番外編【エレン視点Ⅱ】走り出した想いは止められない
――惠簾視点――
放課後、通し稽古を終えた私たちは空き教室で着替えていた。玲萌さんは夕露さんの帯を結んで差し上げながら、
「樹葵ったら、あたしの胸のあたりめっちゃ見てくんのよ!?」
と口をとがらせる。確かに玲萌さんの衣装は無いはずの谷間があらわれるから、物珍しくて誰でも見たくなるのでしょう――なんて口が裂けても言えませんが……
「良いではありませんか」
と、私は緋袴の帯をぐるりと腰に回しながら、
「わたくしの足だって橘さま、よくご覧になってますわよ?」
「そう、それ!」
玲萌さんは勢いよく私を指さす。「惠簾ちゃんのも見てるから嫌なのーっ あたしのだけ見てるなら愛情ゆえかなって思わなくもないけど! ――ってちょっと夕露! 立ったまんま寝ないでよ。帯、結べないでしょっ」
「野生の本能に逆らえないのは殿方の宿命ですから。夕露さんが睡魔に打ち勝てないように」
「女の子なのに本能に逆らわない惠簾ちゃんが言っても説得力ないけど」
玲萌さんの笑顔の突っ込みは聞こえなかったことにして、
「でもその本能のおかげでわたくしたちは子孫繁栄しているのです。性欲は命の源! 自然の摂理! かけがえないものですわっ!」
「さすが、五穀豊穣・子孫繁栄・子宝祈願で有名な神社の巫女さんね……」
あらやだ。玲萌さんの目がちょっぴり冷たいですわ。
そのとき廊下の方から声がかかった。
「玲萌さん、着替え終わりましたか?」
「終わってるわよ」
玲萌さんがカラリと戸を開けると、劇の衣装からいつもの着流し姿に着替え終わったお師匠さまの姿。
「実は今日の昼、書棚を整理していたら玲萌さんの興味ありそうな文献が出てきたんです」
「えっ、なんの本!?」
さっそく身を乗り出す玲萌さん。
「玲萌さんが卒業論文『雷の伝達と通信魔術について』に書いていた異国の実験の手記を翻訳したものが出てきたんです」
「見たい見たいっ」
玲萌さんはさっさと廊下へ出てゆき、
「樹葵、あたしちょっと用事ができた! 半刻くらいで戻るから!」
と向かいの教室へ声をかける。
「凪留さんも来ますか」
お師匠さまはちゃんと生徒会長も連れ出そうとしてくれる。
「興味はあるのですが、僕は今から全企画の最終確認に行かねばなりませんので」
「では玲萌さんだけで」
「行こ行こ!」
玲萌さんはノリノリで去って行き、生徒会長も中庭へ消えた。ついでに夕露さんは突っ伏して居眠り中。
「――橘さま」
私は教室で一人になった彼に声をかける。
「おう惠簾、おつかれ!」
目が合うと橘さまは、ふわっとつぼみがほどけるように笑った。中庭からななめに、もみじを透かして差し込む秋の陽が、彼の銀髪をほんのり紅に染める。ほとんど白に近いそのやわらかな髪に、触れたくてたまらなくなる。
(はっ、いけない! わたくしとしたことが―― ここは煩悩に打ち勝たなくては!)
私はみずからを鼓舞し、性欲を落ち着ける。
「実は今朝、土蜘蛛に関する不吉な夢を見たのです」
あぐらをかいて座る橘さまの斜め前に座布団を持ってきて正座すると、私は悪夢の内容をかいつまんで話した。
「そいつぁ怖かっただろうな。金縛りって嫌だよな」
聞き終わった橘さまは、土蜘蛛の危険性より先に私のことを気づかってくださる。
(どうしてそんなに、おやさしいんですの!? 好きになってしまいますわ!)
自分の心が異性に対してこんなふうに震えるなんて、今もまだ信じられない。私は子供の頃からたぐいまれな神通力を発揮し、千年に一度の巫女ともてはやされ、自分は神さまに選ばれし存在だと信じてきた。と同時に内心では、恋する同年代の女の子たちを軽蔑してきたのだ。彼女たちは確固たる信念も将来の目標もないから、恋愛なんて浮ついた感情に流されるんだろうと。
「どうした、惠簾? 悪い夢を思い出しちまったか?」
橘さまが心配そうに私をのぞきこむ。その翠玉のように透き通った瞳には、一点の曇りもない。まばたきするたび、豊かなまつ毛が白鳥の羽のようにはばたく。
「はぁ。きれい――」
「は?」
(しまったぁぁぁ! またやってしまうところでしたわ!)
