5,事件
それはとある昼下がりの城の敷地の離れにある塔になっている倉庫での事件
滅多なことでもない限りだれも立ち入らないこの廃墟一歩手前の塔に、フィンリーは過去の作付面積の調査用紙を探しに来ていた
ロードライドは、全てデジタルデータ化するべきだ…というけれど、紡いできた歴史は長く、全てを簡単にデータに移行することはなかなか現実的ではない。と陛下が現状のままの情報管理を行っている
紙媒体の記録のだいたいは城内に保管されているけれど、ある一定の歳月を超えたものはこのように、離れに移動して静かに再び誰かの手に取られるまで時間を過ごすのだった
離れといっても王宮の敷地内。お散歩がてら少し歩けばたどり着くこの保管倉庫に、ごく稀にこのように埃を被った情報を探しにくる程度であれば、これといってフィンリーにとって苦と感じる程では無かった
「………あ、これかしら…?」
倉庫は基本的に見張り番も置いておらず、必要なときにだけ鍵を持って行くようなスタイルである
今回もフィンリーはそうやって鍵を持ってやってきた。
作物に関する保管書籍は、わりと奥の方にあるので慣れていないとわかりにくい場所だった
作物の横の本棚は水質管理関係の書物で、これもまた同様に埃を被っているようだった
一歩本棚に寄って辞書のように分厚い冊子に手を伸ばす
もう随分と時が止まっているような匂いが鼻をくすぐった
棚よりもまだずっと奥の壁にある窓から差し込む光に、埃がキラキラと舞い踊り反射していた
なんとも綺麗で不衛生。
書物は、ぎゅうぎゅうに詰め込まれているように収納されており、力をいれないと取り出す事が難しかった
「……どなたが保管なさったんですかね…」
少しのため息は、この場に一人だけなので許して欲しいところである
力をいれて、グッとその冊子を取り出そうとしたときに
その事件は静かに発生したのだった
ミシミシ…と下の方から小さな音が聞こえて
足場がぐにゃりと不安定になったような気がした
その違和感は、劣化したこの塔の木造の骨組みが重圧に耐えかねて悲鳴をあげたサインだったのだけれど、突然のこととなると瞬時にその音を耳で拾って危険を理解することはどうしても難しいことであった
「?」と、フィンリーが異変をハッキリと認識したときには逃げるタイミングがもう遅かったようだった
ミシミシ…という音は次第にバリッ…という音に変わっていき、次の瞬間には本棚の床が勢いをつけて抜けてしまった
「……わっ!」
床が抜け落ちたせいで安定性を失った本棚が不安定に大きく揺れ、その動きで勢いをつけた辞書のように重みのある冊子が多方向にバサバサと落ちてきた
「っ…、!」
フィンリーは慌てて横に避けるも、落ちてきた冊子に足を取られて転倒してしまい、その上から何冊もの本がフィンリーを隠すように降ってきた
それは時間にして一瞬の事で、フィンリーは下半身の殆どを本に埋め尽くされてしまい、わずかな隙間のお陰で大怪我を回避出来たような状態だった
本棚は大きな動きで前方向に倒れそうに揺れているが、かろうじてまだ縦の位置にいる。
棚の中の本はほとんどが投げ出されたように思えた。通路を沢山の本が塞ぎ、まるで崖崩れのように出口方向までの縦の空間を全て埋め尽くしてしまった
沸き立つ砂埃に、口元を抑えたが、あまり意味がないようで、おもわずむせ込んでしまう
「………、ゴホッ…!」
大変な事が起こったと思った瞬間、悲鳴にも似た大きな音がして、その音と振動で部屋が揺れたような感覚に溺れた
その音は、本棚が向かい側の壁にぶつかり斜めの角度で止まってくれたものだった
もし本棚が床に滑り落ちるように倒れていたら
フィンリーは大怪我どころでは済まなかったはずである
フィンリーは砂埃によって真っ白に色の変わった床や自分の制服を見つめて
「…………データ化…賛成です…」
呆然としながらそう呟いた。
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何が起こったのかを正確に理解する事に少しだけ時間がかかった
「これ…いまどういう状況でしょうか………。」
人間とは、何が起こったか分からない…と混乱すると、一瞬だけ考えることを辞めるらしい
とりあえずこの状況を少しでも打破しようと身体をよじってみるものの、
埋まっている下半身の他にも、腹部を強打していたようでなかなか力を入れると痛みが激しく主張してきた
「………あ、そうだ。戻りが遅くなりますって連絡いれなければ…」
フィンリーは、取り急ぎロードライドに
”少し遅れます”
とだけ取り急ぎ腕時計の通信端末から簡潔に連絡を入れた
この一報をいれておけば、脱出に時間がかかったとしても、なかなか戻ってこないフィンリーをロードライドが心配することは無くなると思ったのである
大事にしたくない思いが一番念頭にあったので、ロードライドに助けを求めるという選択肢はフィンリーには存在していなかったのであった
ロードライドからすぐに”大丈夫?”と返事が来たが
「大丈夫です…」と返事に対して口頭で呟くのみで対応を留めた
「…………えっと、次は…、どうしたらいいのかしら…」
自分でも混乱しているんだろうな…という事は理解していた
故に、どう動けばいいのか、正解が分からなかった
一番大切な所に連絡をいれたので、あとはボチボチやっていこうくらいの気持ちさえ発生していた
この状況が例えば別の誰かであれば、きっとすぐに正しいと思える行動を瞬時に取れたはずであるが
自分の身に降りかかると、案外うまく行かないものであるということを知った
床に近いこの場所から見える景色は
本棚が倒れて本が落ちている状況で、
なんとなく脱出ビジョンを浮かべるとしたら
この本の山からスルリと抜け出して、本の山を登って、隙間から抜け出せばいいのではないだろうか?
と安易に考えていた。
「……っ、いた…」
とはいえ、現状を見てみると
なんとも自分の想像よりも実際は酷い有り様であるような気がする事も否定は出来なかった
足は本に挟まれて身動きが取れず腹部も痛い。腕も打撲で赤くなっていて、今この瞬間の両腕の力では、とてもじゃないけれど自分に被っている本をどかすことは難しいと思った
本の角で擦ったのか、擦り傷も数カ所目立っており、慌てて自分に出来る可能な限りの圧迫止血をした
大切な記録の多くにに血液がついてしまっては大変である
「……、一人では無理…。応援を呼ぼう」
自力で難しい時、こっそりと助けを求める事はたぶん正解の方法なんだと自分の行動を肯定する事にする
とはいえこの場所は離れで、他の従者はみな王宮内で仕事をしている時間なので、自分を本から引っこ抜いてくれ…だなんてなんとも言いづらくて悩んでしまった
とはいえ、ずっとこうしているわけにもいかないので従者の中で気心の知れたメイドのマリィに連絡を入れてみることにした
”離れの塔で本に埋もれてしまったので、助けてほしいです”
通信状況が良好でよかった。
送信完了の文字を見て安心する
マリィが来る前にまずはこの本棚から少しでも抜け出せたら…、と
自分に覆いかぶさっている書物をなんとか1冊退かした
これは国の保管する大切な書物なので
こんな状況になってしまって申し訳ないけれども、それでもやはり丁寧に扱いたかった
腕時計が震えた
マリィが”すぐいく!”とだけ返事をくれた
なんとも心強い一言
とはいえ、王宮から離れまでは多少距離があるので
仕事を中断して向かうと考えてもすぐには来れないはずだと思った
「………申し訳ない………。」
フィンリーは、情けなくて涙がでそうになった