第56話、神剣の攻撃は心に効く
地面に着地すると同時に、はらりと落ちた手ぬぐいをつかみ、
「とったぞ!」
と、かかげる。
「って…… 目がくらんで誰も見えてねぇし。あっ!?」
凪留に視線を戻して、俺は思わず声をあげた。本人も異変に気付いたようで、
「なんか背中がスースーするのだが……」
とか言いながら目をこすっている。それもそのはず。小袖もその下の肌襦袢も、すっぱりと縦に斬れている――のはまだしも、ふんどしまで切り裂かれているのはさすがにきつい。見たくもねえケツから目をそらしたとき、
「きゃーっ、嫌ですわ! 生徒会長ったら!」
惠簾の悲鳴が響いた。
「えっ、うわー!」
凪留はあわてて前を隠した。
くもぎりさん、「善人」に対する殺傷能力は皆無でも、心をえぐる攻撃が得意なようだ。
『ちがうのじゃ! わらわはぬしさまの望み通り『布地だけ』斬ったのじゃ!』
「樹葵、おめでとう!」
玲萌が祝福の笑みを浮かべ、かけよってくる。着物をおさえて逃げ出す凪留の後ろ姿を意にも介さず、
「あたしたちのかき氷屋台のために勝ってくれてありがとう!」
「凪留のやつ、かわいそうだったかな? いつも冷静なやつが取り乱してると哀愁そそるよな」
「はぁ!? あいつ自分で手ぬぐい頭にかぶろうって言ったくせに首に結んじゃって、そんなズルしたから着物まで切れたんでしょ? 自業自得よ!」
「そうか」
と、うなずきながら自分の頭に結ばれた手ぬぐいを取ろうとするが――
「あ、それ封印解かないと外れないんですわよ」
と、惠簾が手を伸ばす。こっちもじゅうぶんズルしてるんだよなあ。
「橘さま、頭の上でちょうちょ結びした朱色の手ぬぐい、かわいらしくてよくお似合いですが、本当に取っちゃってよろしいんでしょうか?」
「取ってくれ」
有無を言わさず答える俺。
「はぁ残念」
「へんな恰好で外歩くのやなんだよ」
「でも樹葵くんもとからへんなかっこだから誰も気にしないよ?」
小憎らしい口をはさんだのはもちろん夕露。
「夕露が授業中寝ててもだれも気にしねぇよーなもんか」
よっしゃ、言い返してやったぜ!
「わたしは睡眠学習魔術の実験してるんだよーっ 一度も成功してないけど!」
「夕露が魔術の研究とか……」
「するよーっ 樹葵くんが使った温泉の術も教えてほしいもん!」
「温泉の術……?」
「さっき凪留せんぱいにお湯かけてたじゃん」
召喚獣のほうにひっかけてたんだけどな。
「うらやましーなーと思って見てたの! 露天風呂行きたくなっちゃった!」
つねにずれた感想を抱くという点ではぶれない夕露。そこに玲萌が、
「夕露の家、『なないろ湯』とかいう露天風呂所有してるじゃない。いつでも入りにいけるんでしょ」
「あああああ!」
突然、夕露が奇声を発した。
「なんだよ……」
「そんなうっとうしそうな目で見ないでよ樹葵くん! きのうの夜、久しぶりに親戚のおねえさんがうちに来て、樹葵くんを露天風呂に招待するように言われたんだった! すっかり忘れてた!」
「親戚のおねえさん?」
「うん! ちょっと会わないうちに、おねえさんよりおばさんに近付いてた!」
元気にひどいことを言う。
「はあぁぁああっ!」
こんどは惠簾が急に気を吐いた。「いまっ! 神託が下りましたわっ! 本日八つ鐘が鳴るころ、夕露さんのおうち――沙屋さんの裏口に行くようにと!」
夕露の家は代々続く大きな廻船問屋で、屋号を沙屋という。
「え、うん、まあ」
惠簾の謎な迫力に、夕露がめずらしくたじろいでいる。「わたし今日、午後の授業ないからそれくらいの時間に来てもらって人力車で向かおうと思ってたけど……」
「承知いたしましたわっ!」
これ惠簾、ただついて行きたいだけなんじゃ……
「玲萌は? 午後あいてるのか?」
俺はちょっと気になって振り返る。
「うん」
「それじゃあ――」
夕露に、
「あんたさえ良けりゃあみんなで行かね?」
と尋ねると、
「もちろんだよ! 玲萌せんぱいはいつでもわたしにくっついてるんだから、当然いっしょに行くに決まってるでしょ?」
「えぇっ!?」
玲萌が驚いて抗議の声をあげた。まあどう見ても、追いかけまわしてるのは夕露のほうだからな。
「ふ~ん、まあいいわ」
玲萌はどことなく他人行儀にうなずくと、
「なないろ湯の場所、前に招待してもらったとき覚えたから、あたし樹葵と二人で神剣使って空から行く」
と冷たく言い放った。
「そんなぁ。玲萌せんぱいも人力車の振動好きでしょぉ? お尻が気持ちいいじゃん」
「なわけないでしょ! あたし夕露みたいにお肉たっぷりついてないから痛いわよっ」
「玲萌せんぱいにフラれちゃったぁぁぁ」
泣きまねしてしがみつく夕露にも動じず、
「それになないろ湯って海岸のほうじゃない? 魔道学院からなら直接行った方が近いもん。沙屋さん経由するとこうやって大回りになっちゃう」
と、空中に指で「く」の字を描く。
「まあまあ夕露さん」
惠簾がやさしく袖を引き、
「ここはひとつ気をきかせて、玲萌さんたちを二人きりにしてあげましょ、ねっ」
こそっと耳打ちした。玲萌は聞こえていないようだ。俺の腕を引き寄せて、
「樹葵、あたしにも露天風呂行くかって声かけてくれてありがとね」
さくらんぼのような唇が耳もとに近付く。俺は目をそらして、
「ああ」
とだけ言った。ぼっちは敏感なんだよな~、こいつ寂しいんじゃねーかとか気になっちまう。いや、俺は元ぼっちなのか。玲萌のおかげで、いまはワイワイ楽しくやってるもんな。
そんなわけで俺たちは露天風呂に――って、ちょっと待て。
「なあ、その『なないろ湯』ってまさか混浴じゃないよな?」
「…………一応わかれてるわよ」
「いまの間はなんだよ……」
玲萌はぱたぱたと手を振った。
「ほらまあ自然のものだからね、街中にあるお湯屋さんみたいなわけにはいかないわよ!」