彼の頬に伸ばしかけた指先を、私はあわてて引っ込める。まだ話は終わっていないのだ。
(将来いっしょになれないと思えば思うほど、それなら今、満たしてしまおうと思うのはわたくしの悪いくせですわ)
私は圧倒的な神通力をいかして、生まれ育った神社を支えたい―― 幼いころからそう決めてきたのだ。一時の感情に身をゆだねたりはしない。
「龍神さま、今日もお美しいですこと」
私の言葉に、橘さまは思いっきり苦笑している。
(そうよ、この方は龍神さま! 神さまの化身なの!)
そう言い聞かせなければ、私の心は恋に落ちてしまいそうだ――
「それでわたくし今朝、旧校舎の土地神さまに邪悪な気が動いたらお知らせいただくよう、お願いしてまいりましたの」
むだなことを考えないよう、私はてきぱきと話を進める。
「お知らせって?」
首をかしげる少年らしい仕草に、また胸がきゅっとしめつけられる。
「わたくしたちの心に鈴の音が聞こえるのです」
「へぇ、すげぇな」
目を見開いて感心してくださる。
(反応がいちいち素直で、わたくしの心もいちいちキュンキュンしてしまいますわ!)
――また頭の中が脱線してしまった!
「お米やお酒といっしょに神楽鈴をお供えしてきたのですが、それを鳴らしてくださるのですよ」
「大地の精霊が風の精霊にはたらきかけて鈴を鳴らすって仕組みとか?」
「いいえ。土地神さまが鳴らしてくださるので、実際に神楽鈴が動くわけではありません。わたくしたちの心に響く鈴の音です。きれいな心を持つ者なら、だれでも聞こえるのですわ」
「やべっ俺、聞こえるかな!?」
冗談っぽく言って笑い出す。そのわずかにかすれたような笑い声が艶美で、私はまたドキドキしてしまう。
「なに言ってるんですか。橘さまはきれいな心をお持ちだから、神剣だって使えるのですわ」
「そうかな」
と、はにかんだように笑う反応がかわいらしくて、私はまた心を乱されそうになる。最初はただ、天気を操り、呪文詠唱もせずに魔術を発動させる彼の能力に惹かれただけだった。でも今は――
「そうですわよ」
などと言いながら、さりげなく彼の手に触れる。真っ白いうろこはあまりになめらかなので、近づかなければそれと分からない。ただぬらりとした光沢を放つだけ。
するどい鉤爪を避けながら、こっそりと指をからめる。彼を悪く言う人たちの言葉通り、その姿は化け物じみているのかもしれない。でもそれさえも、いやだからこそ、私はゾクゾクと体の底からうずくような感覚におそわれるのだ。
私に指先をもてあそばれた彼は困ったように、伏し目がちに目をそらした。あやかしの不気味さと少年の繊細さが交錯する。私はたまらず正座したまま腿の付け根にぎゅっと力をこめた。
そのとき――
ベベンッ
突如、弦の音が鳴り響いた。
「ん、なんだ? あいつ鳴ってやがんな」
と、立ち上がって三味線を取りに行く橘さま。「俺べつに興奮してねぇのにおかしいな」
「なんですの、その楽器。誰かが興奮すると勝手に鳴るんですの?」
「そうらしいぜ。付喪神さんが反応するんだってさ」
まあ! そんなウソ発見器みたいな三味線、恐ろしすぎますわ! 私の横に置いてあったら鳴りっぱなしじゃない!
「おいおい、落ち着けよ」
と勝手に弦が震える三味線に話しかける橘さま。
(これはわたくしが落ち着かなければなりませんのね)
うつむいて耐えていると、
「しょうがねぇな、一曲弾いてやるから」
ベン、ベベン
「ハハ、喜んでらぁ。かわいいだろ、この付喪神さん」
と、笑顔で振り返る。かわいいのは橘さまのほうですわ。
「ちょっとうるさくするけど勘弁してくんな。明日、学園祭のトリで歌う曲を浚っときてぇんだ」
「わぁ、橘さまの歌声、聴きたいです!」
「ん、そう?」
私に目を合わさず調弦しているのは、ちょっと照れてるのかしら。




