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薄鈍、燻る道

 寒さに歯を噛み締めながら、ただ当てもなく足を動かし続ける。

 このまま前に進んで行った先に何があると言うのか。全てを奪われた自分に一体何が待っていると言うのか。

 そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、自分の右手側に小さな屋台が見えた。それは何かの屋台のようで、一人の老人が煙管を吹かしながら椅子に座っていた。

「よぉ、兄ちゃん。こんな寒い中そんな格好でどうしたんだい」

「あぁ…友人の所に」

「へぇー、友人ね」

 老人が売っていたのは関東煮のようだった。微かに香る鰹の香りが食欲を刺激する。つい関東煮に目を奪われていた私を、老人はにやにやと意地悪く笑いながら見ていた。そして軽々と私の強がりを見破ったような口調で言葉を返す。言葉にしない辺り良い性格をしているとは思うが、変に詮索してこない所は好感が持てると言えるだろう。私は小さく咳払いをしながら椅子に座る。そして、自分の懐に入れた小銭袋の重さを確かめながら少しだけ胃に物を入れることに決めた。

「あー、よいよい。今日の宿すら危うい人間から金を取るほど、わしも外道にはなれんから」

 呵呵と笑う老人に口角を引くつかせながら乾いた笑い声を溢す。金が要らないと言ってもらえるのは感謝しても仕切れないが、大口を開けて笑われるとどうしようもなく惨めな気持ちになる。

 私が肩を落としながら一つため息を吐くと、目の前に湯気を燻らせる関東煮が差し出される。出汁の匂いが空腹を刺激し、やっと体が空腹だったことを思い出させるようだった。

「いただき、ます」

「おぅ、たんと食え。わしの関東煮は美味いぞ」

 白い歯を見せて笑った老人に再度感謝しながら手を合わせる。ほんの少しの力で切れた大根を口に含み、小さくため息を吐く。冷えた体に、よく味が染みた大根がじんわりと染み渡るようだった。

「兄ちゃん、困ってんだろ」

「…はい?」

 次の一口を迎えようとしたところで老人がそう言った。老人の目は先ほどとは違い、どこか真剣そうな物だった。私はゴクリと唾を飲み込んで老人の言葉を待った。

 「お困りなら、この先を真っ直ぐ行った先の探偵事務所なんかどうだ?あそこの探偵なら、兄ちゃんのその奇妙なもんも取ってくれるだろうさ」

「奇妙な…」

 私は困惑するしかなかった。心なしか周りの温度が下がったような気がする。老人は私の心の奥底を見極めるような目をしながら、煙管で道を指して続けた

「行き方は簡単だ。 この道を真っ直ぐ行けばいい。 ただ、」

「ただ…?」

「いいや。ただ、ここを真っすぐ行けばよい。簡単な話だろう?」

 老人は煙管をふかしながらそう言った。それは悪い賭け事に誘う学生時代の友人達のような横顔だった。

 私はその言葉を断ろうとした。しかし、老人の言う通り今日の宿すら危うく、全てを失った私ができることは、私に着せられた濡れ衣を全て剥ぎ取ること。しかしそれは私一人だけでできることではない。私が暖かい布団の中で安心して眠る日々に戻るには誰かの力を借りる他ない。

「確かに、簡単な話だな」

 私は残りの関東煮を胃に詰め込み、そっと席から立ち上がった。老人は薄鈍色の紫煙を吐き出し、小さく片手を上げた。

 私は老人に礼を言い、先ほど示された道に足を向ける。自分が今まで歩いてきた舗装された道とは違い、地面が剥き出しの荒れ果てた道だった。下駄と着物では、とてもじゃないが歩きづらい。しかし、街灯があるおかげで転ばなくて済んでいるのもまた事実だった。私は虫達の鳴き声を聴きながら、ただひたすら何かに取り憑かれたかのように足を動かしていた。

 しばらくして自分の右手側に闇夜に潜むように佇む建物が現れる。

【探偵事務所伽藍堂】

 おそらくここが老人の言っていた場所だろう。私は恐る恐るドアノブに手をかけた。深く呼吸を繰り返し、小さく鳴り響いた鈴の音に体を跳ねさせながら、意を決して中を覗き込む。瞬間、上質な靴が床を叩く音が聞こえた。私はそちらに視線を向ける。その先には”美しい”という言葉以外どう表現したらいいか分からないほど、整った顔を持った青年が立っていた。

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