封印された記憶が目覚める ⑤
第5話
私は夕暮れの道を家まで走ったんだけど、後ろからあの声が追い掛けてくるようだった。
すごく怖かったよ。
「た、ただいま!」
「どうしたの?顔、真っ白だよ?」
私の顔を見るなり母が聞いた。
「ん、いや、なんでもない。なんでもないんだけど」
私は、少しの間うつむいたまま息を整えると、思い切って聞いてみた。
「あのさ、バス停からうちまでの道沿い、ほら、あの大きいガジュマルの手前位に家があるの、分かる?ブロック塀と大きな窓があって」
「あぁ、新垣さんねぇ」
私の話を遮るように、母は言った。
そうか、新垣さんっていうのか。知らない家だったな。そう思ったとき、母は続けて言った。
「でもあそこね、今は誰も住んでないよ」
母は、少し言いにくそうな表情を浮かべていた。
「えっ!そんなはずないよ、僕は毎日通り掛かって、電気も点いてるし、ずいぶん楽しそうな声が聞こえるよ?」
そう反論する私の顔を母はまじまじと見ていたが、冗談を言っているわけではないと思ったのか、こう続けた。
「へぇ、そうかねぇ、お母さんもよく通り掛かるけどさ、そんな声なんて、聞いたことないねぇ」
そこに父が割って入った。
「そりゃあれだ、親戚がいるんだから、後始末に来てることもあるさ、それにあそこは、猫がいるしなぁ」
「そうそう!猫がいるね、三匹かな?あ、子猫を拾ったって聞いたことがあるから、四匹?」
「そうかもなぁ、だからさ、あの後、猫の世話に姪っ子だかが来てるわけさ」
父の言葉に母も納得したというように「だぁるねぇ」と言うと、ほらね、といった顔つきで僕の顔を覗き込んだ。
私はそんな母を無視して、更に聞いた。
「あの後って・・何があったの?」
あの家に今も何かがいることを父と母は知らない。私は真剣だった。
二人とも、そのことについては話したがらなかった。でも、そんな私に押されたのか、ようやく父がその重い口を開いてくれた。
その家は昔から空き家で、古い上に小さいからずっと買い手がつかなかったそうだ。それが二年ほど前、その家がリフォ-ムされたのを機に家族連れが引っ越してきた。
そしてその家には数匹の猫がいて、とてもにぎやかで幸せそうだった。
そこまでは私も納得だった。私がいない間にリフォームされているからあの家は記憶になかったし、漏れ聞こえる会話から想像する家族にぴったりだ。
「でもな、ほんの一か月前さ、あそこの家族は全員が亡くなったのさ」
母が重苦しい口調で続いた。
「あっちよ、バス停の先にある交差点、あっちで家族の乗った車が飲酒運転の車に突っ込まれたんだよ」
その家族は元々この土地の出身ではなかったから、葬儀は別の場所で行われたという。なにしろまだ付き合いも浅く、父も母もそれ以上のことは知らなかった。
でも残された猫たちや今後のこともあるため、親戚が来ては猫の世話をし、荷物を片付けているらしい。
「そうなのか・・」
父さんと母さんの話を聞いて、あの家にいるものがなんなのか、私にははっきりと分かった。
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翌日、私は昼と夜の狭間、逢魔が刻にその家の前にいた。
その日も家の大きな窓からは明るい光が漏れ、家族の楽し気な会話が聞こえている。そしてやはり、猫の声も聞こえる。
私は歩道からブロック塀の内側に入り、大きな窓に顔を近づけて、言った。
「お前たちは、猫だね」
その瞬間、今まで続いていた楽し気な家族の会話はぷつんと途切れ、同時に家は真っ暗になった。
明かりなんて、最初から点いていなかったんだ。
私は続けた。
「お前たちは、幸せだったんだね」
家の中からは何の反応もない。でも私には分かっていた。やっぱりいる。
「でもね、お前たちが大好きだったおとうちゃんもおかあちゃんも、そしておねえちゃんも、もういないんだよ。もう帰ってこないんだよ。もう死んでしまったんだよ」
家の中の気配が濃くなった。
分かる。暗闇の中、八つの目がこちらを見ている。猫は三匹じゃない、四匹だ。
「だからお前たち」
私が更に話し掛けようとしたその時、私を圧倒するように声が響いた。
「うそだっ!!」
父親の声だ。
「うそ!」
母親の声。
「うそうそうそ」
娘の声。
「うそだうそだうそだうそだうそだうそだ」
「うそだうそだうそだっ!!!!」
「ヴ-ヴゥゥ---!」
三人の声と猫の声、子猫の声に聞こえた。
「うそじゃないんだ、もう三人は帰ってこないんだよ」
私は持てる限りの力を言葉に込めた。それは言霊となって猫たちに届く。
「お前たちは幸せだったんだろ?おとうちゃんもおかあちゃんも、おねえちゃんも、お前たちのことが大好きだったんだから、ちゃんと認めるんだ、お前たちも大好きだった三人のために、もう静まるんだ!!」
このまま放っておけば、この猫たちはこの世に強い未練を残す。そして、もうすでにマジムンになろうとしているこの猫たちは、きっとこの世に害をなす。
その時の私はそう思って、猫たちの未練を断ち切り、救ってやろうと思ったんだ。
でもすぐに、それが未熟な私の浅はかな考えであると、思い知ったんだよ。
私が猫たちに敗けたのかって?
