第62話、ありのままの君で笑っていてね
帰り道、傾いた太陽に照らされた俺たちは、手をつないだまま空を飛んでいた。
玲萌が午後の海を振り返って、
「魔力光のかけらを散りばめたみたい!」
と歓声をあげる。「キラキラしてるの、樹葵も見て、ねえ」
俺の腕を抱きしめるように、胸へ引き寄せた。慎ましいとはいえ、ひじのあたりに彼女のやわらかさを感じて、健全な十六歳男子である俺はつい反応してしまう。ほかの男にはこんなことするなよ、と言いたいが、恋人でもないのに口うるさいヤツと思われるのも嫌だ……
「樹葵、なにか考えごとしてる?」
勘がいいからすぐ見抜くし。口の中で小さく、いや、とごまかす俺に、
「神剣の力を使って飛ぶと、樹葵がぼーっとしても急降下しないから便利よね」
と、見透かしたようなことを言う。無言で不機嫌な顔をしてると、
「でも―― 言いたいことがあったら教えてね?」
ちょっぴり不安そうに俺の様子をうかがった。玲萌がこんなふうに気をつかうなんて、らしくない―― いや、さっき大好きって言われたのに俺がごまかしたからか!? とっさに聞かなかったふりをしちまったが、よくよく考えたら情けねえ。逃げたようなもんじゃねえか。玲萌の気持ちを聞いておいて……
いやでも恋愛じゃないならたいした問題じゃねえだろ? 玲萌みたいに利口で現実的でちぃとばっか計算高い娘が、あとさき考えず肩からツノ生やすような男に恋をするか?
「ちょっと樹葵、思いつめたような顔してどうしたのよ?」
えーい、しゃらくせーや! 俺の脳みそはつくづく考えることに向いてねえ。
「玲萌がさっき湯ん中で幸せって言ったの思い出してたんだ。これからも玲萌をもっと幸せにしてやりてぇと思ってさ。でも俺、先のことなんも考えねぇでサクっと人間やめちまったから、そんな異端児があんたを幸せにするなんてぇのはおこがましいかと――」
一気に話して、玲萌がくすくすと笑ってるのに気づいた。なんだよ、ひとが真剣に打ち明けてんのに。
「ありがとう樹葵、あたしすっごくうれしいわ。でもそんなに気負わないで。あたしは樹葵がとなりで無邪気に笑ってたら、それだけで幸せなんだから。これからもありのままのきみで、思うように生きてくれれば、あたしは満足なのよ」
玲萌……、なんて心が広いんだ――
「でも俺、いままで自分のことだけ考えて生きてきたから――」
「そうよね~っ あははっ」
玲萌は明るい笑い声をあげながら、
「そりゃ親の気持ちとか考えたら、もしくは将来自分が親になること想定したら、そんな思いきった身体改造できないもんねぇ」
は、はい…… おっしゃるとおりです……
「でもいいのよ、あたしは樹葵のお母さんでもお姉さんでもないんだから。過去も今も未来も否定せずに、きみのすべてを受け入れるわ!」
俺の心を包み込むような玲萌の笑顔に胸が熱くなる。感謝の思いがあふれ出して、言葉が出てこない。俺の腕にしがみついている玲萌の頭を、もう一方の手で抱き寄せてほおずりする。こんなやさしい娘、ぜってぇ泣かせたりしちゃあいけねえ。
玲萌がますます俺の腕をきつく抱きしめるせいで、長半纏のうえに重ね着した水干の袖が引っ張られる。
「じかに触れられないのがもどかしいわ」
ひとりごとのようにつぶやいている。
「え?」
と聞き返すと、
「だって樹葵いつも袖なしの半纏だから。でも水干姿もちょっと上品に見えてかっこいいけど。ぐへへ……」
「風呂上りに秋の空飛んだら寒いかなと思って着てきたんだ。いつも羽織ってる水浅葱色の布、あれ空飛んだら風になびいて全然意味なかったからさ」
さらに冷えるときは水干の中に温熱魔術をかけようと思っていたのだが――
「でも暑いくらいだよ。玲萌は寒くないか?」
「全然。まだ体ほてってるもん」
