10話:【剣聖】イリス・ルクセリア2
イリスが歩み出ると、周囲が一気に静まり返った。彼女は、その堂々とした佇まいだけで周囲を圧倒している。
職業【剣聖】──その名が示す通り、剣技において並ぶ者はいないとされる職業だ。さらに彼女はルクセリア王国の第三王女として、周囲から期待されている。
「イリスさん。アルドくんはもう、十分見せていただきました。挑まなくてもいいのですよ?」
「私がやりたいのです」
「……わかりました。アルドくんの方は、どうしますか?」
マリベル先生の言葉に、俺はイリスを見ながら答える。
「王女様からのお誘いとあっては、断れないですね」
「そうですか。では、二人とも、準備を」
俺とイリスは互いに向き合う。
剣を抜き、構えを取った彼女の姿は絵画のように美しく、それでいて冷たい殺気が漂っている。
なんで嫌われているのかな。
彼女に何かをした覚えはないので、一向に謎のままである。
俺も腰に下げた剣を抜き、軽く構える。先ほどまでの余裕の態度はそのままだが、内心では少しだけ気を引き締めていた。
さて、剣聖の実力はいかほどに。
「始め!」
マリベル先生の合図と同時に、イリスが動いた。
鋭い突きが空気を裂きながら迫ってくる。これまでの相手とは桁違いの速度だ。俺は即座に一歩下がって回避するが、彼女の攻撃は止まらない。横薙ぎの斬撃、上段からの振り下ろし、次々と繰り出される連撃を、俺は最小限の動きで躱していく。
「思った以上にやるな」
余裕を見せつつも、その剣筋の鋭さに感心していた。
これほどの鋭さは、シグルド兄さん並みだな。だが、まだ洗練されていない。対人経験が少ないのだろう。隙も多い。
「まだ本気を見せていませんよ」
イリスは冷静にそう言うと、剣に青白い光を宿らせた。【剣聖】の職業スキルの一つ、『聖光剣』だ。剣を纏う光が眩しく輝き、殺傷力が何倍にも高まっているのが分かる。
殺気も伝わって来る。試合では殺傷が禁止なのだが、殺す気か? でも、ビシビシと伝わる殺気がこれまた心地よい。
「ははっ、いいじゃねぇか!」
俺は剣を逆手に持ち直し、僅かに腰を落とした。身体全体に魔力を流し込むと、筋肉が熱を帯び、周囲に圧力が広がる。
「っ……!」
イリスがわずかに目を見開いた。
「来い、イリス」
挑発するように言い放つと、イリスが再び動いた。光の残像を引くように斬撃が降り注ぐが、俺はそれらを躱し、時には弾いたりもする。
「どうして、どうして届かないの!」
彼女の叫びが俺に向けられる。いや、俺にではないのかもしれない。きっと自分自身に向けているのだろう。
イリスの攻撃はますます激しさを増していく。斬撃の一つ一つが風を切り、地を震わせるほどの威力だ。だが、そのすべてが俺には届かない。
「くっ……どうして! どうして私の剣があなたに届かないの!」
彼女は叫びながらも、攻撃を止めない。その瞳には焦りと怒り、そしてほんの少しの恐怖が混じっているように見えた。
「お前の剣からは、才能故の驕りはなく、努力したことが分かる」
俺は剣を軽く振り、彼女の攻撃を往なす。そのたびにイリスの剣は空を切り、彼女の動きがわずかに乱れる。
「あなたのような人、嫌いです! 最初から強い、貴方のような人は!」
彼女の声には怒りが籠っていた。その怒りの背後にあるもの──王族としての誇り、期待を背負う重圧、そして「勝利こそ全て」という信念。それが彼女の剣を支えているのだろう。
最初から強いと言う言葉は否定したいところだ。だが、誇りや期待など、そんなの俺にはどうでもいいものだ。俺はひたすらに戦いたいだけだ。
「嫌いで結構だ。だが、俺はお前が嫌いじゃない」
俺は笑みを浮かべたまま、イリスの剣を弾き飛ばす。彼女はバランスを崩し、後ろへと倒れ込むが、すぐに立ち上がろうとする。その姿勢には王族としてのプライドが滲み出ていた。
「何度でも立ち上がるか。その気概は嫌いじゃない」
俺は剣を下ろし、彼女をじっと見つめた。
「ただ、お前の剣は重すぎる。剣に迷いがある」
「――あなたに何が分かるの! 周囲の期待を背負う、この気持ちが分かるわけない! 王国背負う者として期待されてきた。負けることが許されない、ずっと孤独な私の気持ちが! あなたなんかに分かるわけがない!」
彼女は堪えることが出来ないで、身を震わして慟哭する。
イリスの涙混じりの声が、剣技の響きとは違った重みで胸に刺さる。彼女の気持ちは、俺が想像していた以上に深く、鋭い痛みを秘めているようだった。
「……確かに、俺には分からないことだらけだ」
俺は肩を竦めつつ、剣を鞘に収めた。
「俺は孤独じゃないし、誰かの期待を背負って生きたこともない。最初は何も分からずに剣を振るっていたよ。それが気付けば、ただひたすらに強さと闘争を求めている、まあ、クレイヴンハート家が闘争を求めるのは血筋なんだろうな」
イリスは顔を上げ、涙をこぼしたまま俺を睨みつけた。その目には、俺の言葉を拒絶する意志と、それでも聞かずにはいられない感情が混じっていた。
「でもな、イリス」
俺は彼女の剣を指さしながら、少しだけ優しい声で続けた。
「お前の剣、すげぇんだよ。お前がどれだけ努力してきたか、戦っているだけで分かった。けどな、努力の先にあるのが誰かの期待を満たすことだけなら、その剣はいつか折れるぞ」
彼女は息を詰めた。
「俺が嫌いだっていうのは、別にいい。でもな、自分の剣に迷いがあっちゃ、どんな相手にも勝てないぜ。知っての通り、俺みたいな戦闘狂はクレイヴンハート家には多くいる。血の気の多い馬鹿どもの集まりだが、確固たる意志があり、振るわれる武器に迷いはなく、みんな自由だ」
イリスはゆっくりと立ち上がり、剣を握りしめた。その手はまだ震えていたが、彼女の目には新たな決意が宿りつつあるように見えた。
「……あなたは、簡単に言うけど……私には、そんな自由なんてないのよ。周囲の期待に応えなくちゃいけない」
その言葉には、まだ諦めと怒りが込められていた。しかし、その奥にはわずかに「どうすればいいのか」という問いが隠れているのが分かった。
「自由なんて誰かにもらうもんじゃないさ。自分で掴むものだ」
俺は軽く肩を竦めて、微笑む。
「ま、いきなり全部変えろなんて言わねぇよ。でも、お前が剣を振る理由を一度自分で考えてみたらどうだ? そうすりゃ、もっといい剣になると断言する」
イリスはしばらく黙っていたが、やがて剣を鞘に収めた。そして、少しだけ顔を背けながら、低い声で呟いた。
「……今日は負けを認める。でも、次は負けない」
「おう、楽しみにしてるぜ」
俺が笑って応じると、彼女は無言でその場を去っていった。彼女の背中はまだ硬く、迷いが残っているようだったが、その歩みに少しだけ変化が見えた。
きっと、彼女の剣はこれからもっと強くなる。そしてその時こそ、本当の意味で俺の相手になれるだろう。もっと楽しい戦いを、血が沸くような、体の芯から熱くなれる戦いを魅せてくれるはずだ。




