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切り身


「そう……なんだ?「転生する」のが人間だけとは限らないか……まあ、そう言う世界観って設定なら…ありそうっちゃありそうか」


これは、どうにか戻してもらうまではこの世界観に付き合わないとならないんだな。と気を引き締め直す。


目の前で、しゅー…と空気に消えていく鍋と牛乳パック。

そういえばたしかにお玉や蓋なんかは注ぎ終わった辺りでもう消え始めていた。

まだ飲み残している牛乳を飲み干せばコップもまた消えていくんだろうか。

そう思いながら、神が河と呼んでいた辺りを眺める。


「ん? ガス台は消えないの?」

「そのようですね。このものにまだ未練が残っているのでしょう」

「ガ、ガス台の未練…?」


神がガス台の角をそっと撫でる。

その慈しんでいると分かる視線が向けられてるのがガス台な事に、自分としては猛烈に違和感を感じる。


(でもそう言う世界観だから…死後の世界は神視点で人間も無機物も等しく同じって事だから。同じ…同じかぁ…)


牛乳をすっきり飲み終えたら本当に消えたように、悶々とした考えを自分ですっきり整理してみようとしていれば、神にフフと笑われる。


「転生者様と同じようですね。元の場所にやり残したことがあるようです」

「ええ…?」

「このものは、ガスの元栓が破れてしまったのを悔やんでいるそうです」


ああ、と言うことは……


「もう少し早く劣化していることを気づかせられていたら……、設置の時点で異音を奏でてホースの向きに無理があったことを伝えられていたら……」

「死因はガス爆発ってこと」

「そうです」

「持ち主を巻き込んでしまった後悔か…」

「違いますね」

「えっなんで」


自分の中で、大事に使ってくれた持ち主を爆発に巻き込んだから悲しいのか。などと悲運を嘆くガス台の追悼の物語が動き始めた所に、神から否定されて驚く。


「このものに起こった事を語りましょうか」


神が滔々と語る物語は、ガス台の半生を振り返るものだった。




築35年のアパートにあったのがこのガス台。

一階の端という窓の隙間風も加味してなかなか風通しのいい立地で使われていた。


とは言え、築年数が経っていれば建物の扱いは貧乏長屋のようなもの。

住む人間も甲斐甲斐しくメンテナンスをする人達ではない。様々なものが経年劣化を気にもされず使われていた。


このガス台も例に漏れず、設置当初から長きに渡り丁寧な掃除なんて遭遇することのない環境が続いた。


部屋の持ち主は、借金をかさませたギャンブラーだった。

カップラーメンのお湯を沸かすくらいにしかガス台を使わず、魚を焼くグリルも付いているタイプだというのに一度も開けられたことはない。

それでもガス台を使わないことはなかったので、ガス台側も満足していた。


ある日、ギャンブラーは借金を踏み倒して逃げたらしい。

部屋に借金取りが乗り込んできて、複数で部屋中全てを荒らしまわった。

万年床をひっくり返し、ゴミの山を突き崩す。そんなことで貸した金が出てくる訳ではなかったが。

靴のまま乗り込んできた借金取りは荒らすだけ荒らし、ガス台さえも持ち上げて隙間という隙間を確認していった。

この時に、ホースの限界まで薄くなっていた箇所が破けたのだ。


粗方あさり尽くした部屋に唾を吐いた借金取りはイラつきのままにタバコを取り出しガス台に向けて屈むと火をつけた。

当然、ガスは着火されれば火をつける。

程よく風通しのいい部屋の中で、かき混ぜるように動いていた借金取り達のおかげで充満したガスは、部屋中の全てを包んで燃える事になった。




「……ォェ」


ちょっと借金取りのその後の姿を想像してしまった。きっつ。


「部屋が燃え尽くし、ガス台も燃えてこの河に流れ着いたのです」

「それを神様が拾ったっつーことね…」

「はい」


再びガス台を撫でると神は、ため息混じりに嘆く。


「五徳の上で調理を手伝う為に生まれたのに、信条を無視する煙草の着火。それに己の本来の力ではないガスの充満による大規模の着火。使命を全う出来なかったようなものです。切ないですね」

