二回目の告白
ほのかに甘い香りが鼻先をくすぐった。
顔を上げると、目の前で黒い前髪が揺れている。長いまつげがぱたぱたとはためく。
彼女とつきあい始めて1ヶ月になるんだが、まだ、この状況に慣れられない。
「喜多野君。問題解けたの」
落ち着いた声。思わずぎくりとする。
「ご、ごめん、まだ」
「あやまらなくていいから」
向かい合わせの机。正面に座って小説を広げているのは、クラスメイトの西川さん。
規定通りにぴしっと制服を着て黒い髪はうしろでひとくくり。そして眼鏡。色気のカケラもない縁なし眼鏡。絵にかいたような『優等生』だ。
「できたら見せて。採点してあげる」
「……思うんだけどさ。三角関数とか、学校出てから使うことあんのかな?」
「さあ」
「使わないこと勉強して意味あると思う?」
「とりあえず、来週の追試では使うでしょう。口を動かす間に1問でも解いた方がいいと思うけど」
はい。ごもっともです。
俺はまたノートに視線を落とす。それから上目にうかがってみると、彼女はまた本の世界の住人になっていた。
無愛想は彼女のデフォ。切れ長の目とか唇の形は、わりと好みなんだけどな――
「手、止まってる」
「はいっ!」
視線すら動かさずに彼女が言った。俺は首をすくめて苦行に戻った。
*
『ねえ、喜多野君。つきあってくれない』
教室を出ようとして呼び止められたのが、1ヶ月ばかり前のこと。忘れもしないハロウィーン。3連休を控えた金曜日だった。
西川とはそれまでほとんど話したことがなかったから、その時の俺は「ハトが豆鉄砲くらった顔」だったそうだ。クラスメイト談。
『……どこに?』
『そういう意味じゃないんだけど』
『え? じゃあどういうこと?』
西川はため息をついて、ていねいに言い直した。
『私とつきあってください。交際をするという意味で』
その瞬間に至っては俺は魂が抜けたようにまっ白だったそうだ。そんな俺達のまわりではどよめきが走ったんだとか。西川、男に興味ありそうなタイプじゃないし、おまけにあんな堂々告白だったしな。
とにかく俺達はつきあうことになった。
その、はずなんだが。やってることといったら、部活のない日に一緒に宿題して一緒に下校して、とかその程度で。いまだに実感がわかない。
そもそもどうして俺だったんだろう。それがまったくわからない。目立って得意な科目なんてないし、特技らしい特技も……ないことはないが、何かに役立つようなもんじゃないしなぁ。
で、実際本人にも聞いてみたけどやっぱりわからなかった。返答は一言。
『喜多野君だから』
……。
そんなこんなで、現在に至る。
*
数学でみっちり絞られたあと、だいぶ暗くなったので西川を家まで送ることにした。
「いいのに」
「方向一緒だし。気にすんな」
俺は自転車、西川は歩き。自転車を押しながら住宅街の路地を歩く。ええむしろゆっくり歩きたいんです。頭がパンク寸前で、自転車だと事故りそうだ。
西川はいつも通りすっと前を見て、まっすぐに歩いている。この調子で何も会話のないまま別れたことも1度や2度じゃない。
なんなんだろうな、この関係って。
「――あ、あのさ、西川」
思い切って口を開いた。顔だけがこちらに向いた。
「なに」
「もうすぐクリスマスだろ。どうする?」
街灯の下を通るたび、眼鏡に光が反射して、西川の目が見えなくなる。
「どうって?」
「いや、……予定ある?」
「いいえ?」
か、会話が。続かない。
クラスの連中に散々つつかれて、いくつか計画立ててはみたんだけどな。これはあれか? 別になにもしなくていいってことか? 女子ってイベントとか好きなんじゃないのか、ってのは偏見かもしれないが……うーむ。
ぐるぐる考えながら、吐く息の白さに目を奪われた。
それで――油断した。
「あっ……」
西川の声にはっとする。
いつの間にかまっ白な猫が俺の脚にまとわりついて、ごろごろとのどを鳴らしてた。目を上げると、西川はじっと猫を見つめて、石像みたくなっていた。
「に、西川! 大丈夫か!?」
前にそこらの猫と行き会ったときもこういう感じだった。きっと苦手なんだろう。
それに気がついてから、ずっと注意してたはずだったのに! ああバカ、俺のバカ!