いや、違う。ただただ、私の考えは浅はかだったのさ。
安座真さんは、僕の眼を見つめながらそう言うと、少し目を伏せた。
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「猫たちはね、こんなことを言ったんだよ」
安座真さんは更にうつむいた。もしかしたら安座真さんは、泣いているのかもしれない。
そこからの話を、僕は時空を超えて体験している。そう思った。
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「おとうちゃんがね、言ってたんだよ」
娘の声だった。
「おとうちゃんは、お前たちが大好きだって、でもきっと、お前たちはおとうちゃんより早く死ぬんだよって」
父親の声がそれに続く。
「そう、お前たち猫は、人間より寿命が短い。だから早くお別れするんだよって」
次に母親の声が、静かに言った。
「でもね、お前たちのように人に愛された猫は、死んでも天国に行かないんだって。天国じゃなくて、長い長い虹色の橋を渡って、そこで暮らすんだって」
猫たちは口々に私に訴える。
「そこは天国じゃない。でも、お前たちはそこで幸せに暮らして、おとうちゃんたちを待つんだよって」
「そのうちね、おとうちゃんたちがその橋を渡って、お前たちを迎えに行くからねって」
「そしたら一緒に、天国に行こうねって」
「おとうちゃん、おかあちゃん、おねえちゃん、家族みんながそろったら、一緒に天国に行くからねって」
「約束するよって」
「だからきっと」
「きっと」
「おとうちゃんたちは、死んでない!!」
「おとうちゃんたちは今、虹の橋の向こうにいるの!!」
「おかあちゃんも、おねえちゃんも!!」
「みんな、みんな、虹の橋の向こうで私たちを待ってるの!!」
「だから迎えに行かなくちゃ」
「そう、迎えに行くの」
「私たちが、おとうちゃん、おかあちゃん、おねえちゃんを迎えに行くんだよ!」
「おとうちゃんを!」
「おかあちゃんを!」
「おねえちゃんを!」
「おとうちゃん!おかあちゃん!おねえちゃん!」
「あ--んあ--ん」
「あ--んあ--んあ--ん」」
猫たちの叫びは、鋭い刃となって私の心を切り裂いた。
この子たちの未練を断ち切るなんて無理だ。私はそう思った。
私の耳に、また猫たちの声が響いた。
「だからね、私たちはその日まで、一生懸命に生きるの」
「みんなを迎えに行くその日まで、ちゃんと生きるの」
「あの人たちが愛してくれた、猫として」
「にゃ-んにゃ-んにゃ-ん」
猫たちが鳴いている。
きっと涙を流している。
私の目からも涙があふれた。
拭いても拭いても、涙は止まらない。
そして私はその場から、立ち去るしかなかった。
この子たちはマジムンなんかにならない。
それが分かったからだ。
その後、私はその家の前を通るのをやめた。
降りるバス停を一つ先に変えたんだ。
夏休みも終わろうとするある日、受験勉強をしている私に、なにげなく母が言った。
「そうそう、前に言ってたあの家ね、親戚が猫の世話をしに行ったら、猫たちみんなそろって居なくなってたってよ、どこに行ったのかねぇ」
「ふぅーん、そうねぇ」
気のない返事をしながらも、私は猫たちがどこに行ったのか、本当は知っていた。
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つづく
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