11話:【剣聖】イリス・ルクセリア3
私はルクセリア王国の第三王女、イリス・ルクセリア。
幼い頃から王族としての品位を叩き込まれ、いつしかその期待に応えることが当たり前になっていた。五歳の時、自身の職業が【剣聖】と判明した瞬間、私の運命は大きく変わった。
「ちちうえ、ははうえ。わたしのしょくぎょう、けんせいだっていわれました!」
喜ぶ両親の顔を見て、幼い私は純粋に誇らしく思った。兄姉たちからの嫉妬にも負けず、大勢の祝福を受けたあの日の記憶は、今でも鮮明に心に残っている。それから数年、剣を振るう日々を重ねた私は、八歳で騎士団長を倒すほどの実力を手に入れた。
「参りました、イリス様。私ではもう、刃が立ちませんな! イリス様がいれば、王国の未来は安泰です!」
その言葉を聞いた瞬間、誇りと同時に恐れを感じた。彼の目には敬意と共に、わずかな恐怖が宿っていたからだ。それ以来、私は周囲の期待と責務を重く感じるようになった。王国の希望である自分が、決して敗北してはならないと心に誓った。
勝利への執着は、私の心を少しずつ冷たくしていった。戦場では情けが命取りになる。だから私は常に冷静で、冷徹であるべきだと信じていた。けれど、戦いの度に感じる孤独感を振り払うことはできなかった。
王立アルティア学園に入学する少し前、父からこんな話を聞いた。
「軍務卿ヴァルターの末の息子、アルドが今年入学するそうだ」
クレイヴンハート家。その名を知らぬ者は王国内にいない。彼らは代々軍務卿を務め、戦闘の天才を輩出することで知られている。現当主のヴァルターは王国最強と謳われ、その末の息子も当然、只者ではないだろう。
「強いのでしょうか?」
「職業は【狂戦士】。ヴァルター曰く、『将来、私を超える強者になる』そうだ」
その言葉に、私は思わず震えた。戦闘狂と噂される彼に、どれほどの実力があるのか。戦うことが好きなだけの者に負けたくない——そんな感情が心を占めた。
学園の入学式、フィリア・クレイヴンハートの堂々たる演説を聞いて、彼らの戦いへの執着を改めて感じた。そして教室に入ると、運命のようにアルドと同じクラスだった。
彼を見ると、無意識に睨みつけてしまった。だが彼は首を傾げるだけで、私の敵意に気づいている様子はなかった。それが妙に悔しくて、目を逸らした自分が情けなかった。
アルドの自己紹介が始まる。
「俺はアルド・クレイヴンハート。職業は【狂戦士】だ。将来なんて知らん。ただひたすらに強さと闘争を求めている」
挑発的な笑みを浮かべる彼に、苛立ちが募った。
「俺はみんなが馬鹿にする回復魔法が得意なんだ。ポーションなんかよりも、早く治るぜ? 訓練とかで手足が千切れたら呼んでくれ」
その軽口にも関わらず、言葉の端々に実力者としての余裕が滲んでいる。そして最後にこう言った。
「言い忘れていた。戦争とか強いやつがいたら呼んでくれよ? 俺はただ――血が湧き、肉体が燃え、心が躍る瞬間を追い求めている。強いやつは大歓迎だ。よろしくな」
彼の言葉には、底知れぬ自信と血に飢えた獣のような危うさがあった。その瞬間、背筋が震えたのを感じた。
——私がこの男に怯えている? あり得ない。
胸の内で自分を奮い立たせた。
模擬戦で、彼の実力が明らかになった。
みんなが模擬戦をする中、アルドに絡んだのは自己紹介の時にリリアという少女を馬鹿にした貴族の子弟とその取り巻きたちだった。
話しは聞こえなかったが、どういうわけか模擬戦をすることになったようだ。
見ていて思った。
「まるで子供を相手にしているみたい」
彼もつまらなかったのか、取り巻きたちにもかかってくるように挑発していた。
取り巻きたちもムキになったのか、アルドへと挑む。
しかし、身体強化を使わずして圧倒するアルド。圧倒的な力を目の当たりにしながらも、私はなおも自分が勝てると思った。
あまりに一方的な模擬戦にマリベル先生が止めに入ったが、アルドは不満そうだった。
「マリベル先生が言うなら終わりにしますけど、俺はまだ、準備運動すらできてないんですが。身体強化すら使っていないんですよ」
奇しくも、私はアルドの言葉に心の中で同意していた。
私でも準備運動にはならないだろうと。
