2話:過酷だった黒樹海
俺は黒樹海で約二年のサバイバル生活を送った。
正確には一年と八カ月――その間、何度死にかけたか分からないが、そのお陰で俺は「エインヘリヤルの刻印」を完全に使いこなすことに成功した。
加えて、サバイバル技術も一通り身についた。魔物の肉を調理し、毒の見極め方を覚え、自然の中で眠る術を体得した。
職業スキルも今では自分の身体の一部のように扱えるようになった。
「黒樹海の深部でSランクの魔物を狩り続けたお陰だな」
俺は腕を見下ろしながら呟く。
肉体は以前よりも明らかに鍛え上げられ、戦闘経験の積み重ねは自信となっている。
黒樹海――あそこは地獄だった。だが、弱肉強食の世界こそが、俺を鍛えるには最適の環境だったと言える。
お陰で、今ならシグルド兄さんとも互角に戦えるだろう。いや、むしろ――勝てるかもしれない。
だが、シグルド兄さんは屋敷にはいない。次期当主としての仕事に追われているらしい。
そんなことを考えながら廊下を歩いていると、声をかけられた。
「アルくん、お父様が呼んでいたよ」
振り返ると、次女のフィリアが立っていた。
彼女は俺より二つ年上で、学園では二年生として通っている。
「父上が? 何の用だろう?」
「さあ。でも、そろそろ学園に入学する時期だからじゃない?」
そう言われて、ようやく思い出した。黒樹海での生活が濃密すぎて、そんなことすら忘れていた。
「……確かに、もうそんな時期か」
「でしょ? あんなところでずっと一人だったんだから、忘れるのも無理ないけど」
フィリアは呆れたように肩を竦める。
「ところで、フィリア姉さん。学園生活ってどんな感じ?」
俺の質問に、フィリアは口元に人差し指を当て、少し考えるような仕草を見せた。
「う~ん、そうね……私からすればみ~んな弱いわ。多分、アルくんも同じことを思うんじゃない? この家にいた方が腕を磨けるわ」
俺は苦笑する。
「そんなものか」
「それに、学園では貴族同士の面倒なやり取りもあるのよ。中には絡んで来る輩もいるけど、クレイヴンハート家の名前を出せば、誰も手出しなんてしないけどね」
彼女は自信たっぷりに言うと、楽しそうに笑った。
「ま、学園では好き勝手やれるわよ。アルくんも、きっと楽しめると思うわ」
フィリアの言葉を聞きながら、俺は少し学園生活に期待を抱き始めていた。
果たして、俺のような戦うことが好きな人間が、どんな風にその場所に馴染むのだろうか。
そんな思いを胸に、俺はフィリアと別れ、ヴァルター父上の書斎へと向かった。
書斎の扉の前で、俺はノックをして名前を告げると、入るように言われたので入室する。
部屋に入ると、書類仕事をしているヴァルターの姿があった。
「少し待て」
程なくして書類仕事が一区切りついたのか、ヴァルターは小さな溜息を吐いてから俺を見た。
その目はどこか観察しているようで、俺の身体を隅々まで見ていた。
「ふむ。強くなったみたいだな。黒樹海はどうだった?」
「強い魔物が多く、かなり疲れました。けど、充実した日々を送れました」
「そうか。どこまで潜った?」
ヴァルターの言葉に、俺は「深部まで」と答えると面白そうにこちらを見つめる。
「そうか。十五歳で黒樹海の深部を……私でも深部に挑むのは十七歳だった……フィリアですらまだ深部を一人では探索できない。素晴らしいことだ」
「ありがとうございます」
ヴァルターからそれなりの高評価をもらえた。
最強とうたわれるヴァルターから褒めてもらえるのは嬉しい。
「まあ、今はその話はいい。お前を呼んだのは学園についてだ」
「はい。」「学園では好きにするといい」
「……え?」
俺は父の言葉に呆けた顔になるが、ヴァルターはその理由を説明する。
「クレイヴンハート家は代々王国の軍務卿を務め、戦闘の天才を輩出し、『王国の盾』として『王国の剣』として絶対的な地位を確立している。広大な領地と独立した強大な軍事力を持ち、その存在は国内外で圧倒的な抑止力となっている。王家や大貴族にとっても、私たちを敵に回すことは国全体の安定を揺るがすことになる」
「……つまり、手を出したくても出せない、と?」
俺の言葉にヴァルターは頷いた。そして彼は「それと」と言葉を続ける。
「クレイヴンハート家の者は強いとすべての者に知らしめる必要がある。フィリアも入学して早々に、学園最強の座を手にした」
「俺は姉を倒し、最強の座を手にせよと?」
「それは好きにするといい。ただ、今年は第三王女のイリス殿下が入学する」
イリス殿下のことは知っている。何しろ、『剣聖』の職業を持つ唯一の人物だからである。
なんでも、騎士団の猛者を相手に勝ち続けているとか。
「イリス殿下と争わない方がいいと?」
「それを含めて、好きにしろと言っている。ただ――」
ヴァルターは意味深な笑みを浮かべながら言葉を続けた。
「イリス殿下も強いが、お前がどれだけ成長したか見てみたいとは思っている。相手が誰であれ、全力を尽くせ。それがクレイヴンハート家の流儀だ」
その言葉に、俺の静かに頷いた。
フィリアは強い者がいないと言っていたが、剣聖か。俺は内心で嗤う。
果たしてお前は俺を楽しませてくれるのか?
「わかりました。クレイヴンハート家の者として、全うして見せましょう。それに、俺は戦うのが好きですから」
「うむ。それでいい」
ヴァルターは満足げに頷くと、手元の書類に視線を戻した。俺は一礼し、書斎を後にした。




