大王丸の宇宙
小さい頃は、夢にあふれていた。
お話の中のヒーローになれると信じていた。お姫様を助け、宇宙の果てで大冒険を繰り広げていた。
いつの頃からか、夢を忘れて、進学だとか就職だとか、そういう現実的なことだけを考えるようになっていた。
それが、本当に自分のやりたい事かと聞かれると、決してそうではなかったが、自分に何かを選ぶような余地があるとは思えなかった。
◆
「おはよー! 亮ちゃん。ねえ、進路予定表は書けた?」
髪をおさげにした、背の低い女の子が話しかけてくる。
「まだ、何にも」
歩きながら答える。
女の子の名前は、渡幸恵。同じ高校のクラスメイトだ。
「昔っから、ギリギリになるまで出さないんだから、こういうのは早く決めないとダメだよ」
「うるさいなあ」
早足で歩く。背が低く、歩幅が小さいので歩くのが遅い幸恵は、小走りになって必死についてくる。
「歩くの早いよー。ねぇ、手握って?」
幸恵が、俺の手をつかんでくる。小さい頃からのクセだ。
「やめろよ、誰かに見られたら恥ずかしいだろ」
「えー、別に恥ずかしくないよー。それとも亮ちゃん、誰か好きな子でもいるの?」
「別にそんなんいねーよ」
「あ、目ぇそらした。いるんだ、やっぱりいるんだ! うんうん、もういいお年頃だもんね。彼女の一人や二人は作っておかないと!! 応援するよ!!」
「いや、二人いたらマズイだろ……」
彼女は一夫多彩主義者なのだろうか、気前のよい事であった。
◆
学校の校門に二人でたどり着く。未だに手は握ったままだった。
「あ、愛ちゃんだ!!」
幸恵が指さす。校門の前に、高級そうなベンツが止まる。中から先に、スーツを来た若い男性が降りて、扉を開け、制服姿の女性をエスコートする。
中から降りてきた女性は、化粧や派手なアクセサリーこそないものの、よく手入れをされ、軽くウェーブのかかった綺麗な長い髪と、すらりと美しく伸びた背筋が、一目を引く美人だった。
「おはようございます、渡さん、大王丸さん」
「おはよう、愛ちゃん!!」
「お、おはよう……」
俺たちに向かって会釈をする。クラスメイトの、二見愛だった。
校舎に向かって歩いていく彼女を、二人でじっと眺めていた。
「いやー、愛ちゃん可愛いねえ、綺麗だねぇ」
幸恵がうっとりとして、感想を述べる。同姓でも見とれるものらしい。
「おや? おやおや、いつの間にか手が離れている」
幸恵が気づく。挨拶をした際に、無意識に幸恵の手を振り払っていたらしい。
「ふーん、さては亮ちゃんの好きな人って……」
幸恵がにやにや笑う。
「別にそんなんじゃねーよ、ところで二見さんって進路予定表には何て書いたのかな?」
「王族とか、セレブとか」
「それって、選べばなれるようなものなのか? なら、俺もそれにしようかな」
「あはははは、亮ちゃんには格が足りないよー!!」
笑われる。そんなに俺は貧乏人丸出しのオーラなのだろうか。ちょっと怒る。
「なら、幸恵は何て書いたんだ?」
「え?」
幸恵の笑いが止まる。カバンを、ぎゅっと抱きしめる。
「べ、別に何だっていいじゃない」
「いーや、人に聞いておいてそれはないだろう。そのカバンに入ってるんだろう? 見せてみろ」
幸恵にじりじりと迫る。
「えー、やだよ恥ずかしいよー」
幸恵がじりじりと後ずさる。
「いいから、見せてみろ。笑わないから」
「イヤー、何か怖いー!!」
幸恵がグラウンドに向かって逃げ出す。俺も思わず追いかける。
「待てー!! ムリヤリにでもこじ開けて、恥ずかしいものを見てやるー!!」
「助けてー!! 私のたいせつなものを無理矢理奪われるー!! 誰かー!!」
「うへへへへ、大人しくしやがれー!!」
「イヤー!!」
そんなこんなで楽しく走り回っていると、突然後ろからタックルを受けて、地面に倒される。
「おうふ!!」
「おい、大王丸!! お前、何て事を……」
体格の良い、成人男性に取り押さえられていた。
「あなたは、体育教師の先生!!」
「来い!! 話は、職員室で聞いてやる!!」
ムリヤリ連行される。
◆
「……で、進路予定表をめぐって追いかけっこをしていたのか?」
担任の坂口先生が、大きくため息をつく。どこか疲れた様子が見える、大人の女性だ。
「最近校内で、不審者が目撃される事件があったばかりですので、校内を巡回してもらっていたのですが、まさかこんな事になるとは……」
「すいませんでした」
「すいませんでした」
幸恵と二人で謝る。そっちが勝手に勘違いしたんだろう、とはいえなかった。何か非常にヤバい精神状態になっていたのは、否定できない。
「ともかく、責任問題にならなくてよかった。くれぐれもこの事は、教育委員会にも、PTAにも内密に頼みますよ」
校長先生から裁きが下る。校長先生は、とにかく自分の保身が第一なので、騒ぎを大きくはしたくないみたいだった。
「と、ということだ。今度から気をつけろよ。さあ、朝のホームルームに行くぞ」
坂口先生も、面倒事が嫌いなので、軽い注意ですんだ。体育教師だけは、俺を不審者をみる目つきで睨んでいたが、軽く会釈をして立ち去ることにした。
◆
「さ、みんな席についてー」
先生と一緒に教室に入ると、さわいでいた生徒たちが素早く席に着く。俺と幸恵も、離れて自分の席に着く。
「あー、また黒辺は来てないのか」
先生が俺の隣の席に目を向ける。そこは、いつも通りに空席だった。
ドタドタドタ、と廊下から走る音が聞こえる。
「間に合ったー!!」
ガラッと、勢いよく教室のドアが開かれる。
ショートカットで、日焼けした女の子が、息をはずませ、スカートを翻して教室に入ってくる。
「間に合ってません。あと、廊下を走るのはやめなさい」
担任の先生が、冷静なツッコミを入れる。
「でも、量子力学によると、あらゆるものごとは観測されるまでは確定しないんですよ。つまり、廊下が観測されていない限り、廊下には「走っていた自分」と「走っていなかった自分」が重ね合わせの状態で存在していたのです!! つまり、私が走っていた事実は観測されない限り、確定しえないんですよ!!」
昨日ならった授業の知識を使い、科学的な反論を黒辺桐子が試みる。
「こらー、黒辺ー!! お前、廊下走ってたのを見たぞー!!」
廊下から、巡回していた体育教師が怒鳴り込んでくる。
「観測終了。何か反論は?」
「ありません……」
「すいません、黒辺には私の方からきつく叱っておきますので……」
坂口先生が頭を下げる。
「いえ、それならいいんですよ、それなら。何かあったらまた呼んでください!!」
体育教師が去っていく。と、はあ、と坂口先生が大きなため息をつく。
「次に遅刻したら、エヴェレットの多世界解釈についてのレポートを書かせます」
「はーい、もうしません」
黒部がしぶしぶ、俺の隣の席に座る。
いつも通りの、騒がしい朝だった。
続く