「でも実力は分かりました。アルドくんはすでに、一年生の域を超えています」
先生の言葉に同意する。身体強化すら使わないで、身体強化を使っていた相手を一方的に叩きのめしたのだ。
その実力は一年生、いや。学生の域を超えているといえた。
しかし、同時にこの気楽な男を叩きのめせるチャンスだと。私の方が強いのだと知らしめることができると。
「私がやります」
その言葉を口にした時、彼の口元に笑みが浮かんでいた。
しかし、自分の心が熱く燃えるのを感じた。この男に負けるわけにはいかない。
剣聖として、王女として——絶対に。
私が一歩前へ出ると、周囲が静まり返った。その瞬間、視線が私に集まり、空気がピンと張り詰める。
私は期待を背負っている。だが、それがどうしたというのだろう。私がこの場に立つ理由は、誰かに期待されたからではない。私自身がそれを望んだからだ。
「イリスさん、挑まなくてもいいのですよ?」
マリベル先生の声が優しく響く。
私は首を横に振り、毅然とした声で答えた。
「私がやりたいのです」
向かいに立つ彼――アルド・クレイヴンハート。クラスでも異色の存在。異常なまでの強さを誇り、無謀ともいえる挑戦を楽しんでいるような彼。
私は彼を見据えた。
「――始め!」
その合図とともに、私は剣を抜き放ち、アルドに向かって突き進んだ。
最初の一撃は、彼を試すためのものだった。鋭く、素早く。それでも彼は軽々と避けた。
速い……
そんな言葉が胸中をよぎる。
攻撃を続ける。横薙ぎ、上段からの振り下ろし、一撃ごとに力を込めた連撃。だが、彼は全てを避け、いなし、時には軽く弾く程度だ。その動きには無駄がなく、冷静ささえ感じられる。
「どうして、どうして届かないの!」
苛立ちと焦りが心を侵食していく。
私はさらなる一手を繰り出すため、剣に青白い光を宿らせた。【剣聖】の職業スキル『聖光剣』。この力ならば、彼を捉えることができるはずだ。
「まだ本気を見せていませんよ」
そう言い放ちながら突進する。だが、それでも彼には届かない。むしろ彼の態度はますます余裕に満ちていた。
「来い、イリス」
その言葉に心がざわつく。挑発されている。それでも、この男にだけは負けたくない。全てを注ぎ込んで戦う。だが、――何も変わらない。
「どうして……どうして私の剣があなたに届かないの!」
思わず叫ぶ。
攻撃を繰り返すが、彼の冷静さに飲まれる。やがて彼が私の剣を弾き、私はバランスを崩した。倒れ込みそうになりながらも、必死に立ち上がろうとする。
「ただ、お前の剣は重すぎる。剣に迷いがある」
彼の言葉が胸に突き刺さる。
「――あなたに何が分かるの! 周囲の期待を背負う、この気持ちが分かるわけない! 王国背負う者として期待されてきた。負けることが許されない、ずっと孤独な私の気持ちが! あなたなんかに分かるわけがない!」
私の中の感情が溢れ出した。
涙が零れ落ちる。私は王族としての重責を背負い続け、孤独だった。そんな私の気持ちを、この自由奔放な男に分かるはずがない。
「……確かに、俺には分からないことだらけだ」
彼の声が静かに響く。
「俺は孤独じゃないし、誰かの期待を背負って生きたこともない。最初は何も分からずに剣を振るっていたよ。それが気付けば、ただひたすらに強さと闘争を求めている、まあ、クレイヴンハート家が闘争を求めるのは血筋なんだろうな」
彼の言葉に、私は睨み付けた。彼は「でもな、イリス」と言葉を続けた。
「お前の剣、すげぇんだよ。お前がどれだけ努力してきたか、戦っているだけで分かった。けどな、努力の先にあるのが誰かの期待を満たすことだけなら、その剣はいつか折れるぞ」
彼の言葉は、剣で打たれるよりも痛かった。それでも、その中には奇妙な温かさがあった。
「自由なんて誰かにもらうもんじゃないさ。自分で掴むものだ」
その言葉が胸に響いた。
私は剣を鞘に収め、彼に背を向けながら呟いた。
「……今日は負けを認める。でも、次は負けない」
その言葉に力を込めて。しかし、彼は笑って応えた。
この戦いが何を意味していたのか。それはまだ分からない。ただ、一つだけ確かなことがある。私は今、自分の剣について考え始めている。その先に何が待っているのか。それを確かめるために、私は歩みを進めるしかない。




