嘘の中に隠された真実
病院から戻った翌日。
放課後、またダッシュで教室を飛び出るとなえセンにどやされそうになった。だが、捕まえる前に逃げ足だけは速い俺は上手く逃げ切り、校舎を出た。明日また、今朝のように説教をされるのだろうか。
俺は駅まで駆け、電車から降りるとまた猛スピードで伊奈瀬の家に向かった。以前、体育祭のとき、一度だけ俺は伊奈瀬を家まで送ったことがある。だから、あやふやながらも家までの道順は覚えている。そして見覚えのあるアパートが見えてきた頃、タイミングよく目的の背中を見つけた。
「爽太くん!」
ビクッと肩を震わし、恐る恐る此方を振り向く彼の背中にはランドセルが背負われていた。彼も学校の帰りなんだろう。伊奈瀬はバイトだからしばらくは戻ってこない。一対一でこの子供と話すには丁度良い。
荒くなった息を整えるために深呼吸して、額から流れてくる汗を肩の袖で乱暴に拭った。
「あのさ、ちょっとアイスでも食わね? もちろん俺の奢りで」
爽太くんは警戒心まるだしの顔でこっちを睨み付けていたが、近くの自動販売機でシュヴァルトブランドのアイスを買って差し出すとあっという間に表情を柔らかくした。何故だろう、少しこの子のことを心配してしまった。何時か騙されて誰かに誘拐されてしまわないだろうか。
近くの公園で一息ついて、背もたれの無いベンチに座る。アイスと一緒に買ったガリガリジュースを飲みながら、隣に座る爽太くんを見る。パクパクと次から次へと口に頬り込むその姿は清清しいほどに素直だ。そうとう好きなんだろう、シュヴァルドブランドが。
大分器からアイスがなくなって来た頃、俺は聞きたかったことを単刀直入に聞いた。
「先週末、何であんなことをしたんだ?」
その瞬間、爽太くんが固まったのが分かった。
「安心しろ。誰にも言わねーよ。伊奈瀬にも何も言ってない」
「なんで……」
――罹った。
「なんで知ってんのかって?そりゃ、見てたからな、実際」
爽太くんが息を呑む気配がした。顔も見る見る青くなっていく。その表情が、俺の勘が間違っていなかったことを教えてくれた。
面会室での草地は明らかに様子が可笑しかった。普段の奴なら言わないことを言い、俺が傷ついたような顔をした時は、奴のほうが悲しそうな顔をしていた。そう、今思い返してみると草地は何処か無理していたように見えたんだ。だから、不思議に思った。
あの時、伊奈瀬のことを話題に出した理由、そして爽太くんが俺に草地のことを聞いてきたときの、あの必死さ――。
正直、これは賭けだった。確証となる要素は無かったが、俺にはこれ以外の可能性は考えられなかったのだ。初対面の、しかも伊奈瀬の弟を疑うのは酷い話だが。それでも、俺は真実を知りたい。そしてもしも、俺の考えが全て当たっていたのなら俺は草地を殴ってやるつもりだ。
「ねえちゃんは、」
「安心しろ。誰にも言ってねーし、この先も言わねー、絶対にな」
言えるわけが無い。こんなことを言えば伊奈瀬はきっと壊れる。ただでさえ、草地があんな事になっているというのに、弟が原因だと知ったら彼女は間違いなく罪悪感や後悔で押しつぶされるだろう。何故、気づけなかったのだと。
「なあ、爽太くん。正直に話してくれ。何で、
宝石を盗んだんだ?」
爽太くんはその瞬間、悲痛な顔で俺を見、次には俯いた。
「いえが、」
「家…? 」
「いえが、無くなっちゃうんだ 」
ポツリポツリと、ゆっくり、声を震わせながら爽太くんは言葉を紡いだ。
「おかねが、なくなって…このままじゃ、みんなバラバラになるって、お母さんたちの話し声が聞こえて、それで」
週末、日曜日。どうにか出来ないかと必死に頭を回していた爽太くんは偶然、宝石店のガラス越し、店員がダイヤをショーケースから出したまま離れるのを見かけたらしい。見たところ警備ロボなどの類は置いておらず、思いつめていた爽太くんはそれを見て、魔がさしたそうだ。
そして店からあまりにも簡単に宝石を持ち出せてしまった爽太くんは、自分がしでかしてしまった事を恐ろしく思い、逃げ出した。けど数刻後、どうすれば良いのか分からずダイヤを手に持て余した頃、運悪く草地と鉢合わせてしまった。爽太くんの身の丈に会わないダイヤを見て草地はすぐに彼のしでかしたことに気づいたようで、即座に返すように説得したらしい。今ならまだ間に合う、と二人で宝石店に戻ろうとしたが既に警察に通報されていて、爽太くんを庇って草地が代わりに捕まってしまった。爽太くんは何度も事実を告白しようとしたが、草地に大丈夫だからと、伊奈瀬たちに更なる苦労をさせたくなかったら黙っていろと口止めをされていたようだ。
大抵の宝石店は出口に盗難を未然に防ぐためのセンサーを仕掛けているが、例の宝石店はショーケースの防犯の作りがしっかりしているからと、出口にまでセンサーは付けていなかったのだ。その代わり店員は宝石をちゃんと管理し、ショーケースから出すときは客に手渡してはならない。何時も自分の手の内に置き、決して目を離してはならないのだ。ダイヤを置き去りにした店員はクビなり、何なりされて処分されているだろう。
それでも、思わずには居られない。ふざけるな、と。店員なら、そんな高いダイヤ置き去りにするなよ、と。
(店も店もだ。そんな高いものを置いているのなら、何故警備ロボや監視用のアンドロイドを置いていない!常識だろ!?ニュースで日本が他国にもてはやされているように、犯罪ケースが昔と比べて圧倒的に落ちているからって警備に手ぇ抜いてんじゃーよ!!)
