神鈴の恋 ③
第70話
翌日、東江家のリビングにいるのは、東江俊子と神鈴の二人だけだった。
神鈴はさりげない話題から入ることはせず、最初から俊子の生い立ちや東江との思い出、結婚に至る年月のことを聞いていた。
最初のうち定まらなかった俊子の視線は、時間が過ぎるほどに光を帯び、夢中になって楽しかった日々を語る。だが初めての子供を授かった頃の話になって、俊子の口調は重くなり、時折涙を流している。
神鈴は無理に話を聞こうとせず、キッチンに立ってコーヒーを淹れてきた。
「俊子さん、ほら、俊子さんはコーヒーが好きなのね、いろんな豆が置いてあったけど、一番減ってるのを使わせてもらったわ。さ、一緒に飲みましょ?」
コーヒーをふたつテーブルに置き、俊子の隣に座った神鈴は、俊子の背中を優しくさすった。
「ああ、ありがとう、神鈴さん。ああ、おいしい」
「それじゃ、俊子さん、あなたには何が見えるのか、ぜんぶ私に教えてもらえないかしら」
俊子は神鈴の目を見つめ、頬を震わせながら語り出した。
「神鈴さん、こんなこと富雄さん以外、誰にも言ったことはないの。でもね、いるのよ、今も。今は神鈴さんがいるから黙ってるけど、私がひとりになるとすぐに寄ってきて言うのよ。こども、赤ちゃん、こどもが欲しい、ほしいって。ほら!そこにいるわよ!あの女、絣の着物を着て、見てる、みてるぅ!こども、こどもを盗るってええええ!!」
俊子は涙ながらに神鈴に訴える。神鈴は俊子の肩を抱き、その訴えを否定も肯定もしない。ただ、そうねぇ、ほんとねぇ、たいへんだったねぇ、と言うだけだ。
しばらくの間、俊子は取り乱した様子だったが、急に黙ってしまった。その間も、神鈴は優しく背中をさする。
数分間そうしていただろうか、俊子は、はっとしたように顔を上げ、リビングを見渡し、そして神鈴の顔を見た。
「あれ?神鈴さん?私、どうしちゃったんだろ、なんにもいないし、なんにも聞こえない」
何かが落ちたような俊子の顔に、神鈴は微笑みかけた。
「ふふふ、おかしいことなんてありませんでしたよ?俊子さんのせいじゃない、ぜ~んぶあの女のせい。でもね、私が追い出しちゃったから、もうこのお家には入れない」
神鈴は俊子の隣に座りながら、取り憑いていた女の霊を祓っていた。
「でもね、ここには入れないけど、まだいるの。私がちゃんと祓ってくるから、安心してね」
俊子の瞳はみるみる潤み、神鈴の胸に顔をうずめて泣いた。
辛い年月は、涙と共に流れた。
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その日の夕方、神鈴と辺土名、そして奥間は、与那国の集落のそばにある駐車場に車を停め、草むらを掻き分けながら歩いていた。
「神鈴さん、俊子さんは大丈夫だったんですよねぇ、それで、なんでこんなとこに来るんですか?なんかオレ、気味が悪いんですけど」
「ああ、奥間くんもか、私もね、なんだろう、空気がビリビリしてるみたいな、鳥肌が立ってるみたいだよ。なんなんだい?ここは」
「ふたりとも、人頭税って聞いたことありますよね。昔、琉球王府が周辺の離島に課したという厳しい税制」
「ああ、もちろんだよ。子供の背丈ほどの岩の柱を建てて、子供の背丈がそれを超えたら一律に税金を課す、というものだ」
「あ、オレも、知ってますよ!聞いたこと、あります」
淀みなく応える辺土名に対し、奥間はオロオロとそう言うのが精一杯だ。
「ここはその、人頭税にまつわる悲しい話が伝わる場所、クブラバリです」
クブラバリ、そこは広いところで幅が5m、狭いところでも3m近くある岩の割れ目だ。
昔、厳しい人頭税に苦しめられた与那国島民は、人減らしのため、産まれる子供を減らすことを決めた。子供を産めないようにする、そのための残酷な方法が、この岩の割れ目を妊婦に飛ばせる、というものだ。
割れ目を飛び越えることに成功した妊婦は産むことを許される。だが、成功したとしても流産する可能性は高まる。そして飛べなかった妊婦は深い割れ目に落ちる。割れ目の中で息絶える妊婦もいたという。
「そんな残酷な・・・本当にそんなことがあったんですか?ここで?」
目に涙を溜めて、奥間が呟いた。
「うん、残酷だ。人頭税は実際にあった制度だし、ここ与那国でも苦しんだろう。だがね、クブラバリの伝承が事実かどうか、それは分からない。重税に対する島民の苦難の証として語られた伝承、と言えるかも知れないね」
辺土名は冷静な顔つきでそう言う。
「ええ、何百年も前の話です。助教のおっしゃるとおりかも知れません。でも今日まで伝承されているということは、それに近いことがあったかもしれません。ほら、今も何体もの霊が私たちを囲んでいます。いえ、助教と奥間、ふたりを囲んでいますね」
「え?オレと顧問を囲んでるんですか?なんで?」
「むぅ、神鈴くん、私らに霊能が無いからと言って、からかっちゃいかんなぁ」
「でも助教も奥間も、鳥肌が止まらないでしょ?」
神鈴の言うとおりだった。辺土名と奥間は、ここに足を踏み入れた直後から鳥肌と悪寒が止まらない。
「ここに俊子さんに憑いていた女の霊もいます。それが一番強い。でも周りにいる霊もかなりの霊圧です。これはちょっと、見誤ったかもしれません」
そう言って霊を見渡す神鈴の目に、信じられない光景が広がった。
「っ!これはちょっと、まずいか」
神鈴の目は、クブラバリの割れ目から這い出してくる数十体の霊を捉えていた。
つづく
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