第64話、水に強い敵を倒すには?
崩れかけた旧校舎の屋根より高く、つる草にからめとられた小さな人影がジタバタと手足を振り回すのが見えてきた。毒草は幾重にも少女の体に巻きつき、その肉付きの良い肢体を締めあげ執拗に拘束する。ところどころ着物が粘液に溶かされて、柔肌がのぞいていた。
「夕露!」
召喚獣――天翔けの上から玲萌が身を乗り出す。「樹葵、あたしが風の術で草を切るから、落ちる夕露を受け止めてほしいの!」
「よっしゃ任しとけ!」
俺は風呂敷包みを下ろし、
「凪留、三味線と楽譜あずかっててくんねぇ?」
と頼みながら凪留に背負わせた。
「翠薫颯旋嵐、無数の鋭利なる刃となりて――」
玲萌が呪文を唱えだす。ったく戦闘になるって分かってたら三味線は寮に置いてきたのに……。不安が顔に現れたのか、振り返った凪留が、
「僕は後方支援に徹するから安心して戦ってきてください」
「恩に着るぜ」
礼を言うと、俺は腰からつるぎを抜いた。
「我が魂の詩と響きあえ、神剣・雲斬!」
俺が天翔けから舞い降りるとほぼ同時に、玲萌の術が完成した。
「――森羅万象切り裂き給え!」
ばしううぅぅぅうううぅぅっ
風の刃がうなりをあげて、呪われたつる草に襲いかかる。
「うきゃぁ」
こんなときでさえ、どことなく間の抜けたさけび声をあげる夕露。宙に放り出されたその体に俺の指先が触れると次の瞬間、夕露は神剣が発する光の膜に包まれて浮かび上がった。
「また伸びてきやがった!」
下からうにょうにょと夕露をねらって迫る茎をつるぎで薙ぎ払いながら、左腕に夕露を抱きかかえる。
「くそっ きりがねえぞ!」
神剣で斬られた茎はそれ以上伸びてこないのだが、死滅した茎のわきから次々と新しいつるがのびてくるのだ。上空から呪文を唱える玲萌の声が降ってくる。
「紅灼溶玉閃、願わくは其の血と等しき色成す烈火を以て――」
俺は夕露を抱えたまま怪鳥の真下にとびすさる。
「我が敵影、燠とせんことを!」
ぼおぉぉぉ――
玲萌の放った炎弾に焼かれる植物を確認して、俺は安堵のため息をつく。「火には弱いみてぇだな、下りるぞ夕露」
「うん! ――あ、待って樹葵くん!」
「なっ 新芽が伸びてきやがった!」
燃えかすの中からあざやかな芽が息吹き、空をかけのぼってゆく。俺はしかたなく地上へ下りるのをあきらめて、もう一度空へ舞い上がった。
「ちっ、しぶとい……」
上空で玲萌が舌打ちしている。「青霧透霞鏡、氷華飛乱――」
さらなる術の詠唱に入ったようだが、呪文から察するに――
「水の術か? 風も火もだめなら水ってわけかい」
空中で神剣を一閃しながら、俺はつぶやいた。
「植物にお水やるの?」
俺の腕の中で夕露がとぼけた声を出す。着物はなかば溶かされ、胸のふくらみがのぞいているのもさほど気にしていないのか、きょとんとしたまなざしで見上げている。
「――黒き空より舞い落つる凍れる刃よ――」
夕露の言う通り、植物に水の術ってぇのはいかにも相性が悪い。ふだん理屈っぽい玲萌にしちゃあ思慮が浅いのは、ちょいとばっかし苛ついてんのかな?
