オニ
第83話
天音たちの前に突如現れた真っ黒な瘴気。
その瘴気の渦はミミチリボージの瘴気を遙かに凌駕している。その濃さも、その大きさも、そして禍々しく、おぞましいほどの悪意も。
「あ・・・あれは、なに?マジムン、なのか?この結界の中に、あんなものが最初からいたのか?」
神鈴がそう呟いたとき、頭の中にスズ子の声が響く。
「まさかな、おかしな気配の元はこいつか!神鈴、こいつが何か分かるか?!こいつは・・大里鬼さぁね!!」
「おばぁ!大里鬼って、まさか!」
「そのまさかさぁね!こいつはマジムンではない、鬼だ、言わば邪神!お前たちでは敵わん!早く逃げてこい!逃げ道はおばぁが、このスズ子が作ってやるからよぉ!」
神鈴は即座に天音を向く。
「あまね!こいつは大里鬼だ!大マジムンでもない、鬼!神と同等だ!こいつがミミチリボージを使役していたんだ。これは私らでは倒せない、皆を連れて逃げるぞ!退路はおばぁが作ってくれるから!!」
大里鬼。沖縄には年に一度、旧暦の12月8日頃、ムーチーという餅を食べる習慣がある。月桃の葉に包まれた米粉の蒸し餅、鬼餅と書くそれは、伝承にある大里鬼から身を守るための、ある種の神事だ。
昔、知念、玉城にほど近い大里に、首里から渡り、ふたりきりで暮らす兄妹がいたという。その兄はいつしか鬼となり、洞穴に巣くい、夜な夜な家畜や女子供を取って喰らうようになった。
それを憂いた妹は、兄の好物の餅に鉄釘を仕込み、兄にそれを勧めた。
鉄釘の入った餅を口に入れ、一心に噛もうとする兄。妹はその隙を突き、鬼と化した兄を崖から突き落としたという。
そうして倒された大里鬼だが、それからも大里鬼の災いは語り継がれ、人々の畏怖の対象となっているのだ。
その大里鬼が今、目の前にいる。そして母を、名城明日葉の魂をまた縛り付けようとしている。
「天音!早くしろ!相手は鬼だ、これ以上は結界も耐えられない!!」
「神鈴さん、僕は逃げません!だって、だって母が!母さんが、あんなに苦しんでるのに!!」
「だが天音!お前の力も残り僅かだ、私だってそうだ!今は逃げて、力を蓄える。それにミミチリボージはもういないんだ、明日葉さんの魂はずっとここにいる、次もある!あまねっ!!」
「でも、でも母さんが!!」
そう叫んだ天音の耳に、聞き慣れた声が響いた。
「そうだ天音、逃げるなっ!お前が逃げるのは、俺が許さん!」
「そうよ天音!明日葉さんがそこにいる!わたしたちが、天音に力を貸すわ!」
「あ・・・とうさん、かあさん」
天音の目に、雄心と優梨の姿が映る。
「おう、遅くなったな。ばあちゃんが、優梨は置いてけって、うるさくってなぁ」
「うん、お義母さんの言うことは正しい。だけどね、どうしても行きたかった。ね、大丈夫よ。私たちが来たからね」
ふたりはそう言うと、遙か上空まで立ち昇る禍々しい瘴気の渦を見上げた。その渦は人型のように腕を持ち、頭の位置にはふたつの小さな渦と、ひとつの大きな渦が巻いている。
「しかし優梨、こりゃあホントに鬼だなぁ。でも伝承じゃ、大里鬼は首里で倒されたんだろ?なんでこんなとこに?」
その問いには、天音が応えた。天音は大里鬼と対峙して、その思念を読んだのだ。
「父さん、こいつは沖縄戦で亡くなった人たちの魂、特にこの南部の崖から飛び降りた女の人たちの無念に惹かれたんだよ」
大里鬼は、自らの妹に首里の崖から突き落とされた。だが完全に消えたわけではない。長い年月を掛けて復活を企んでいた。そして先の大戦末期、ここ本島南部の地上戦で亡くなった多くの無念に惹かれた。更に崖から飛び降りた女性たちの怨念も、この鬼の糧となってしまったのだ。
「こいつは更に復活する力を得るためにミミチリボージを使ったんだ。でも、まだ完全じゃない。だから母さんの魂を、名城明日葉の魂を喰わせちゃ、駄目なんだ!」
「そうか、天音、分かったよ。あとは父さんと母さんに任せろ、と、言いたいところだが、言葉!百合子!お前たち二人は優梨と一緒に支援してくれ、前に出る俺たちに結界を張るんだ、出来るな?神鈴ちゃんは俺と天音の後ろに付いてくれ。そして機を見て明日葉さんの魂をあいつから切り離して!前面には俺と天音だ、いいかみんな!」