と言うわりには俺に密着する。「変化してゆく樹葵を止める権利なんてあたしにはないけど、どこか遠くに行っちゃいそうで、ときどき不安になるの……」
「は!? なんでだよ?」
思いもかけない言葉に驚いて、うつむく玲萌をみつめる。顔をあげた彼女は、俺の肩越しになにかを見つめていた。
「白い羽が透けて見える―― 幻想的ね……」
あそっか。玲萌も一緒にくもぎりさんの力で飛んでるから、応龍の翼みてぇな幻が見えているのか。
「俺は好きなように変わってゆくし、行きたきゃどこへだって行くさ。でも――」
さびしげな玲萌の肩を、もう一方の手で抱き寄せ、
「玲萌、あんたはそんな俺の腕の中に、いつだっていてくれるんだろ?」
と、ささやいた。
「うん! 樹葵の腕の中は、これからもあたしの特等席だから!」
玲萌の顔にいつもの、はじけるような笑顔が戻ってきた。それがかけがえのないものに思えて、俺は彼女を空中で抱きしめる。
「あたし樹葵とこうしてると安心するの。まるで怖くないわ」
玲萌が俺の胸に顔をうずめる。守ってやりたくなるようなか細い声に、彼女の肩を抱く俺の腕にはさらに力がこもった。
いまならこんなに近づけるのに、きみに触れられるのに。でも俺たちの体温をはばむ布がもどかしい。ああ本当は湯の中で、一糸もまとわぬ姿で話していたきみをこんなふうに抱きしめたかった。
「樹葵の鼓動、感じるわ」
俺の胸に耳を押し当てていた玲萌が、うっとりとしたまなざしで見上げた。視線がからみあって、俺たちはどちらからともなく笑いあう。みずみずしく紅潮した彼女の頬が美しい。いつもよりなお紅い唇が色っぽい。
彼女はいま俺の腕の中にいる。いまなら、この唇を奪えるかもしれない。魔力を分けるなんて言い訳をしなくても。彼女も受け入れてくれるかもしれない。
「樹葵の瞳、宝石みたいね――」
玲萌が伸びあがって、俺たちの唇が近づく。彼女がそっと目を伏せ――
『ぬしさま? わらわもおるんじゃが――』
「うわっ」
「きゃっ」
あわててのけぞる俺たち。
『わらわにぬしさまが精霊の力を通しているときは、わらわの意識ははっきりこちらの世界におるのじゃよ?』
くそーっ 神剣を抜かなくても、力を通せば空を飛べることを発見した俺すげーとか思ってたのに、いるのかよ、くもぎりさん……
『残念じゃったな。わらわの力を使ったら、ぬしさまの感じることはすべて伝わってくるのじゃ』
「あの、樹葵―― この声まさか神剣の精霊さん!?」
もとから大きな目をさらに見開いた玲萌が、片手で耳を押さえている。
「えっ 玲萌も聞こえるのか!?」
『いまは娘の体も光の膜が包んでおるじゃろ? するとわらわの意識とつながれるのじゃ』
「そうなの、すごいわっ!」
好奇心旺盛な玲萌は目を輝かせている。「でも小さな女の子みたいで、とってもかわいい声なのね」
「外見もガキだからな。中身は婆さんだけど」
『ぬしさまあああああっ!!』
ものすごく恨みがましいくもぎりさんの声。せっかくいい雰囲気だった俺たちを邪魔してくれたんだから、これくらい仕返しさせてもらいてぇもんだ。
「あたしも精霊さんの姿、見てみたいわ!」
玲萌の興味がすっかりくもぎりさんに移ってるし。
『ほれ小娘、わらわが雲斬じゃ。以後お見知りおきを』
空中にくもぎりさんの姿があらわれた。
「きゃーっ! ちっちゃい! かわいいっ!!」
玲萌は片手を伸ばして、天女のような衣をなびかせて浮かぶくもぎりさんの頭をなでようとするが――
「あれっ? さわれない!?」
『わらわの姿はそなたの心に映っているだけなのじゃ。実体はないから触れられぬのじゃよ』
「そうなの!? なんだかさびしいわね」
ひとつふたつと魔力燈の灯りだした街を見下ろしながら、俺たちは寄宿舎に向かって夕空をすべっていった。
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