独白
「私と過ごした十七年よりも、彼女と過ごした一年にも満たない短い時間を信じる、と言うのですね……?
………っ!やっぱり、私は!何も…何も出来なかった‼︎
そしてまた私は奪われるのね…?
父の愛も、母の愛も、婚約者も、その愛も、友と思っていた方々との友情も……私が欲しかったもの、望んでいたもの全部‼︎‼︎
ただ、これだけで良かったのに。
他にはもう何も望まなかったのに。
地位も、名誉も、 富も。
何も要らなかったのに。
自分に向けられる愛情だけあれば、ただ、本当に、何も要らなかったのに‼︎
…ふふ……ふふはははははははははは‼︎
なんて愚かなのかしら?
そうね。
愛情なんてものを望んだ私が悪かったのね。
信頼なんてものを築けたと思った私が悪かったのね。
友なんてものを作った私が悪かったのね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー何かを欲しがった、私が、悪かったのね?
いいわ。
そんなもの、こんなもの、全部貴女にくれてやるわ!………でも、これだけは、絶対に、貴女になんかあげないから。
ーー私の魂だけは、絶対に。
ありもしない、やってもいない罪で処刑されるなんてまっぴらごめんよ!
だから……
さようなら、皆さん。
さようなら、愚かな方々。
さようなら、愚かな私。
ーーーーーーそれでは皆さん?御機嫌よう」
そう言って微笑んだ彼女は、窓の外に身を踊らせた。柔らかな栗色の長い髪が浮かぶ。ふわりと風に舞った白いドレスが翼のようで一瞬、見惚れてしまった。ーーーー翼など、あるはずがないのに、彼女が空に飛んで行くかのような気がして。
それは他の面々も同じだったようで、彼女だけがいなくなったその場には奇妙な沈黙だけが落ちていた。
何が起きたのか。何が、あったのか。
我に返って窓に駆け寄り下を見ると、彼女は赤い、赤い、花に包まれていた。白いドレスが血の赤に染まり、遠目から見ると赤いドレスを着ていたかのようだった。
彼女の妹である女があげた耳を劈くような金切り声が聞こえた。
大袈裟に泣き喚いている。自分は何も悪くないのだと、あの女が全て悪いのだと。
これまでなら、誰もがすぐに飛んで行って慰めようとするのに、誰もそうしなかった。
皆が皆、漠然とした違和感と同時に、自分の中にあった狂いそうなほどの甘い熱情が急速に冷えていくのを感じていた。
彼女が死んでから私は空虚に満ちていた。
たまに来ていた彼女の妹も、何の反応も示さない私を、これまでの態度からは考えられないような言葉遣いで罵倒して去って行った。
他の役員達も私と同じようになっているらしい、と誰が言っていたのだったか。
ただ、毎日を淡々と、淡々と過ごしていた。食事はするし、睡眠も取るが、そこに意思はない。体がこれまでの日常を繰り返すだけ。
薄いベールの向こうの日々をぼんやりと眺めていただけだった。
そんな私達にしびれを切らした五聖皇家の当主達が集結し、私達に告げた。
「お前達は何もわかっていないのだな」
と。
そこに含まれていたのは、失望。そして、僅かな嘲り。それに気づいた生徒会長 が問うた。
「何もわかっていない、とはどういうことでしょうか」
生徒会長の硬い声を聞きながら思う。私達は何を知らないのか。何を知っておくべきだったのか。
当主達はギリギリと歯を噛み締めながらこちらを睨みつけてくる。例え父といえども、五聖皇家の当主。濃密な殺気が私達を襲う。これまで一度も向けられたことのない明確な殺気に息を呑んだ。
「やはりーーーー、あの子をこんな愚かな愚息共の為に………あの子を、このような者たちの犠牲になどするべきではなかった………‼︎」
当主達が血を吐くように言った。
「お前達は知らないだろう。あの子がどれだけお前達の為に動いていたのかを」
普段は滅多に表情の変わらないコートランド家の当主が静かな激情を込めて呟く。
「貴様らは知らないだろう。あの子がどれだけ努力をしていたかを」
あの子の能力は、あの子が血反吐を吐きながら身につけたものだ、とドーラ家の当主が目もとを抑え、言葉を紡ぐ。
「お主らは知らんだろう……!あの子がどれだけの人を救い、どれだけの人々から慕われておるのかを」