腸は煮えくり返り、苛立ちが頭の先までこみ上げる。店の奴らに怒鳴りちらしたい衝動を抑えながら爽太くんを見やる。
「ねえ、くさぢのおにいちゃんは…」
涙を目に溜めて見上げてくる彼に、俺は努めて優しく笑った。
「大丈夫だ」
草地の気持ちも分からなくない。この子は幼い。今以上の苦労なんてして欲しくないし、出来ることなら助けてあげたい。俺も同じだ。
けど、それだけじゃない。爽太くんはもう、7歳なんだ。まだ、じゃない、彼はもう7歳――小学生だ。この国の絶対処刑法が起用される歳なのだ。6歳未満の子供なら、いわゆる未成熟年として法を、つまり1000万を超える被害を起こしても処刑などの実刑は免れるが7つになってしまったら、もう駄目だ。この国の法は幼子にさえも適用される。
このまま、真実を話して草地が釈放されても、今度は爽太くんが処刑される。八方塞だ。
「ともえのおにいちゃん…?」
瞳を揺らしながら此方を見る爽太くんの頭を俺はポンと叩いた。
「爽太くん、もう草地の奴に言われただろうけど。君のはやったことは立派な犯罪だ」
「うん…」
泣くのを我慢するように、下唇を噛む彼の髪をワシャワシャと掻き混ぜるように撫でる。
「たとえ、どんな理由があろうとも其れは絶対にやっちゃ駄目だ。伊奈瀬……君のお姉ちゃんやお母さんが悲しい思いをするからね」
「うんっ……」
「家族だけではなく、草地やまわりの親しい人、(こいつらはどうでも良いけど)店にだって迷惑をかける」
「うん……」
「そして、何より。君は一生重いものを背負って生きていかなくちゃイケなくなるんだ」
「うん、うっ……」
「この罪は君に一生ついて廻る。それを君は償いながら生きていかなくてはならない」
「う、うううっ…… 」
「だから、顔をあげろ。その罪を背負って、償うためにしっかりと自分の足で立って生きるんだ。後悔しても、もう遅い」
「う、うん……」
泣きながらも、顔を上げて何度も何度も頷く爽太くんの背中を元気づけるように叩いて、言ってやる。
「草地がお前のために頑張ったんだから。その頑張りに答えられるよう、思えも二度としないって誓って頑張れ」
「うん…!」
最後に力強く頷いた爽太くんの頭をもう一度撫でて、帰るように足した。ベンチから立ち上がり、ゴシゴシと涙を服の袖で拭いた爽太くんは、小さく「ごめんなさい」と謝った。
「それはオレにじゃなく、草地が戻ってきたときに言えよ」
「!うん!ありがとう!」
憑き物が落ちたように走り去る爽太くんの後ろ姿を、手を振って見送りながら、俺は一人思い悩んだ。腕からするりと力が抜け、肩から垂れ下がる。
きっと草地は自分なら処刑になっても良いと思っているのだろう。婆ちゃんも亡くなって、肉親が一人も居ない自分なら誰にも苦労をかけることは無い。そう思ったのだ、あの馬鹿は間違いなく。
奴は何時もそうだ。どうでも良いことは言う癖して肝心なことは居ない。婆ちゃんのことも伊奈瀬のことも、俺を思って言わない。いや、奴のことだ。案外めんどくさかったというのもあるのだろう。
それでも、言って欲しかった。
「……そうだよ」
ポツリ、口から言葉が滑り出て、次に頭の中で奴に対する文句がつらつらと並べられる。
(面会室の時だって、なんかオレ、自分のことばっかりで恥ずかしいじゃねーか……自己中心的な、鈍い奴みたいでさぁ。よく、クラスに「あいつKYよねー」とか裏で言われちゃってるお調子もんか俺は!?)
「ざっっけんなよ、糞地!!」
空に向かって吼えた。同時に散歩中だった犬に吠えられて、飼い主のお姉さんには引いたように見られたが、自分はそれどころではなかった。
腕から力が抜けて、プランと体の横でぶら下げる。背中は猫背になっているのだろう。顔を上げる気力は起きず、俺は足元に敷き詰められたタイルを見つめた。
「どうすんだよ、もう処刑免れねーじゃん。やってない証拠だしたって、その代わりにこの弟君が処刑されたら駄目ジャン。伊奈瀬泣いちまうじゃん。どうすんだよ、馬鹿やろう。
俺まで、泣いちまうじゃんかよ。
なんで、こんなことになんだよ。なんで爽太くん、7歳なんだよ。何で盗みなんか働いちまうんだよ。しかも何でよりにもよってダイヤなんだよ。店もだよ。何やってんだよ糞店員。何であんなに警備ゆるゆるなんだよ糞宝石店。もう、ほんとに
どうすんだよ…」
長い独り言だ。ぶつぶつと呟く俺は周りから頭の可笑しな少年だろう。それでも俺は言わずには居れなかった。胸の奥が草地への苛立ちで募る。心臓の周りが何かで詰まったような気がして、ムカムカして気持ちが悪い。
――もう、どうすれば良いのか、本当に分からなくてしまった。
この数日後、裁判に赴いた草地は其処で、己の"罪"を"認め"、死刑判決が下された。
奴の処刑日まで、のこり10日。