第26話、土蜘蛛ふたたび
旧校舎の敷地では、瀬良師匠が野次馬の学生たちをなんとか遠ざけようと奮闘しているところだった。
「あ、橘くんたち!」
俺たちの姿をみとめると、
「来てくれたんですね!」
ほっとした顔を見せた。「旧校舎の地下から嫌な音がするんです。まったくこの学校の教師は私だけではないというのに、学院長に押し付けられまして」
「すまねえ瀬良の旦那。俺が封印を解いちまったばっかりに。土蜘蛛退治は俺に任せてくんねえ」
思わず考えもなくしゃべっちまう俺。ちょっと考えたら―― 倒しても復活してくるんだっけ? いやその前に俺が最強魔術使ったらやべーじゃん。
「嫌ですねぇ橘くん、まだ土蜘蛛が復活したって決まったわけじゃないですよ」
どこまでも都合のよい解釈をする師匠。実力を隠す昼行灯な笑顔にだまされそうだぜ。
一方、神妙な顔つきをした凪留は、すでに土蜘蛛復活を想定している様子で、
「瀬良師匠、学生の誘導は召喚獣『天翔け』とともに僕がおこないますから、師匠は橘くんと地下へ」
師匠の返事も待たず、
「褐漠巨厳壌、其の大なる力を以て空歪ましめ、我らが世より彼方なる次元へ続きし門あきたまえ!」
と召喚呪文を唱えた。その言葉に応じて空中に黒い穴が出現する。それは回転しながらみるみるうちに膨張していく。
「我がまめやかなる友天翔けよ、我が願いに応え今その眠りよりおどろき、この方へ至らなむ!」
凪留の呪文に答えるように、異次元につながる穴から巨大な鳥があらわれた! 瀬良師匠の言うことをなかなか聞かない学生たちも、これにはビビって足を止める。
「うわっ、どでかい鳥が――」
「きゃーっ 生徒会長の怪鳥よ!」
叫んで逃げ出す女子学生のうしろで、
「カイチョウのカイチョウだってー」
緊張感のないダジャレをはくのは夕露。さっきまで寝たまま凪留にひきずられていたが、ようやっと目が覚めたか。
「僕の『天翔け』についばまれたくなかったら旧校舎の敷地から出なさい!」
巨大な鳥の背に乗った凪留が叫ぶ。
やじ馬たちの人波にさからって、俺たち四人は瀬良師匠と旧校舎の玄関に向かう。今朝も目についた毒々しいつる草が、増えているように見えるのは気のせいだろうか。
「橘くん、もし土蜘蛛が復活していたらきみが倒して、そのあと私と惠簾さんで封じようと計画しています」
「そいつぁいい考えだけど、手加減して倒せるような相手じゃないし、かと言って俺が本気出したら――」
「私が旧校舎敷地全体に大きな結界を張ります。ですから近隣への被害は気にせず思う存分戦ってください」
「それなら合点ですぜ。俺また玲萌に負担かけるんじゃねぇかって怖かったからさ」
旧校舎の戸口の前で、見上げた俺の後頭部をなでるように瀬良師匠の手のひらがすべった。「そんなことじゃないかと――。いくら人間を越える魔力を持っていても、きみは繊細な少年のようですから」
「いや――」
俺が言い返そうとしたとき、
どっぐわぁぁん!
いままでにない派手な地響きが響き、半壊していた旧校舎がさらにかたむいた。道をはさんで新校舎側まで下がった学生たちの悲鳴が聞こえる。
「みんな下がってくれ、いやな予感がする」
俺は女の子たちに声をかけた。「ここは俺と瀬良の旦那で――」
振り返ったときには、瀬良さんが一番遠くまで逃げてたわ。この人はーっ
めきめきと木造校舎の割れる音がする。俺は玲萌たちの近くまで下がり、前面に結界を張った。
「橘さま、玲萌さんと夕露さんにわたくしが防御術を付与しますわ!」
「助かるよ惠簾!」
「天地玄妙神辺変通力!」
惠簾は玲萌と夕露に触れると神通力を発動させた。
「あんたはできるだけ安全なところから後方支援を頼む!」
惠簾を振り返って俺が叫んだのと、旧校舎周囲の空気が一瞬みなものようにゆらいだのが同時だった。瀬良師匠の強く大きな結界が完成したのだ。土蜘蛛の出現を予測して、俺は印を結んだ。
「紅灼溶玉閃、褐漠巨厳壌――」
呪文を唱える俺の目に、はずれた戸板のうしろからちらっと炎のきらめきが見えた気がした。呪文を中断し集まる魔力を散らしたとき、はっきりと炎の玉が見えた。その向かう先は――
くそっ
玲萌のわきに飛びすさると同時に、彼女をかかえて荒れ庭に放置された楓の枝に飛び移る。
たった今まで彼女のいた場所に炎が着弾し、脱ぎ捨てた俺の下駄を焼いた。白木の台に菱柄の鼻緒をすげた高下駄で気に入ってたのに! 許さねえ土蜘蛛のヤローっ
腕の中の玲萌が俺の外套をつかんだ。「樹葵ありがと。でも惠簾ちゃんの防御術があるから――」
「だめだよ玲萌、結界の上からでもあいつの攻撃を受けたら蒸し焼きになるかもしれねえ」
『命拾いしたな、小娘よ』
突如くぐもった声が頭に響いた。
「えっ、この声――」
おそるおそる枝の上で均衡をとっていた玲萌も耳を押さえている。
「まさか土蜘蛛!?」
俺の問いに答えるように、かたむいた旧校舎の屋根を突き破って土蜘蛛が姿をあらわした。
『ふははは、驚いたか。あやかしの小僧よ』
「あんたしゃべれたのか!? 今朝はギギィとかグギャーとかしか言わなかったじゃねーか」
玲萌も驚きの声をあげる。「半日で人間の言葉を学習するなんて大したもんね!」
『わしをコケにするな! 今朝は封印から覚めたばかりだったためじゃ』
「あー寝ぼけてたのね」
『小娘! 言い方!!』
土蜘蛛のツッコミが炸裂する。
「う~んでも八百五十年前のしゃべり方じゃないあたり、たいしたもんですよ」
と師匠も旧校舎敷地の入り口でうなずいている。「麿はぁ~とか言うのかと思ってました」
ついさっき、そういうやつと会ったけどな。
『貴様ら…… 人間の分際で――』
あ。怒った。
『おい、あやかしの小僧!』
だが思いがけないことに、土蜘蛛は攻撃するより俺に話しかけてきた。
『貴様も魔物のはしくれなら、そんなところで猿どもの真似事などしていないで、共に人間を食おうぞ!』
「樹葵くんが土蜘蛛にお仲間認定されちゃった!」
楓の下でひとりごちる夕露は無視。
「ははっ、せっかくだが土蜘蛛さんよ」
俺は乾いた笑い声をあげ、玲萌の肩にまわした手に力をこめた。白いうろこが輝く腕で少女の細い肩を抱き寄せる。「悪ぃが俺はこっち側でね、あんたと手を組むわけにゃあ、いかねえな」
唇のはしをつり上げ言い放ったその言葉が、戦闘の火蓋を切る合図だった。