慈善事業で知られるゼリア家の当主が、自らの無力を嘆くように拳を握り締め、吐き捨てた。
「貴方たちは知らないんでしょう。あの子がどれだけ……………優しい子かを」
自分の事など気にもせず、幼く、弱い者の事を一生懸命考えてくれました、と柔らかな微笑みを浮かべたユフェリア家の当主がこちらに鋭い目線を送りながら嘲笑う。
「「「「「知らないだろう」」」」」
当主達に教えられた真実。
何でも自分達でできていると思っていた。
自分達は特別なのだと、無意識に思っていた。自分達の地位や外見に釣られてくる者たちを見下していただけだったのに。
全ては、彼女のおかげだったのだ。
親衛隊が暴走しないのも、
生徒会の仕事がきちんと片付くように私たちに分配するのも、私達があの女にうつつを抜かしていた時に当主たちに見放されないように話をし、私達の暴走の後始末をすることすらも。
あの女が自分の手柄としていた私達への心配りも、全て、全て、彼女がしてくれていたのだと知った。
そして、彼女があの女を冷遇し虐めていた事実などありはしないのだと。
放心状態の私達に当主達は更に言った。
よくもあんな女を好きになることができたものだ、と。
聞けば、あの女には私達の他にもたくさんの男がいたらしい。その男どもは私たちを含めて皆が高い外見と地位と金を持っていた。
そのことを本人に問いただすと、計算し尽くされた笑顔で媚びを売ってくる。こちらが絆されないと知るやいなや金切り声で自分は悪くないと暴れ、この世の全てを罵った。
私達が誰よりも美しいと思っていた女性は、ただの傲慢な醜い女であった。私達が何よりも嫌悪する、自身がのし上がる為には他者を踏みにじることに躊躇などしない強欲な"女"だったのだ。
そして、自分達が失ったものの大きさを思い知る事になった。
「……え?」
「……ですから、貴方方は解任されませんと何回言えば理解してくださるのですか」
呆れたように溜息をついて言ったのは、学園の生徒会管理委員長。
ーーー解任。
それは、私達が覚悟していたことだった。彼女のおかげでこれまでそのままでいられたのだ。彼女が居なくなったのだから、きっと解任されるだろうと、思っていたのだが。
「貴方方にはこのまま卒業までずっと役員でいて頂きます」
慇懃無礼な言い方をする管理委員長に思わず何故、と声を漏らすと
「…………あの方の最後の願いだからです。僕の命の恩人である、他ならぬあの方の願いだからこそ、僕は成し遂げねばならないのです。例えそれが…僕が殺したい程憎んでいる貴方がたを守り、支えることであったとしても」
冷たく鋭い視線が体を貫く。私達への嫌悪、憎しみ、彼女の願いを叶えたいという思いが葛藤している瞳に、彼女への思慕と深い哀しみが浮かんでいた。
嗚呼、ここにも彼女を慕うものがいる。
そう思った。
彼女が居なくなってから、そういう者がよく目に付くようになった。サロンは勿論のこと、教師、後輩、食堂のコックやボーイまでもが彼女の死を傷み、嘆き、私達に鋭い視線を向ける。
何故、私達は気がつかなかったのだろう。こんなにも、彼女は……………皆から慕われていたのに。
彼女だけが、自分たちを最後まで見捨てないでくれていたのだ。彼女のおかげで自分たちの地位が守られていた。その事に私達はようやく気づいた。
そして、彼女は死んでもなお私達を守ってくれるのだ。
彼女は、私達が死に追いやった。
私達が殺したも同然なのに、何故彼女は私達を守るのだろう。
尋ねたいが、彼女はもういない。
私達は自分から、本当の自分自身を見てくれていた女性を失ったのだ。もう、どうすることもできない。
頬を伝う水がポタポタと床に染みをつくる。ぼやけて滲む世界が歪んでいた。
思い出すのは、風に踊る純白のドレスと彼女に咲く真紅の薔薇ーーーーそして、あの時の彼女の晴れやかな微笑み。
記憶の中の彼女が言う。
さようなら、と。
ーーー愚かな者はそのモノの価値を見誤る。目の前のモノに惑わされてしまうのさ。そして、失ってから気付く。そのモノの本当の価値に、ね。
まぁーーーーーーーーーーーーー、失ってからではもう遅いけれどね……
嗄れていてもなお何処か妖艶な声が、どこからか、聞こえた気がした。
お読みいただきありがとうございました。