「あぁ、うん、そだね」


切ないか? でもまあ、一応ガス台の未練は分かった。神もちゃんとその為に掬い上げたんだろう。


「そのガス台で料理すれば、未練がなくなったり…」

「ええ、ガス台も満たされることでしょう」


(わぁ…神、めちゃくちゃいい笑顔だなー……)


いそいそと河に手を差し入れる神の姿を見て、自分の口からため息が出る。

こうしてまんまと食事による転生を理解させられる時間が始まってしまったんだろう。


デン、と効果音が出そうな程でっぷりと肥えた魚が一尾、目の前に置かれる。

顔を上げればニコニコ顔の神がこちらを見ている。


「こちら在来種を食い尽くす勢いで食物連鎖を塗り替えていた所、駆除された魚です」

「はぁ」

「人間にとっては食用になるようです」

「はぁ」

「どうぞ!」


どうぞと言われても、


「切り身、無いですか?」

「!!」


こちとら料理と言えば、下準備済みのものを買ってきてがスタート地点の身やぞ。生魚丸々渡されて何が出来ると思ってんだこの神。

悪態混じりに見上げると、神はオロオロと困惑して目を泳がせる。


「切り身…切り身が「渡りの広場」に現れるでしょうか…」

「さぁ分かりません」


そもそも、神もグリルで丸焼きを想定したのかもしれないけど、この魚のサイズだとこのガス台のグリル部分には明らかに入らない。

当然、3枚におろすとかぶつ切りにするとか切る必要がある。その為のまな板も包丁もないんだから、本当に無茶振りする神だ。


「あ、ああ…そうです…そうですね、魚を切るのに必要な道具もご用意いたします。なので、今しばらく……切り身……切り身?……」


ぶつぶつ呟きながら神は河の中を覗き出す。

何もなさそうな所をさっきから眺めているので不思議でならない。

後ろからチラッと覗き込んでも神が虚無を眺めて「切り身……切り身……」と呟いている姿しか見えない。なんか怖い。


「……」


立って待つのも面倒なのでその場でどっこらしょと座り込む。

自分の目にも河が見えたのなら協力して探すのも時間短縮になっていいかなとも思うけど、神が見てる虚無を一緒に眺める気にはなれないし…


まあつまりちょっとした自分自身の振り返りタイムが生まれてしまった。


大金持ちだったとか特別な地位だったとかチヤホヤされてて、とかそんなことは一切なかった。

現実にありふれた程々のランクの物に囲まれてる、なんてことない日常だけだった。

そんなある程度の身分相応な物を使って、自分に似合いの生活を送っていられたらそれで良かった。

良かったのに今や自分の傍には何もない。死んだから。


少し乾燥肌で荒れた手のひらを広げて見る。

死んだと言うには生前と変わりがなさすぎて、グッと爪を立てて握りしめる。これが痛いんだ。でも血も涙も出ない。


爪痕が残るだけの手の中には何も残らず、神は死んだら全てを捨てて次の場所へ行けと言う。

いや選ばれし転生者だから何かは持ってけるんだったっけ?

さっきなんか言ってたな…。脈拍か何かを動かせ的なこと…。

でも選ばれしとか言われても、道具も何もないところに連れて来られたら魚も切れなくてこのざまなのに。


「はぁ…戻りたい…早く…」


早く。早く。


思い返す景色が走馬灯のように浮かんで消える。

死後の世界で見る走馬灯はどんな効果があるのか分からないけど、どうせなら死を覚悟するのと反対の作用でも起きてくれないだろうか。意味の反転的な効果が出たりしてうっかり生前の世界に戻れたりとか…


