第19話 チャンスを掴めない女は三流よ
この無用な時間は何だろう。生徒会室では終わらない争いが続いている。
俺は耳を塞いでこの部屋から逃げ出したい要求に耐えられなくなっている。
発端はマユミの勧誘文句がいけなかったのだろう。いや、勧誘文句なんて上品なものではない。むしろ威圧的さが下品に映る。
あなた達は今日から私の奴隷になりなさい。
マユミは主人公達に伝えたのは意味不明な命令だった。
奴隷になれと言われて誰が好んではい分かりましたと言うのだろうか。人権が保障されたこの物語の世界で奴隷なんて制度はない。ファンタジーの世界と勘違いしている様子もない。
もちろん時代錯誤な命令を主人公とヒロインたちが聞き入れる訳もない。
命令を受けたメンバーの中で一番の勝気な性格の真中葵がマユミの傲慢な態度に食って掛かった。その後、現在に至るまで二人の口論は発展している。
「あなたが何を言っているのか私には理解出来ません。いきなり奴隷なんて受け入れられるはずなんてありませんから。きちんとした理由を教えて下さい!」
真中葵は苛立ちを隠そうとしなかった。そりゃそうだろうと決して口を挟まない俺は一緒になって頷いてしまう。ただ、幸いなのは苛立ってはいるが全員がこの場にとどまってくれている事だった。
「何度も言わしてもらうけれど本当にあなたの考え方は理解に苦しむわ。私の元で働けるのなら死んでもいいと言ってくれる人もいるのだけれど?」
吐息交じりに自慢するマユミ。たしかにマユミの熱狂的なファンはいる。馬鹿だなと思うがたしかに存在する。ただ、奴隷願望の子犬達は脇役世界にしか存在していない。
「そんな人達が存在していたとしても私達には関係ありません。私は生徒会なんて絶対入りませんから!」
真中葵は語気を荒くして固い意思表示を行使する。
おいおい。どうするのですか奇才の天才様。このままだと生徒会に入らせるなんて無理だとおもうけども。
俺は頭を抱えたいが脇役に徹しているので余計な動作は出来ない。マユミの援護をするか、それとも真中葵に共感するべきか。
どうするべきかと次の判断を考えているが全くまとまらない。
「佐伯裕樹君。あなたはどうかしら?」
二人の勢いに押されていた佐伯裕樹はいきなり自分に矛先が向いたので反応が遅れる。
「……どうと言われましても……とりあえず聞きたいんですが、どうして俺たちを選んだのでしょうか?」
佐伯裕樹は当たり前の疑問を口にする。
するとマユミはふっと表情に影を作った。勝気な態度が霧散すると命令口調ではなく静かに語りだす。
「……実は私、小さい時に両親が事故で死んでいるの。家族三人で遊園地に行こうとしていたとき横断歩道で事故を起こしたの。運転していたのは酔っ払った男性だった。私を庇った両親は即死、残されたのは私だけとなったわ」
傲慢な態度から哀しみを含んだ雰囲気を演じている。
いきなりの話題転換に全員が驚きを隠せない。俺を含め全員が静まり返る事しか出来なかった。マユミは全員に一度視線を合わせてからさらに続ける。
この他人を引き込ませる演技はさすがマユミだ。
「両親を亡くし孤独になってから私はひねくれた性格になったようね。周りの友達には両親がいても私にはいない。悔しくて切なくかった。周囲を妬んだ私にはもちろん友達は出来なかった。家でも学校でもいつも一人だったわ。この高校に入っても孤独なのだろうともう諦めていたとき、先生から生徒会長にならないかと誘っていただいたの。私は自分を変えるチャンスだと思ったの」
マユミの視線は部屋の隅で脅えていた出雲かなでに向けられている。真っ直ぐに見つめられた出雲かなではマユミの過去に真摯に聞き入っていた。
「いきなりのお願いだと思うのだけれど私の身勝手な願いを聞いてくれないかしら?」
マユミは出雲かなでと佐伯裕樹に顔を交互に向ける。瞳からは傲慢な彼女の光は失われているようだった。
しとやかにお願いするマユミは美少女ぶりが際立っている。美少女に耐性のない普通の男子学生なら断れない可憐さだった。お願いをされた出雲かなでの考え込む横顔は少し朱色に染まっており、佐伯裕樹は気持ちが揺らいでいるのが目で窺えた。
「アユト君。あなたは生徒会に入ってくれるのかしら?」
「俺は生徒会に入るつもりだ」
質問を受けたマユミにではなくほかのメンバーを視界に入れながら俺は間を置かずに宣言した。すると出雲かなでがいつものおどおどした雰囲気ではなく、強い意思を込めた眼差しをなぜか俺へと向けた。
「わっ、私も生徒会に入ります……よっ、よろしくお願いします!」
出雲かなではなぜか俺に向かって控えめな一礼をする。どうして俺によろしくするのかは分からない。マユミが恐くて顔を背けたのだろうか。
「一緒に頑張ろう出雲さん。それで、裕樹と葵はどうするんだ?」
出雲かなでに出来る限りの笑顔を向けてから残りの二人に答えを求めた。
しかし二人からはまだこちらの思惑通りの意見を出してもらえない。当たり前と言われればそうですねと返事するしかない状況だ。
「生徒会長の過去は分かったけど……私達を任命した理由とは関係ないじゃない」
敬語を使うのを故意に止めている真中葵は腕を組む。マユミを批判しているのは同じだがさすがにマユミの態度が変化したので落ち着いた口調となっていた。
シリアスな空気は不意打ちを食らわせたようだ。するとマユミが「ふーん」と鼻を鳴らした。
「いいのかしら。そんな態度をとって……絶好の機会が手の届く距離に迫っているというのに……チャンスを掴めない女は三流よ」
マユミは真中葵におもむろに近づいた。
いきなり自分の領域に入られて戸惑う真中葵は後ずさりする。マユミは逃げ切れずにいた真中葵の耳元で何やら囁きだした。
何を話しかけたのかはもちろん聞こえなかったが真中葵の驚いた表情はすぐに分かった。
警戒していたはずの真中葵の表情は様変わりする。黙って眺めていると作戦会議のように二人は小声で囁きあっていた。
交渉が終わったのか二人が距離を開けると真中葵が勢いよく佐伯裕樹に指を向ける。
「裕樹。今すぐ生徒会に入りなさい。これは決定事項よ!」
「なんで葵が俺に生徒会に入れって言うんだよ……さっきまでお前も嫌がっていただろう?」
「私が生徒会に入る事を決めたからよ。可愛い出雲さんとアユトも入るんだから拒否なんてしないわよね?」
真中葵は先ほどまでの拒絶という名の机をひっくり返した。そのせいで少し困惑した空気がマユミ以外の三人に流れる。
明らかにマユミの囁きで心境の変化を起こしたのは明らかだ。困っている佐伯裕樹はその囁きの真意を真中葵に尋ねた。
「葵。会長に何を言われたんだ?」
「そっ、それは言えないわ。何もやましい事なんてないんだからねっ!」
質問を拒絶した真中葵はポニーテールを左右に揺らしている。その様子を呆れたように眺めた佐伯裕樹は一つ長めのため息をゆっくりついた。
「わかった。みんな入るなら俺も入るよ」
「ふふっ。ようこそ生徒会へ。あなた達を歓迎するわ」
主人公達がこの部屋に入室した時と同じセリフを言い放ったマユミはとても満足気な表情をしていた。




