第34話、お色気おねえさんと露天風呂につかりたい
玲萌がまた同じような古びた表紙の本を取り出す。題字を一瞥して、
「政細則覚書―― これは違いそうね」
また次の本へ。黄ばんだ紙をめくりながら、古い手書きの文字を読んでいる。
「よくそんな書体が読めるな。いまと結構ちがくね?」
「魔術理論系の授業で『歴史的文献解読法』ってのがあってね、自由選択科目として取れたの。知らない?」
「知らねーよ……」
必修単位ぎりぎりで卒業しようとしてた俺に聞かないでくれ。
「目当ての文献はみつけられたかにゃ?」
書棚の後ろから奈楠さんがひょっこりとのぞいた。音もなく近付いてくるな、この人。
「まだまだ時間がかかりそうだわ」
古文書から顔も上げずに答える玲萌。じっとしていることに飽きてきた俺は、
「奈楠さん、どの本に土蜘蛛のことが書いてあるか分かんねえんですかぃ?」
「分かるかもにゃあ? 奈楠さんは専門家にゃから」
自分のこと「奈楠さん」呼びかよ。
「じゃあ玲萌に教えてやっておくんなせえよ」
と、お願いしてみる。奈楠さんは大きなあくびをしてから、
「奈楠さんは仕事に一区切りついたから一休みしたいのにゃ」
「そこをなんとか――」
「樹葵ちゃんがなんでも言うこと聞いてくれるんにゃら手伝うニャ」
「なんでも?」
ってなんだろ。「ま、俺にできることなら構わねえですよ。なんでも言ってみてくんなせえ」
俺だって直接的ではないにせよ、玲萌の仕事を手伝いたいしな。なにより土蜘蛛を復活させちまった責任があるんだし。
「樹葵ちゃん、奈楠さんといっしょに湯船につかってくれるかにゃ?」
いっしょに湯船!? 彼女の衿もとからのぞくなめらかな肌、あれがそのまま胸のふくらみにつながって―― 湯けむりの向こうに見えるであろう妄想の女体は、玲萌の冷たい声によってかき消された。「奈楠さん、混浴はあたしたちの生まれる前に大王から禁令が出てますよ。奈楠さんは生まれてたかもだけど」
ちぇっ、と舌打ちした奈楠さんの顔が一瞬、化け猫みたいだったぞ……
「じゃあ樹葵ちゃん、こんどの休みにふたりで露天風呂付き客室のある旅館に泊まって、いろんなとこ洗いっこするニャ」
いろんなとこ洗いっこ!! いろんなってこたぁ、胸とかお尻とかも含まれるわけで―― 俺のこの水かきのついた手が石鹸をよく泡立てる。陽の光にきらきらと輝く泡が彼女の豊かな胸を包み、その先端をかざる桃色のつぼみを隠す。手のひらでやさしく按摩すると、彼女が俺に甘えた声を出す――樹葵ちゃん、もっと下も――
「そんな待てるわけないでしょ?」
玲萌のつっけんどんな声で、またしても俺の妄想は霧散した。「こんどの休みですって? あたしは今日、できればいますぐ該当の資料を読みたいの!」
なにピリピリしてるんだ、玲萌は。さっきまであんな機嫌よかったのに。
「じゃあ樹葵ちゃんも猫耳としっぽつける? あ~でもしっぽはこれ、特注にゃんだよにゃあ」
と、振り返って帯にはさんだ自分のしっぽをもふもふする奈楠さん。
「樹葵はもともとコウモリみたいな耳がついてるから必要ないじゃん」
不機嫌そうな玲萌の声。あんたは奈楠さんに手伝ってほしくないのか、さっきっから。俺がせっかく一肌ぬごうってぇのに。
「位置が違うにゃ。猫耳は髪型で再現するのが奈楠さん流にゃのだ。かわいくておすすめニャ!」
自慢げに解説しながら、胸元からするすると赤い紐を二本取り出した。
「いや俺、髪短いんで無理っすよ」
という言葉とはうらはらに頭を差し出す俺。だってあの紐、奈楠さんのふっくらした胸の谷間から出てきたんだぜ!? 奈楠さんの体温が残ってそう!
「樹葵ちゃんの髪、ふわふわしててきれいにゃあ」
奈楠さんの指が俺の髪を分けて、するりと頭皮に触れる。
「ただのくせっ毛ですよ」
とか答えながら気持ちよくてまぶたを閉じる。小さいころうちの姉ちゃんが母ちゃんに髪を結ってもらってるのを見て、じゅきもやってぇ、とせがんだことを思い出す。男の子だからだめとかそんなん、当世風じゃないよな。
「樹葵ちゃん、完成ニャ! うんうん、よく似合ってかわいいのにゃ」
うなずく奈楠さんは満足そう。なにがそんなに楽しいのか分からないが、うれしそうだからよかったぜ。
すねたように視線を文献に落としたままの玲萌に、
「なあ、どうだろう? 玲萌?」
と声をかける物好きな俺。意地を張って我慢していた玲萌が、耐えきれずに顔をあげた。
「あ……」
なんの、あ、だよ…… 何か大切なことを思い出したかのように、玲萌はまばたきも忘れて俺をみつめた。その頬がみるみるうちに紅潮してゆく。
「玲萌しゃん、そこらへんは政関係の記録だから魔物退治の文献はないのにゃ。奈楠さんは政治・経済・軍事の順に整理してるからにゃ」
俺が髪を結ってもらっただけで点数が入ったのか、奈楠さんが書棚のあちこちを指さしながら説明する。我に返った玲萌は、
「てことは戦や魔物討伐は、このへん――軍事の分類なのね」
背中側の書棚から適当な一冊を手に取った。
「あっこの本、魍魎戦記だって! ありがと奈楠さん、近付いたわ!」