神は、のらりくらりと生還お断り的な風に言っていたが、明確に戻れないと明言してはいなかった筈。

食を通して転生を理解させられるのに付き合っていれば、生き返る方の妥協点もその間に引き出せるかもしれない。

きっと戻れる。そう信じる。


河を覗く猫背な神の背中を睨んで、自分の中の決意を強くした。


「転生者様」

「ッ!?」


決意の拳を握ったと同時に声をあげられ驚く。


「…何…?」

「切り身とは切り株と近しいものと言う認識でもよろしいでしょうか」

「どゆこと」

「申し訳ございません…」


神が妙に綺麗な顔を顰めて嘆く。


「魚は切り開かれた段階でほぼ、その生を全うし身が人間の食卓に渡るので……河を渡る姿はほぼ魚一尾の姿なのです。切り身の段階まで生を全うしていない魚は少なく」

「切り身はここでも泳いでないってことか」

「ええ。もしや切り株のように新芽が生えるような可能性があれば切られていても……と思ったのですが」

「あ゛〜……切り身には、何も生えない、かな。個人的には切り株が河を流れてくる可能性があるって方が意外なんだけど」

「土砂崩れや山の崩落があると多くなります」

「ほぉん」


そう言う分類なんだぁ。と思った。いや興味はないけどね。

気を取り直してさっきから放置されていた魚をむんずと掴んで神の傍まで持っていく。

神が困った顔で引き続き河を眺めている方向性から、見えない河の縁を見極めて神の横にしゃがむ。


「この魚結局食べられないんだからまた放流? するってことでいい?」

「そうですね。この魚も機会は逃しましたが、この河を流れるうちにまた転生する機会に巡り会うことでしょう」

「ああ、やっぱ消えてったのは転生しに行ったってことか」

「はい」


神が穏やかな顔で魚を眺めている。

やっぱ神って見守るものなんだなぁ。と思った。うん興味はないけどね。


「てことでじゃあ、放流ー!」


魚を両手で持ち上げて、己の腰を限界まで下げてから勢いよく放り投げる。

大きめの魚はまるで生きていた頃、水揚げの網から高く飛び上がった時のように勢いよく空に弧を描いた。


「切り身になったらまた来いよー!」


そしてベチッと床に叩きつけられた。


「……」

「はあああ?」


脂の乗った身のおかげか複数回ぶりんぶりんと転がるようにバウンドしている。


「いやここ河なんでしょ!?」

「えっと、河ですね」


神も困惑中なのかはてなマークが浮かんでそうな顔だ。


「意味分からん! 別れのセリフ叫んだの馬鹿みたいじゃん!」


耳まで熱くなる。めちゃめちゃ恥ずかしい。

ノリに任せずにどうやって正しく放流するか聞けば良かった。


「くっそ! いいよやり直すよ!」


もう一度魚を回収すれば無かったってことで! そう言うことで! 全速力で取りに行くんであっち向いててください!


そうやって慌てていたから、自分の腕を掴まれ引き止められるなんて思いもしなかった。


「お待ちなさい!」


ガクンッ


「!」


急に踏みしめる足場が消え去った。

今、神に肘あたりを掴まれていなければ、どこに踏ん張ることもできず、全身するんと飲み込まれていたかもしれない。

ゾッとする。

床に打ち付けられた筈の目の前の魚が、何の抵抗もない自由落下であっという間に河の底へと落ちて行く。

深く深く小さくなっていく魚を追うのはすぐに出来なくなった。

右に左に流れる河は、様々な食べ物、道具、動物、人間が、うじゃうじゃと蠢きながら魚を隠していくからだ。

胸元まで河に浸かった身体を、水面を流れるどろりとした気持ち悪いが撫でていく。


「っ……」


すがりついた指が震えたのがバレたのか、神が引き上げてくれた。

岸辺に上がると酸素が欲しくて息を繰り返した。


「転生者様…」


自分の呼吸が整わないなか、神が申し訳なさげに声をかけてくる。

睨み返すしかまだ出来ないのが腹立って仕方ないけど、ここが普通の世界ではないんだと「渡りの広場」なんて言う三途の川のほとりなんだと実感した。



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