第67話、動けない過去があったからこそ、今は誰かを守るために動くんだ
「樹葵くん、わたしを守ってくれてありがとね?」
天ぷらを頬張っていた夕露がふと、しおらしい態度で俺を見上げた。
ここは港町の飯屋の二階。一階には漁師さんや、港で荷の積み下ろしに従事する人足たちが集まっていた。夕露の家――沙屋の業務内容について俺はよく分からないのだが、この店の仕入れにも関係があるらしい。
「どうした急に。どーいう風の吹き回しだ? いっつもからかってくんのに」
警戒する俺。天ぷらにかぼすをかける手が止まる。夕露はちろっと上目づかいに俺を見て、
「いつもいじわる言ってごめんって思ってるよ。樹葵くん絶対本気で怒らないし、一生懸命がまんしてるのもかわいいんだもん」
ええ…… 俺こいつにまでかわいいとか思われてんの? おもしろくねぇ。俺は無言で天ぷらを口に運んだ。港町で働く人足向けのまかないだからか、天ぷらの王道である海老だけでなく、小イワシや小ダコなど多彩な海の幸が抜群の鮮度でカラっと揚がっている。
「魔術を自在に操って戦ってる樹葵くん、かっこよかったなぁ」
夕露のくりっとした紺碧の瞳がきらきらと輝く。「わたしもはやく魔術使えるようになりたいなっ!」
「そういう意識あったのか、あんた」
あぜんとする俺。でも考えてみたら――
「まあそうでもなきゃ魔道学院に入学しないか」
「そうなの。わたし入学前――十一歳のころ、玲萌せんぱいに魔術で助けられてるんだ」
魔道学院は全員同じ年齢で入学するわけじゃない。俺は十一歳ですでに一回生だったが、夕露はまだ手習所に通っていたんだろう。
「わたし、手習所で男子にいじわるされてたの。お前のほっぺまんじゅうだぁとか」
言い得て妙だな。
「それでその日も帰り道、デブとかチビとかお嬢とか金持ちとか言われて泣いてたら――」
最後のほうむしろ褒めてるだろ。
「たまたま通りかかった玲萌せんぱいが、『女の子を泣かせるなんて風上にも置けない大馬鹿者ね!』って、いじめっ子に覚えたての魔力弾おみまいしてくれたの」
玲萌ならやりかねない。
「それで夕露は、玲萌を追いかけて魔道学院に入ったのか」
「玲萌せんぱいみたいに、泣いてる女の子を救えるようになりたかったんだよ」
なにも考えていないように見える夕露でも、ちゃんとこころざしがあったんだな。
「でも夕露の家なら大店の財力にもの言わせて、悪ガキの一匹や二匹くれぇほかの手習所に追っぱらえそうだけどな」
手習い師匠ってぇのはそこらじゅうにいるもんだ。ちぃと遠いところに通わせりゃあいい。
「それがね、おじいちゃんやお父さんに言いつけても、『そういう男の子はお前に気があるんだよ』なんて笑って取り合ってくれなかったの!」
夕露はぷぅっと頬をふくらませた。
「そりゃ災難だったな。いくら子供だって、気のあるやつのからかいか、本当の嫌がらせかくらい見分けつくよな」
「そうだよっ 小さいころのわたしがどんくさかったからってバカにしてさっ!」
夕露はいまもどんくせぇけどな。夕露をいじめた野郎が目の前にいるかのように、俺は目をすえて、
「そいつらは単に弱い者いじめしてたんだよ。男にゃあ勝てねえからって要領悪いお嬢さまつかまえてさ。みっともねえ」
いまでもぷにぷにかわいい夕露の子供時代なんて、それこそ純真無垢なお姫さまだっただろうに、それを泣かせてたヤツがいたとは胸くそ悪ぃ。
「樹葵くん――」
夕露がうれしそうにほほ笑んだ。「わたしのために怒ってくれるんだね」
「ったりめぇだろ? 俺だって玲萌みてぇにその場にいあわせて、女の子いじめて憂さ晴らしてるような情けねえ弱虫、一発なぐってやりたかったぜ!」
「そっか、樹葵くんもこの街に住んでたんだもんね。むかしどっかですれ違ってたかも!」
「あ…… そうだな――」
威勢よく啖呵など切っておいて情けねえ話だが思い出しちまった。玲萌が魔道学院に入学したころ――十四歳頃の自分が、悪ガキをこらしめるような行動力を持ち合わせていなかったことに。
夕露は俺の様子など気付かずに、
「樹葵くんはやさしいんだね! あのころ玲萌せんぱい以外みんな、見て見ぬふりだったんだもん」
きっとむかしの俺も泣いていた夕露に手を差し伸べられなかっただろう。自信もないくせに、自分にはなにかができるはずだとやみくもに信じるばかりで、けっきょく動けない鬱屈した日々だった。
「ごめんな、夕露」
「へ!?」
思わずあやまって、夕露をきょとんとさせてしまった。
「いや、いまの俺が、泣かされてた小さい夕露を抱きしめてあげられたらよかったんだけどな」
あわてて言いつくろうと、
「うれしい! 樹葵くんはやっぱわたしのおにいちゃんなの!」
言うやいなや立ち上がって俺に飛びつこうと――
「うわーっぷ!」
「おわっ あぶねっ!」
畳縁にでもけつまずいたか、特技「なにもないところで転ぶ」をやらかした。俺の天ぷらが犠牲に――! 倒れる夕露を支えるべく反射的に伸ばした両手が、
むにっ
とやわらかいものをつかんだ。ハリのある肌に包まれた弾力あるそれの感触が両手のひらに伝わる。こぼれ落ちるようにやわらかかった奈楠さんのとはまた違う――ってなに分析してんだ俺!