と、焦ってるそばから。
にゃあ。ごろにゃーん。
他にもどんどんわいて出てきた。黒猫キジ猫、あ、三毛、あれは雌だなーってそんな場合じゃないだろうが!
これが俺の役に立たない特技だ。やたらと猫が寄ってきてはなつく。
俺はいいんだ嫌いじゃないし。むしろ好きだし。
だけど、西川が!
「悪い! こいつらすぐ、どっか連れて行くから!」
急いで自転車を横に倒置き、猫をかき集める。だけどこの時点でもう6匹。腕に収まりきらない。
とりこぼしたトラ柄のやつが、西川にも近寄っていった。西川が一歩、うしろに下がり――
悲鳴を上げた。
そして西川は、逃げ……なかった。逆に猫達が「ぎゃっ」と言って逃げ出した。
「ねこちゃん! ねこちゃん! ねこちゃああああぁんっ!!」
西川が猫を追いかけてく。が、当然人間の足では追いつけるはずもなく。猫達はあっという間に姿を消した。
ていうか、え? 何、これ?
「あぁ……」
呆然と立ちつくしてた俺は、西川の悲しそうなため息で我にかえった。
暗くて表情はよく見えないが、しゅんとうつむいてとぼとぼと歩いてくるのを見る限り、落ち込んでいるようだ。
「え、えーと」
「あ」
西川が俺を見るなり、ぱっと手で顔を隠した。こ、今度はなんだ!
「――……」
「へ、何か言った?」
「……さい」
それからやっと顔を上げた西川は、俺にも聞こえるように話しだした。
「ごめんなさい。隠してたけど、私……猫好きなの。大好きなの」
あ、うん。それは今のでよくわかった。
「でもあっちは私が嫌いみたいで。すぐ逃げられちゃうの」
うん……あんな勢いで迫られたらそりゃあ逃げるだろうね。
「だから、いつも猫に囲まれてる喜多野君がうらやましくて」
あー、どっかでそういう場面でも目撃されてたんだろうか。告られる前はよくあったことだしな。
……ん? ちょっと待て?
「ってことはさ。西川もしかして、猫目当てで俺に告ってきたってこと?」
口に出してみたら、心にぐっさり刺さった。
なるほどそういうことだったか。それなら納得できてしまう。少し――かなりショックではあるが。
そこで急に、西川は俺の顔をのぞきこんできた。
「違うわ。いえ、猫目当ても事実だけど、それだけじゃない」
俺と西川の身長差はわずか5センチ。詰め寄られるとだいぶ顔が近い。夜目にも真剣な表情がわかるくらいに。
「猫があんなになつくんだから、きっといい人なんだろうって思ってた。ずっと気になってたのも本当。……信じてくれる?」
あ、あの。ほんと近いんで――
「わかった信じるから! ごめん! もうちょい離れてくれないかな!」
俺は西川の両肩をそっと押し返した。――心臓が。やばい。
「そんなに好きなら……さ。今度教えるよ。猫との上手なつきあい方」
胸の動悸を無理やりなだめつつ言うと。
少し、ほんの少し不安そうだった西川の表情が、みるみる明るくなった。
え。なに、コレ。
「本当? 私も猫にさわれるようになる?」
「あ、ああ。任せとけ」
「……嬉しい」
西川の少しかすれた声。
え、ほんとに。ナニコレ?
「約束、ね」
小指を差し出す西川。条件反射的で俺も手を上げる。そしたら、強引に指を絡められた。
「ありがと、喜多野君。……大好き」
西川が笑った。
俺の彼女は猫好きです。
そして俺は、そんな彼女が――
END
そうじたかひろさん、霧友隆さん主催の短編企画、「もしかして:かわいい」参加作品です。ドラスティックお願いします。