雄心の迅速で的確な指示に、全員が頷いた。
身重の優梨を挟んで、言葉と百合子が立つ。3人は前面に立つ天音たちの周りに結界を張った。
「優梨さん、お腹、赤ちゃん、大丈夫ですか?」
「ええ、ことちゃん、大丈夫。この子は聞き分けがいいから、きっと今、私たちと一緒に結界を張ってくれてるよ」
「え、まさかそんな、お腹の中で?」
「あはは、百合子ちゃん、あなたたちは雄心の弟子でしょ?この子は雄心と私の子だよ?」
「はぁ、なるほどぉ」
「さぁ、行くよ!相手は鬼だ、霊圧高めて!!」
「神鈴ちゃん!まずは神鈴ちゃんが明日葉さんの魂を分離できるか、それに掛かってる!神鈴ちゃんは身を守りつつチャンスを逃さないで!天音、いい?行くよっ!!」
「父さん、僕が突っ込む!あいつの瘴気を散らすから、後は父さんが!」
「よし、分かった!」
金色の霊気を全身に纏った天音は、その両腕に霊刃を象り、大里鬼に突っ込む。その霊気はミミチリボージとの闘いで削られているが、それを優梨、言葉、百合子の結界が補う。
目の前に身をよじりながら囚われる明日葉と、それを後ろから捕らえる巨大な大里鬼が見える。大里鬼の姿は真っ黒い瘴気の人型だ。それは天に届こうかと思えるほどに大きい。
「っだぁああああーーーー!!」
渾身の霊刃は、大里鬼の胴体に届く。だがその瘴気の塊は切り裂かれたそばから回復し、思ったように散らない。それどころか、切り裂かれた瘴気の切れ端は黒い槍となって天音に飛び掛かってくる。
「うっ・・つぅ!!」
天音の霊気が引き裂かれる。固く練り上げた霊刃も、体を纏う金色の霊気も一瞬でズタズタにされた。体の痛みはないが、そのダメージは大きい。
「たった一発の槍でこれか。だけど!」
いったん下がって体勢を整え、天音は両腕に巨大な霊球を練り上げた。
「散らないなら、潰す!!」
ふたたび大里鬼の懐に飛び込んだ天音は、その腹に金色の霊球を叩き込んだ。
「母さんの技だ!くらえ!!バッチィイイーーンっ」
天音の霊球は襲いかかる瘴気の槍をも霧散させ、大里鬼本体のどてっ腹に風穴を開けた。
「よし、やったか!父さん、もう一発!」
「まだだぞ!あまね!上を見ろ!!」
雄心の声にハッとして上を見ると、大里鬼の瘴気は天音の頭上から津波のように押し寄せ、その体を丸ごと呑み込もうとする。
両腕に再び霊球を練り上げようとしていた天音は完全に虚を突かれた。
「あああ!呑まれる!」
「いかんっ!あまねぇええー!!」
瞬間、優梨たちの結界に加え、渾身の霊気を体に纏わせた雄心は大里鬼の懐に突っ込み、天音の体を突き飛ばした。
「あああーーーっ!とうさんっ!!」
砂浜に転がった天音の目が捉えたのは、大里鬼の瘴気に呑まれる雄心の姿だった。その光景に、優梨も声の限り叫んでいる。
「うわあぁぁああああっ!雄心!ゆうしんーーっ!!あああーーっ!!」
瘴気に呑まれる瞬間、雄心の耳に優梨と天音の叫び声が聞こえた。
・
・
おお、おれは、呑まれたのか。
まだ優梨たちの結界がおれの体を守ってくれているが、それも程なく消える。
そうしたらおれの魂は瘴気に呑まれ、腐り、同化される。
そうか、おれもか、おれもマジムンになるのか。
ああ、明日葉さん、そこにいるのか。もうあなたも、呑まれるのか。
大里鬼に呑まれて、今度はあなたが子供を襲うのか?
ミミチリボージに代わって、そうなのか?
いや、明日葉さん、それは誰だ?
明日葉さんの傍で、明日葉さんを守っている、その、霊魂は。
あなたは、誰?明日葉さんを守るあなたは、誰?
ああ、ああ、あなたは、海にいたのか。そうか、あなたは・・ずっと。
オレは、家族を守りたい。いや、守るんだ。それだけは譲れない。
それはあなたと同じ、同じですよ。
おう、今度は誰だ?
おれの手を引くのは、おれの背中を押すのは、誰だ?
ああ、光だ。光が見える。あたたかい、家庭の灯り。
大きな窓から漏れる、あたたかい、家族の灯り。
この灯り、見たことが、ある?
ガジュマルの・・・あの家の・・・灯り。
今日の晩ご飯は、オムライス?・・違うのか?ハンバーグか?
それは、楽しみだ・・・
つづく
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