第43話、黄金色に輝く神代のつるぎ
「橘さま」
惠簾の凛とした声に、俺は思わず姿勢を正す。
「どうぞ泉へお入りになってください」
「おうよ」
立ち上がって首元の結び目をほどくと、肩から羽織った大きな布がするりと落ちる。
「持ってるわよ」
と玲萌が目くばせして、大判の布を受け取るとたたんでくれた。
惠簾が滝の下から、
「そこの岩―― わたくしの着物の上に置いてある壺をお持ちください」
視線の先には緋袴と白衣がきちんと重ねてある。俺が使うつるぎを清めてくれているのに、そのあいだ玲萌とくっついていたことにかすかな罪悪感を覚えつつ、下駄をぬいでつま先で水に触れる。
「樹葵くんがんばれーっ」
夕露の声に振り返ると、その向こうで玲萌が俺の外套を胸に抱きしめて手を振っている。
浅い水の中、壺を手に惠簾のほうへ歩きながら、
「意外に冷たくないもんだな」
とひとりごとを言うと、
「わたくしの神通力であたたまっているんです」
という信じがたい答えが返ってきた。彼女の水に濡れた長襦袢はその肌に吸いつくよう。やわらかい体の曲線がくっきりと浮かび上がっている。
惠簾は俺から壺を受け取ると、
「さあ橘さま、つるぎを両手でお持ちになって」
と神剣をわたしてくれた。正面に立つと見ちゃ悪いとこまで透けてそうで、俺は絶え間なく流れ続ける滝の方に目をやった。しぶきが滝つぼを打つ音に惠簾の祝詞が重なる。
「掛けまくも畏き伊邪那岐大神――」
祝詞を奏上しながら壺の中の聖水をつるぎの刃にゆっくりとこぼす。
「もろもろの禍事・罪・穢、有らんおば――」
惠簾の神通力を受けて、聖水がきらきらと輝きはじめた。
「祓え給い清め給えと申すことを聞こしめせと、かしこみかしこみも申す!」
神剣の刀身が、真夏の太陽を百個あつめたようにまばゆい光を放った。柄をぎゅっとにぎりながら、俺は思わず目をつむる。滝の水音だけが聞こえる。
閃光がおさまったのを感じておそるおそる目を開けると、俺の手の中には黄金色に輝く神剣があった。
「こんなきれいなつるぎだったのか――」
刀身は鏡のように、うしろの木々と岩を映しだす。
惠簾もうっとりと見とれている。「はぁ、眼福ですわ―― 龍神さまの真っ白なうろこが輝く腕に金色のつるぎがよく映えて、煌めく銀髪もあいまって神話の中の剣士さまがこの泉に降り立ったかのよう――」
神剣じゃなくて俺を見てたのかよ!? うん、知ってる。俺は美しいんだ。でもそんな下着姿みたいな恰好であんま見つめられると―― 気まずくなって俺はうつむいた。水しぶきが飛んで重くなった前髪が目にかかる。ふるふると首を振ると、
「水滴がキラキラとして水に濡れたおぐしも美しいですわ」
いちいち実況中継されても、どう反応すればよいのやら……
「ん? なんか水温あがってね?」
俺は足元を見下ろしながらつぶやいた。
「も、申し訳ありませんっ!」
我に返ったように惠簾が頭を下げる。「ついつい興奮して神通力が燃え上がっちゃいました!」
えぇ…… それで池の水がお湯になるの!? それは神通力なのか!?
「儀式、おわったのぉ?」
と、夕露の子供っぽい声が聞こえて俺はほっとする。
「すごいねーっ、そのつるぎ緑じゃなかったんだ! 呪文唱えると色かわるんだ!」
「呪文じゃなくて祝詞よ」
玲萌もやってきて、岩から身を乗り出す夕露に教えてやる。
「それにしても、お清めをおこなうだけで磨かなくても緑青がとれるのね」
「ふっふっふっ、神聖な泉も沸騰するほどの神通力ですから」
自慢げな惠簾。
「さ、橘さま、仕上げですわよ。この滝の周りを一周してくださいまし」
「おう!」
俺は威勢よく返事して、神剣を正面に構えたまま滝つぼに近づく。惠簾の暴走した神通力(?)のせいで足が熱いので、冷たい水が気持ちいい。滝の後ろにまわると、岩肌にぽっかりと穴があいていた。上から植物のつるが緞帳のように垂れ下がっているが、人ひとりくらい充分に入れる大きさだ。
「おつかれさまでした! これで『祓の儀』はすべて終了ですよ」
滝のうしろから出てくると、惠簾が笑顔でむかえてくれた。
「滝の裏に洞窟あるよな?」
俺の問いに惠簾は怪訝な顔で沈黙した。ややあって、
「ありませんよ?」
「あるって」
俺は気になってもう一度確かめに戻る。
そこにはやはり洞窟――ではなく、向こう側へつながった隧道だろうか? 俺は好奇心にかられて身をかがめると、暗闇に足を踏み入れた。上から伸びた植物が俺の髪をなでる。
「橘さま!?」
「樹葵!」
滝つぼを打つ水音にさえぎられて、惠簾と玲萌の声がかすかに聞こえた気がした。