「は、離して……? おにいちゃん――」
「ごめん夕露! マジですまねぇ! これはわざとじゃなくて――」
気が動転して、溶けかけたその着物からおおげさに目をそらした俺に、意外にも夕露はにっこりと笑いかけた。「分かってるよ。わたしの顔が天ぷらに激突しないよう支えてくれたんでしょ?」
いや、俺の天ぷらが夕露につぶされないよう――
「そうそう、そうだとも!」
ブンブン首をたてにふる俺。夕露は体勢を立て直して、
「わたし一人っ子だから小さいころ、おにいちゃんが欲しかったんだ」
あぐらをかいた俺のとなりに、ちょこんとひざをかかえて座った。「いつの間にか、男の子って人の気持ちも考えないで傷つけてきてキライって思って忘れてたけど。でも樹葵くんは、ほかの男子とちょっと違うよね」
「ん? 俺があやかしの外見だから?」
「きゃははっ そんなんじゃないよぉ」
夕露はめし食ってるさいちゅうだってぇのに、畳の上で足をばたばたして笑い出した。「樹葵くん自覚あったんだ!」
ないほうがおかしいだろ。
「そうじゃなくて樹葵くんって、わたしがちっちゃいころ空想してた理想のおにいちゃんみたいだなって。強くて守ってくれて、でもわたしの気持ちもちゃんと考えてくれるの」
夕露は首をかたむけて俺の腕に頭をあずけた。俺くらいの歳になりゃあ男ってなぁ女子にモテたくてたまんねえもんだから、ふだん使わねぇ頭を猛回転させて女の子の気持ちを考えるもんだけどな。まあだいたい見当もつかねぇんだが。夕露が嫌がっている乱暴な男ってなぁ、おおむねガキのころだけな気がするんだが、まあだまっておこう。夕露に特別だと思ってもらうのは気持ちがいい。
「樹葵くん、きょうはわたしの昔ばなし、聞いてくれてありがとね! なんかすっきりしたもん」
「そうか、よかった」
俺は思わず笑みをこぼした。「いまの俺ならあんたを守ってやれるから、いやなことがあったらいつでも言えよ?」
「やったー! 頼りにしてる!」
飛び上がった夕露がはしゃいでうしろから抱きついてきた。俺の背中に胸を押し付けるなっ! 本当の兄妹なら注意するところだが、言えねえよなぁ。俺はせめてもと、振り返って夕露にかぶせた外套の両端をにぎって、
「見えねぇよう、ちゃんと胸の前で押さえときな」
と、彼女の両腕をつつみこんだ。
「てへへ。おにいちゃんの匂いがするのぉ」
おどけた調子で言って、両手でつかんだ布に顔をうずめる。
「えっ、俺のニオイってなに!? 爬虫類っぽかったりすんの!?」
「樹葵くんのばか」
夕露は立てひざになって、かわいらしいおでこをコツンと俺の額にくっつけた。「そんなこと言うから、からかいたくなっちゃうんでしょ?」
だって女子からにおうとか言われたら焦るじゃん。
「あ。誤解しないでね。わたしのはバカにした嫌がらせじゃなくて、愛のあるからかいだからねっ!」
いたずらっぽく笑う夕露のくるくるとした髪をなでたとき、ふと俺にも思うようにならないつらい時期があったからこそ、彼女の昔ばなしに共感するんだって気付いた。何年も前の話なのに、夕露を泣かせたいじめっ子に腹が立つのも、俺自身が周囲の冷たい視線に苦しんできた記憶があるからだ。暗くてぼっちだったむかしの俺はかっこ悪かったけど、あの経験には意味があった。最初から最強じゃあだめだったんだ。傷付いた過去があるからこそ、泣くことしかできない人の気持ちにも寄りそえる。
「夕露、魔力弾連発できなくったって、いまのあんたはじゅうぶん憧れの玲萌せんぱいみたいに強くてやさしい子だと思うぜ」
「ほえ?」
俺のとなりで殻ごと海老にむさぼりついていた夕露がまぬけな声を出す。少しあいた障子窓から建物の向こうにのぞく青い海原をながめつつ、俺はだれにともなく言った。
「傷付いた分だけ強くやさしくなれるんだから。きっとあんたは泣いてる子供を救えるよ」




