〜染谷 武雄の選択〜
「そ、染谷くん!」
突然、後ろから女の子に声をかけられた。
今日は半日しか講義無いので帰ろうとしていたタイミングだった。
「どしたの?」
真白さんの親友である林原さんだった。
学部違いの彼女が、こちらの棟に来るなんて珍しい。
「お、お礼が言いたくて!」
「お礼? なんかしたっけ?」
「染谷くんのおかげで、雪がまともにスマホに興味を持つようになったことに対して!」
「は……?」
林原さんの話によると、真白さんはこれまで携帯電話を不携帯することが多かったそうな。
持っていても全く興味を示さず、メッセージもろくに見なかったらしい。
だけどゲームを初めてからというもの、スマホを肌身離さず携帯し、ちゃんとメッセージも返してくれるようになったとか。
「私がいくら言っても、何年かかっても全然だったのに……今じゃあの子とすごく連絡が取りやすくなったし、大助かりだよ! 本当にありがとう!」
「いえいえ、お役に立てたのでしたら」
「あ、あと、えっと、もう一つお礼が……」
「まだ何か?」
「ご、ごめん! この件はもうちょっと後でっ! それじゃあ楽しい連休を! またねっ!」
林原さんは足早に去って行き、男子学生と合流する……あれ? あそこで待っているのは、金太?
嘘? マジで!? もしかして……あの二人は交際を!?
すぐに金太と林原さんが姿を消してしまったため、真相は霧の中になってしまったのだった。
となると、こっちも急がないとなぁ。
俺はそんなことを考えつつ、バイト先である、居酒屋かいづかへ向かってゆく。
……
……
……
「お帰りー!」
かいづかの扉を開けると、ボックス席では1人、蒼太くんがマスクライダーの人形で遊んでいた。
「よっす! お母さんは?」
「仕込みー! にいちゃんがそろそろ来る時間だからって、行っちゃったー」
「ああ、そう」
我らながら随分、真珠さんには信頼されているなと思った。
嬉しい反面、責任重大である。
「にいちゃん、なんか見せて!」
「はいよ」
俺はスマホを取り出し、サブスクの動画サイトを呼び出す。
そして蒼太くんの大好きなマスクライダーシリーズの動画を見せ始めた。
「大人しく見てるんだぞ」
「はーい」
まるで自分が蒼太くんの父親になったかのような錯覚を抱く。
もしも胸の奥で燻っているこの想いを形にするならば、そういう覚悟を持つ必要がある。
俺はそんなことを考えつつ、真珠さんが帰ってくるまで、店の開店準備を進める。
……
……
……
今日はかいづかへの来客が少なく、早上がりとなった。
そこで夕飯ついでに、カフェレッキスを訪れる。
「いらっしゃませー」
出てきたのは稲葉さんではなく、同僚で同級生の女の子だった。
彼女は"鮫島さん"という名前らしい。
どうやら稲葉さんは、今日はキッチンでの仕事をしているようだ。
こんな遅くまでバイトして、帰ったらバーチャアイドルとしての活動をしているんだから、偉いよほんとに。
「ごめんなさいねー稲葉、今日もキッチン担当なんですよ」
「あ、いや、俺は……」
鮫島さんに気を遣われてしまった。すごく恥ずかしい。
ちなみに未だに俺は稲葉さんへ、自分がたけピヨだということを伝えてはいない。
あちらから声をかけられて以来何度か訪れてはいるのだが、タイミングがなかなか合わずにいた。どうやら稲葉さんはキッチンが主な担当らしい。
だから話しかけるには、ホールを担当している時に限られてしまう。
このまま黙っておこうか。それもとちゃんと自分の正体を告げるべきか。
今日まで迷いに迷いまくっている俺である。
●●●
家へ帰り、ベッドに寝そべりながら、呆然とこれまでのことを振り返る。
痩せて大学に入ったら人生が一変した自覚がある。
そしてたくさんの新しい出会いに恵まれた。
みんなはそれぞれ、俺の心地よい色に染まってくれている。
そのこと自体は嬉しいし、何よりも気を使わなくて楽なのが本音だ。
だけどこういう状況になって、ここ最近俺は黒井姫子との暗黒の交際時代を思い出すことが多くなっていた。
奴にベタ惚れだった俺は、まんまと奴のが心地良いように"染められた"。
そのせいで、人生で一度きりしかない、高校3年間を棒に振ってしまった。
貴重な時間を歪められてしまった。
こちらが心地よいだけの関係はフェアじゃない。
相手が自分へ興味を持って自分の心地よい色に"染まって"くれているのなら、自分自身も相手へ興味を持つべきだと思う。
むしろ、もっと俺は"彼女"のことを知りたい。
"彼女"のことを理解したい。
そう強く想う。だからこそ、今こそ次の一歩を踏み出す時。
俺の胸の奥へ、強く印象に残っている"彼女"、その人こそーー同級生の真白 雪だった