「願わくは悪しき輩に白きいましめを!」
ワラワラと伸び続ける植物に、氷の針が降りそそぐ。
「うしっ 今度こそ――」
鳥の上で期待の声をあげる玲萌。するどい氷に寸断された茎は死滅したようだ。しかし――
「土ん中から新しい芽が伸びてくんのかよ……」
俺のあきれ声に、
「きーっ めんどくさいっ!」
玲萌のさけび声が重なる。「きりがないじゃないっ こうなったら―― 褐漠巨厳壌、壮んなる噴煙を――」
「ちょーっと待ちなさい玲萌くん! それ、ここらへん一帯の土壌をひっくり返す術でしょ!? 僕たちが使ってる新校舎も道もまわりの田んぼも全部被害受けますよ!?」
凪留があわてて止めに入った。玲萌は大地の術で根っこまで寸断しようと考えたのだろう。
「調節できるかも知れないじゃないっ」
往生際の悪い玲萌に、
「いやいやきみは大地の術が苦手でしょう!? できるかも知れない、くらいで使わないでくれたまえっ」
凪留が正論を吐く。玲萌は大体、風の術それから火の術という順番で使っている。風や火は調節しやすいのだろう。誰にでも得意・不得意があるもんだ。
玲萌の攻撃がやんで安心したのか、つる草がこちらへ伸びてくる。
「なんで俺たちばっか追いかけてくるんだよっ」
『わらわには、その娘を追ってくるように見えるのじゃが?』
いつの間にかくもぎりさんがすぐとなりに浮かんでいた。
「確かに。玲萌たちのほうには全然伸びないよな」
「きっとわたしがおいしそうだからだよ!」
自慢げに言うな、夕露。
『小娘、ぽっちゃりしておるからのう。食べがいありそうじゃ』
「でしょでしょ、小さな天女さん!」
『そなた、まったくわらわに驚かぬのじゃな』
くもぎりさんのほうが目を丸くしている。
「くそっ 水に強い相手ってなぁ分が悪いぜ。――あ」
俺はふと思いついて向きを変えた。空を飛ぶ俺たちをつる草が伸びて追ってくる。
『ぬしさま、どこへ向かっておるのじゃ?』
ときどき夕露の体をかすめる茎を神剣ではらいながら、
「港町のほうだよ」
『――というと海水を使うんじゃな?』
「うん……」
この作戦が成功する保証はない。俺は歯切れの悪い返事をしてから二人に説明する。
「あそこらへんはむかし干潟だったところを近世に埋め立てたはず。いまも物流のため縦横無尽に運河が走ってるんだけど、潮の満ち引きで高さが変わるんだ。ときどき橋の下を船が通れなくなるからね」
『つまり運河には海水が流れ込んでいると』
「そ。いざとなったら夕露を風の結界に包んで運河に落っことして戦うぜ!」
「えぇやだぁ汚ぁい。そこに流れてるきれいな川に落としてよう」
運河は川のように流れるわけじゃないから、引き潮のときには底にたまったヘドロが臭ったりする。それはそうなんだが――
「夕露、俺とくもぎりさんの話、理解してないな?」
俺は田んぼのあいだを蛇行する川を見下ろしながら、
「あの水は田んぼに引かれてるだろ? 海水の流れ込んでない真水ってことだ」
夕露が沈黙しているうちに、にぎわう港町が見えてきた。海へ出るよりずいぶん近い。
「わたし、べつに海水浴したいなんて言ってないよ?」
んんんっ!? なんの話だ!? 黙ってるから理解したのかと思ったがぜんぜん違ったようだ。
『あの魔草め、ゆうに一里は伸びておるぞ。信じられぬのう』
くもぎりさんは、夕露の発言など聞かなかったことにする。
俺たちの下では港町の住人たちが空を指さし口々に、
「なんだあれは!?」
「空から草が生えてきおった!」
と騒ぎ出す。
「見ろ! あっちに子供が二人飛んでるぞ!」
「あの子たち襲われてるんじゃないか!?」
と俺たちの存在に気付く人たちも。彼らには当然ながらくもぎりさんの姿は見えないようだ。
「おーい、大丈夫か?」
親切にも声をかけてくれる人までいる。つる草は彼らにはまったく興味を示さず、夕露だけをねらってくる。……よっぽどうまそうなんだな。
「おいしそうだよね」
「はっ!?」
腕の中の夕露を二度見する俺。
「あ、いや、あの魔物っぽい草。食べたいなと思って」
舌なめずりする夕露。そーいえばこいつ人面草食ってたっけ…… むしろ植物のうらみかってるんじゃ!?
下からは、
「まあ、あの子たちは大丈夫だろ。空を飛んでる以上、魔術が使えるんだから」
「魔道学院の学生さんかもしれねえ」
「いや片方は人間じゃないみたいだぞ」
などという冷静な声も聞こえる。
俺は答えるかわりに眼下を流れる運河に呼びかけた。
「水よ、我が意のままに!」
意識を合わせて念じると、間欠泉のごとく水の柱が立ち上がり魔草に襲いかかる。
「おおっ すげー!」
住人たちが歓声をあげた。




