儁乂か。地元の民を買収し、水源を断たせたのだろうか。悪辣な真似をする。

 水の備蓄などは無い。元々、逆落としの為に山に拠っただけで、籠るつもりはなかったのだ。携帯しているものが全てである。

 渇きがすぐに襲ってきた。晴天続きで、雨も降りそうもない。夜になると、逃げ出す兵の報告も出た。水の奪い合いも起きているという。

 三日目。渇きは耐え難いものになった。携帯していた水も、既に飲み干している。兵達の馬謖に向ける視線が、敵意に変わった。そう感じた時には、馬謖は意を決した。

 全軍を集めた。全体の兵数がかなり減っている。元々、士気が高い軍ではなかった。人の気持ちを掌握する、そうした事は不得手で部下に任せていた。逃亡も止む得ないものだろう。

「これより、逆落としを仕掛ける。武器を取り、力の限り駆け抜けよ」

 剣を抜くと、兵が一斉に駆け下りていく。半狂乱だった。降りれば、水が飲めるのだ。馬謖も馬腹を蹴り、咆哮した。

 馬謖の真横を、あの程信の一隊が追い抜いていく。その眼は、異常なほどの闘気で満ちていた。

 いいぞ。この勢いならば、張儁乂に痛撃を与えられるかもしれない。いや、勝てる。馬謖は確信した。

 敵軍が見えてきた。鞍を挟む腿に、一段と力を込める。魏の旗。目の前に迫る。不意に、二つに割れた。無人の街道。馬謖は、そのまま駆け抜けた。

 背後で悲鳴が挙がったのは、その直後だった。振り向く。両翼から攻撃を受けていた。暴風。馬謖はそう思った。後に続く蜀軍が、両翼から吹いた暴風に押し潰されていく。

 刃。真横から来た。張鉄がそれを庇うように受けた。

「張鉄」

 そう叫んだが、既に鞍上には首の無い胴体だけがあった。李彰や丁燕の姿はもう無い。

 恐怖だった。言い知れぬ怖さに、肌が粟立った。

 必死に駆けた。もう振り向く事はしない。張儁乂が、すぐ背後まで迫っている。少しでも手綱を緩めれば、今度はこの首が飛ぶだろう。

 銅鑼が鳴った。砦から蜀軍が押し出し、張儁乂との間に躍り込んだ。馬謖を救うような動きだった。

 助かる。そう思った馬謖は、更に馬脚を速め味方の中に駆け込んだ。

 力が抜け、馬上から落ちる。すぐに兵が駆け寄り、水を差し出した。それを奪うようにして、一気に飲み干した。

「まだ、戦は終わっておりませぬ」

 そう言ったのは、程信だった。左眼に矢を受けたのか、包帯を当てている。

 味方が十万の圧力を必死に遮っている。自分を救った、あの軍だ。その陣頭で戦う指揮官の姿を認めた時、馬謖は絶望した。

 王平だった。


<了>

 最後まで読んで下さり、ありがとうございました。心より感謝を申し上げます。

 本来一話完結のはずでしたが、書きたい場面があり連載形式に致しました。今後も三国志異聞は、僕の書きたいものだけを書き散らかしていきたいと思います。変な妄想の塊ですが、今後とも何卒宜しくお願いいたします。

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